第7話 スラファト

「琴、大丈夫か?」

「うん、大丈夫」


 俺は琴の体を支えながら立たせ、二人で『星の国』の方を見る。


「あれは何?」

「わからない。とりあえず行ってみよう」


 琴の手を取り、俺たちは丘を下る。そして、町中へと戻った。


 そのとき、大通りの方から叫び声が聞こえてくる。よく耳を澄ますと、「シェリーはどこだ!」と言っているように聞こえる。ということはまさか。そう思った瞬間、イザールさんとエニフさんがこちらにやって来て俺たちの名前を呼んだ。


「こんな所にいた! 昴介青年! シェリー! こっちに来い!」


 それを聞き、俺はすぐに琴の手を取って二人の元へ行く。


「今何が起きてるんですか?」


 俺が尋ねると、エニフさんが答える。


「シェリーの親父が来て、娘を探しながら暴れてるらしい」

「え、お父さんが?」


 琴は顔を真っ青にする。俺は、大丈夫だ、と言い聞かせてエニフさんに続きを説明してもらった。


「駅前の店はあらかた壊されてしまったってよ。詳しい事情は聞いてねえが、ミラが早く二人を連れて来いって言ってる」


 そうか。ミラさんは彼女の事情を知っている様子だったからここにずっといても、すぐに父親に見つかってしまうだろうと考えているのかもしれない。確かに早くミラの店に行き、隠れた方がいい。少なくとも、ここにいるより遥かに安全だ。


「琴、行こう」

「うん」


 人混みを掻き分けながら、俺たち四人はミラさんの中華料理屋へ戻る。通りからは駅の方で暴れる大男の姿が見えた。


 あれが……。なんて大きな体なんだ……。


 イザールさんは俺が琴の父親を見ていることに気が付き、説明をしてくれる。


「あの男の名はスラファト。本当によく祭典の邪魔をしに来るんだわ。シェリーには申し訳ねえが、かなり嫌な奴だ」

「ううん、私は気にしてない。むしろ、私も嫌い。……あと、そのお父さんがあなたたちのお店を壊してしまってごめんなさい」

「いいって。あいつのことはみんな嫌いなんだ。それにまだ俺たちの店が壊されたか確認してねえからな。勝手に壊すなよ」

「……ごめんなさい」


 琴はイザールさんにそう返す。その顔は心の底からスラファトを嫌悪している顔だった。


 店に着くと、すぐにミラさんが扉を開けてくれる。


「さあ、入って!」


 ミラさんは俺たち四人が入ったのを確認すると、厨房に案内してくる。


「ここに隠れてください。昴介さんも」


 そう言ってミラさんは食糧庫の扉を開けた。きっと調味料のいい匂いが漂っているのかもしれないが、緊急事態なので今は何も感じられない。


「しばらくここに隠れていてください。もしものことがあれば、食糧庫の奥に裏通りに出る扉があります。そこから逃げてください」


 ミラさんが指差した先には確かに古びた、いかにも使われていないような扉があった。これを使うようなことが起きなければいいのだが……。とりあえず、俺は琴の手を引き、棚の物陰に身を潜めた。


 食糧庫の扉が閉じられると、外から明かりが入って来なくなり、室内は真っ暗になった。何も見えず、互いの息遣いだけが聞こえる。


「昴介……ごめんね。私が昴介を好きになってしまったばかりに、こんなことに巻き込んでしまって」


 顔が見えない琴の謝罪を耳が聞き取る。


「だから謝るなって。最初に好きになったのは俺の方だろ? それに、『星の祭典』にゲストとして呼ばれて再会できたのだって運命だよ」

「……ありがとう」


 琴が手探りで俺の腕を探し、抱きついてくるのを優しく受け止める。


「地球にいたときも、なんかこういうことあったよな」

「こういうことって?」

「一緒に逃げて隠れたときだよ」


 俺は地球で琴と過ごしていたあの日々を思い出す。あれはいつだっただろうか。まだ出会ってすぐの頃だった気がする。学校からの帰り道、ある家に可愛い犬がいるのを見つけた。確かゴールデンレトリバーとかいう種類だったと思う。リードで繋がれているとはいえ、門の近くにいたものだから、少しだけ敷地に入って琴と二人で撫でていた。俺がお腹を撫でたとき、突然その犬が吠え始めた。多分、お腹を触られるのが嫌だったのだろう。さらに犬が激しく起こった衝撃で、リードを巻いていたポールが地面から外れてしまった。さらにさらに、俺たちの方に牙をむき出しにして飛びつこうとしたので、俺たちは慌てて逃げたのだ。二人で結構な距離を走って、もう使われていないバス停の小屋の陰に隠れ、なんとか逃げ切った。


