第11話 私がいつか変われるというのは私に対する侮辱だ。裏切りだ

 さて、相沢さんと真剣に向き合うことを決めた私だが、非常に私自身が私に対して気を使う交際となった。

 誰かと家族になりたいという気持ちはあるものの、やはり恋愛は嫌だ。しかし相沢さんと付き合うということは恋愛の世界の中心に身を置いていることと同義である。

 意識してしまうと途轍もなく嫌な気持ちになって相沢さんと付き合うどころではなくなってしまうため、私は私なりに恋愛はしていないと自分に言い聞かせる努力をした。


 まずは相沢さんの呼び名だ。

 普通は彼氏などと呼ぶものだが、彼氏という言葉自体が恋愛の色を強く孕んでいる。これはいけない。

 そこで私は相沢さんのことを『相方』と呼ぶことにした。

 関西圏であれば実際に恋人のことを相方と呼ぶらしいと聞いたことがあったが、私の住んでいる東京では相方と聞いて恋人を想像する人は少ない。

 けれど一緒に何かをするパートナーの意味はつき、特別な関係であることは示せそうだ。この言葉はしっくりきた。


 次に序列だ。これまでもそうだったが、私にとって最も大事なのは小説を書くことであり、ゲーム会社に入ってからはそこに仕事も含まれるようになっていた。

 相方がこれより上になることはないと自分で認識し、そうであっていいと受け入れ、相沢さんにもきちんとそういう序列だからと合意を取った。

 私の経験上、恋愛相手は私のことを一番に考える人達ばかりだった。だから私にとっては、相手のことを一番だと思わなければ全くもって恋人らしい関係ではなくなる。受け入れられそうだ。


 そして重要なのが会う頻度。

 頻繁に会うと小説を書く時間が取れなくなり、結果として先程定めた序列のバランスが崩れてしまう危険性が高くなってしまう。だからどんなに暇な時でも、会うのは一週間に一回だけと決めた。

 土日両方がフリーでも、会うのは片方だけ。平日にもし会うことになったら土日は会わない。これなら自分の時間をきちんと保てる。辛くなってしまうことはないだろう。


 そうやってまるで執事とお嬢様を一人二役で演じるようにして自分の心と対話を続け、私は相沢さんが嫌にならないでい続けるための手法を探っていった。

 実際この心の対話はかなり有効だったのだと思う。私が二年間も相沢さんと付き合うことが出来たのは、相手に流されず無理をせず、自分に対して正直に在ろうとしたからだった。


 そして最後に拘ったのは相沢さんときちんと喧嘩することだ。

 実際別れるまでの二年と三ヶ月もの間、私達は数え切れないほど喧嘩した。喧嘩といっても、相沢さんはいたって穏やかな人だったため、私が一方的に怒りまくり、相沢さんが謝るという形が常だった。

 これはハートの強い人からすればなかなか理解出来ないことなのだそうだが、私という人間は感情が高ぶると何故か涙が出るように体が出来ている。周囲に聞いたところ、他の女性も同じような経験があると口にした。性差があるものなのかは知らないが、とにかく怒ると漏れなく泣いてしまうため、喧嘩は常にLINEで行っていた。


 ただの自伝にここまで文字数を割いている時点で察しているかもしれないが、私は人に注意したり文句を言ったりする時に非常に長文になる癖がある。LINEの投稿文が千五百字程度になるのはざらだった。

 とりあえずスマートフォンのメモ帳に言いたいことを書き綴り、それをコピペでLINEに投稿する。

 十二歳の時からとにかく自分の考えていることを出力することだけを考えて文章を書いてきた私は、自分の考えをそのまま文章にすることが得意であった。

 怒っていればそれだけ文章もきつくなり、誹謗中傷とまではいかないものの、並の人間だったら心が折れてしまうのではないかと思うほど結構な文章を送っていた。

 もちろん文章を丸めることは出来たが、私の目的はたとえ理不尽であっても自分の辛さをぶつけて喧嘩をすることだった。だから一切感情を偽らなかったし、相沢さんがそれを受け取って怒ってくるなら受け止めるつもりでいた。


 しかし相沢さんは「惚れた弱みだよ」と言いながら、私のきつい言葉をすみませんでしたと受け止めていた。

 相沢さんも私の意図はわかったようで、真剣だからこそ向き合おうとしてくれたのだと思う。


 幾度となく喧嘩していく中で、私も彼も印象に残ったやり取りにこういうものがある。


「私がいつか変われるというのは私に対する侮辱だ。裏切りだ」


 付き合い始めて一年くらい経った頃だっただろうか。相沢さんは一年の記念や仕事の忙しい私を労うつもりで温泉旅館を予約してくれたのだが、そこですれ違いが起こった。

 私としては混浴でなければ大浴場で全く問題なかったのだが、相沢さんは気を使った結果室内に温泉の湧く木桶風呂のある部屋を取っていた。

 それだけならまだよかったものの、相沢さんは「一緒に入りたいから水着を持ってきてほしい」と言ってきたのだ。


 本当に腹が立った。私にとっては水着を求められることは裸を求められるも同然だ。水着を着れば体のラインが出るし、何よりも二人きりで水着姿を見せるというのは自然と起こるシチュエーションではない。

