第8話 Ashes on the fire

 ごん、という鈍い音を聞いた俺と琴は、嫌な予感を抱く。心の中で三人に謝りながら、俺たちは裏通りへ出る扉を開いた。錆びた金属の擦れあう音がすると、細道へと出た。右と左、どちらに進めばいいかわからないが、とりあえず、塔とは反対側の駅の方へ逃げることにした。


「こっちだ!」

「うん!」


 琴の手を引っ張りながら走る。


 大通りとは少し違って薄暗い裏通り。人が少なく、走りやすかった。しかし、逆にそれが不安でもある。もしもこちらにスラファトが来てしまえば、一発で見つかってしまう。


 ある程度走ったら、大通りに出よう。木を隠すなら森の中というやつだ。


「琴、まだ走れるか? もう少しだから頑張れ」

「大丈夫! 底なし体力だよ!」


 そうだった。琴の体力を舐めちゃいけない。それならば早めに大通りに入って、群衆に紛れつつ、一気に駅まで逃げてしまおう。

そのために目の前の路地に入る。そこで一度走るのをやめ、呼吸を整えながら大通りに出た。楽しげな雰囲気が消え去っている、その光景に俺は啞然とした。来たときとは全く違う。たくさんの壊された屋台で夢のような空間は崩れ去っていた。


「嘘でしょ?」


 琴もこの光景に対して言ったのかと思ったが、どうやら違うとわかるのに時間はかからなかった。琴が顔を向けている方向に視線をやると、スラファトがいた。ヤツの目は確実に俺たち二人を捕らえてる。


 まさか、既にこちらへ戻って来ていたなんて。速すぎる。


「おやおや、こんな所にいたとは。既にここは捜したが、見落としていたんだろうな。ん? 誰だ、お前。星の匂いがしない。人間か?」


 スラファトがこちらに迫ってくる。俺は逃げることを諦め、琴の前に立って答えた。


「そうだ。それがどうした?」

「ああ?」


 父親は俺に近づいてくる。間近で見るととてもでかい。大きいのはわかっていたが、目の前に来ると思っていた以上だとわかる。巨漢とか言うレベルじゃなかった。しかし、俺はひるまず胸を張り、対抗しようとした。


「それが星に対する口の聞き方か? 随分と育ちの悪い人間のようだ。まあい

い。お前に用はない。娘を渡せ」

「俺に勝ってから言え」


 俺はそんなに喧嘩をした経験がない。しかし弱くはないつもりだった。負けた記憶はほとんどない。前田と殴り合ったときだって、俺の方が優勢だった。


 それを自負し、拳を父親の腹にぶつける。


 しかし、びくともしない。


「ほほう。いい度胸だ。だが人間が星に勝てるとでも?」


 琴の父親、スラファトは俺の腕を人差し指と親指だけで俺を持ち上げた。


「随分と舐められたもんだ」


 体が軽くなったと思ったら、俺は反対側の屋台の棚に叩きつけられていた。腰と後頭部に激痛が走る。


 大丈夫か、と俺が壊してしまった屋台の人が訊いてくるが、今はそれに答えている暇はない。


「くっそ!」


 俺はもう一度、拳をスラファトの腹にぶつけようと試みた。スラファトも両腕で俺を掴む素振りを見せる。さすがに二度同じ手は効かないようだ。それはわかっている。俺はスラファトの手を躱し、背後に回る。近くの屋台の上に上り、そこから飛んだ。スラファトの後頭部に蹴りを入れようとした。


「うっ」


 駄目だった。あと少しのところで今度は脚を掴まれ、俺は逆さに吊るされる。見た目とは裏腹にとても俊敏なようだ。これは侮れない。


「人間ってのは随分と聞きわけが悪いようだな。俺を舐めるんじゃないぞ、と何度言ったらわかるんだ」

「やめて!」


 琴の声が聞こえ、俺は宙づりにされたまま、首だけを琴がいた方に向ける。彼女は体を震わせながらこちらへ歩いてくる。

「おい、来るな! 逃げろよ!」


 俺が琴に向かって叫ぶと、


「昴介が逃げられないのに、私だけが逃げていられない」

「俺のことはいいから!」


 琴はもう俺の言葉に返事をしず、どんどんスラファトの方へ歩いていく。


「ごめんなさい、お父さん! 私、何でもするから! 祭りを荒らすのはやめて! そして、昴介を放して」

「ほう……」


 そう言ってスラファトは琴と俺の顔を交互に見ると、


「まさかシェリー、この男に惚れているのか?」

「な、」


 それに対し、頬を赤らめる琴を見たスラファトは耳鳴りがするほどの大きな声で笑った。


「がははははは。冗談はよしてくれ。祭りにふらっとやって来た男とその日に恋仲になるなんてな。お前は見る目がない」


 スラファトは言い終えると、俺をその場に落とした。次は尻から落下し、かなりの激痛が体を襲う。


「昴介!」


 俺に駆け寄ろうとする琴の髪をスラファトが掴みあげる。


「痛い!」

「おい、よせ!」


 俺が立ち上がろうとするのを、スラファトはもう片方の手で押さえてくる。


「よせ? 何を言っているんだ? まだ理解できないのか? 俺に逆らうんじゃ

ない」


 お前もだ、と琴の方を見る。


「この男はもう放したぞ。俺の言うことを聞くんだろ? こいつに関わるな。汚らわしい」


 緊迫した空気が通りに流れる。周りの人たちもどうすればいいかわからず、その場に立ち尽くしていた。


 ただ、一人を除いて。


「スラファトさん」


 リゲルさんが人の群れから姿を現す。そして、スラファトの前まで歩み寄った。


「私は『星の祭典』協会会長のリゲルです。娘さんからご家庭の事情は聞いています。しかし、だからと言って会員でも何でもないあなたが祭りに踏み込んで来て荒らすというのはどうかと思うんですが」

「お前がリゲルか……。俺がお前の元に娘を送り出したのは人間友好なんて宗教に入れるためではないぞ」

「別に私はそんなことをしたつもりはありません。とにかく今日はお引き取りください。私とお話がしたいなら、また日を改めて。それでも帰っていただけないのならば、わかってますね」


 リゲルさんが片手をスラファトの顔の前にかざすと、スラファトは「ふん」と鼻で笑う。


「わからなくとも帰る。誰が好き好んでこんなところに長居するものか」


 スラファトは琴を横に抱え、来た道を引き返そうとする。


 俺が慌てて琴を取り返そうとするがリゲルさんに「今はやめるんだ」と止められた。しかし、そんな制止で俺がやめるわけなかった。


 俺はすぐに走り出す。だが、突然足元に小さな石が出現し、躓いてこけてしまった。


「あまり怪我をさせるような魔法は使いたくないんだけど」


 涙で視界がぼやけているが、遠ざかっていくスラファトの背中と、琴の悲し気な顔だけが見えた。

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