「言われてみれば、あったね。そんなこと」


 琴の笑い声が聞こえる。さらに彼女は、結局その犬どうなったんだっけ、と訊いてくるので、


「ちゃんと捕まえて、飼い主に謝りにいったじゃないか」


 それを聞いて琴はさらに笑う。俺もつられて笑う。バレないように静かに。


「いい思い出だね」

「まあな」


 本当にあの頃は楽しかった。琴がいた生活は眩しいくらいに輝いていた。今までとは全くもって違う。たったひとりで、こんなに生活が変わるのかと、驚いたものだ。


「初めて仲良くなったとき、昴介が私を学校から連れ出したんだよね」

「違うだろ。琴が俺を連れ出したんだろ」


 俺は、琴と初めて出会った頃の記憶を思い出した。


 文化祭の練習中に二人で学校を抜けだしたあの日は今でも鮮明に記憶に残っている。


 それにしても、あの頃は初々し過ぎて恥ずかしい。名前呼びスタートとか特に恥ずかしい。


 思い出に浸っていると、店が一瞬揺れ、外から大きな声が聞こえる。


「シェリーの匂いがする」


 太く、低い声。俺の手を握る琴の手が震えていたので、俺は強く握りなおした。


 俺にとっての最高の思い出を作ってくれた人を悲しませたくない。


「絶対に守ってやるからな」






 ミラは彼女にとって嫌な来客の対応をしていた。店の入り口より大きな大男。スラファトの相手だ。


「おい、ここら辺から娘の匂いがするぞ! てめえ、娘をどこにやった!」


 飛んでくる唾をまともに受けるが、ミラはそんなもので屈しない。


「何を言っているんです。私は知りませんよ」

「白を切る気か。調べさせてもらう」

「ええ、どうぞ」


 食糧庫ならきっと大丈夫。そう信じ、ミラはスラファトを中へ招いた。すると、スラファトは片手で机を倒したり、棚の扉を壊しながら開け始めたのだ。


「ちょっと! 壊していいとは言ってませんわ!」


 ミラが制止しようとスラファトの腕を引っ張ると、あっけなく払われてしまい、地面に倒れてしまった。


「そんなもん、同じだろうが」

「同じだあ?」


 店の隅にいたエニフが声をあげる。続いてイザールも、


「この店の炒飯食ったことねえ奴がそんなこと言う権利なんてねえんだよ!」

「あなたたち……」


 二人に目を付けたスラファトは私に背中を向ける。チャンスだ、とミラはすぐさま厨房へ向かう。それに気がついたエニフとイザールも何か策があるのだろう、と考えてくれたようで挑発を続ける。


「クソでかい体して、暴れるしか能がねえのか!」

「脳みそは小さいんだな! まあ所詮星だもんな。まず脳みそがねえ。空っぽって話だ!」


 二人がスラファトの相手をしてくれている間にミラは鍋を取り出し、いつもの手順で炒飯を作り始める。いつもと違うのは火力が二倍であることだけだ。


「あれ? 何も言い返せねえのか?」

「言葉もわからなくなったんだな!」

「お前ら……誰に向かってそんな口を聞いている?」


 スラファトは太い二つの腕でエニフとイザールを持ち上げる。そのまま店から出て行き、二人を向かいの屋台に向かって投げつけた。


 外から聞こえる叫び声に不安を感じながら、仕上がった炒飯を鍋ごと厨房から持ち出し、店に背中を向けているスラファトの名を呼んだ。


 すると、スラファトがこちらを向く。


「うちの炒飯、食べてみます?」


 ミラは鍋をスラファトに向かってフルスイングし、中に入っていた熱々の炒飯をミサイルのごとく、スラファトの顔に振りかけた。


「あつっっっ! 貴様よくも!」


 真っ赤顔になったスラファトを見て、ミラは鍋を構えた。

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