 仮に相沢さんにその気はなかったとしても、私には裸が見たいと言われて、どうしても性的な目で見られているように感じてしまった。


 性欲のない世界。そんな世界は人間として生きている限り実現されないが。

 それでも妥協策として私は性欲を意識しないで済む環境を手に入れたいと考えていた。そのために相沢さんには性的な物を感じさせることをしないでと言ったのに、水着になってほしいと言われた。


 私は、私にとって異性の前で、それも二人きりの状況で水着になるということがどういうことか相沢さんに説明し、絶対に嫌だと伝えた。

 相沢さんはそれはわかった、本当に申し訳ないことをお願いしてしまったと心から謝ってくれたのだが、また別の話をした時にせっかく私が収めた怒りを再炎上させることを私に言った。


「君はそう言うけど、いつか変わるって信じてるから」


 それで私は先程記した発言に至ったのである。


 ここまでこの話を読んでくれた人ならば、私がいかにAから抜け出せずに苦労してきたことがわかるだろうし、私が本気で腹が立ち感情に任せて「裏切りだ」などと送りつけた心情も少しは理解出来るだろうと思っているのだが、実際これほど丁寧に自伝を書くのは初めてだし、いくら自分では言葉を重ねたつもりでも、たった十分かそこらの会話で私がしてきた苦労を全て伝えきるなど不可能に決まっていた。

 相沢さんがなかなか私の心情を想像出来ないのも無理はないのだと、この喧嘩を通して私は知った。

 これまでの私なら「わかってくれない! わかってくれない!」と憤慨して相沢さんのことは即座に振っていただろうが、それでは正しい喧嘩とは言えない。私には相沢さんが「いつか変わる」などと言えた背景を考える必要があった。


 根本的な価値観の違い。Aかそうでないかで、性欲が自分の中に普通にあるものか、殺意と同等の理解しがたく恐ろしいものなのか捉え方が変わる。

 私にとっては性欲はないのが普通なので、当然ない状態を容易に理解出来るものだと思ってしまう。

 しかし相沢さんにとってはあるのが普通なので、ない状態を維持する方が奇妙に感じるようだ。

 Aと言った私のことは初恋に目覚める前の子供と同様に、いずれ成長して変化するものだと思ったのだろう。

 そこまで想像がつき、納得した私はもう一度相沢さんに自分のことを説明した。これまで必死で変わろうとしてきたこと、結果どうしても上手くいかなかったこと、私が一番変わりたかったこと。

 何度も何度も、何度も言葉を変えアプローチを変え、説明した。それでようやく相沢さんは「変わる」という考え方を捨ててくれた。


 ここまでの流れでわかったかもしれないが、相沢さんは非常に察しが悪く、うっかり約束を忘れてしまう人であった。

 本人に悪気はないのだが、会うのは一週間に一回と最初に決めていたことも忘れ、平日に会った後に土日の予定を聞いてきたり、土日会った後に平日に会わないかと誘ってきたりした。

 その度にまた喧嘩が起こり、相沢さんが全力で謝ることになった。


 そこまで物分かりが悪いのならさっさと振ってしまえばいいじゃないかと思われたかもしれない。しかし振らなかったのは私の方にも理由がある。

 というのも私は私で相沢さんを結構気に入っていたのだ。

 ゲームやリアル脱出ゲームといった遊びの趣味が会うのはもちろんのこと、仕事で成功するとお祝いに美味しい店に連れていってくれたし、肩も揉んでくれた(肩もみは親子でも普通にすることなので平気だった)。

 また約束を破ってしまう不器用さも裏を返せば小細工の利かない人ということを意味する。相沢さんが浮気をしようものなら気づける自信はあったし、そもそもしてしまったら我慢しきれずに自分から言い出すタイプだろうと思った。

 イライラするところはあっても、肝心な部分では信頼出来ると思った。

 何よりもあんな長文な喧嘩LINEを文句も言わずに受け止め、不器用なりに私を理解しようとしてくれている姿勢に誠意は感じられた。わかろうとしてくれるその気持ちは、これまで様々な拒絶を経験してきた私にとって非常にありがたかったのだ。


 一年間はかなり上手くやれていた。しかし、二年目に入って私の体に不可解なことが起きた。

 理由はわからないが、相沢さんの言葉で私は心身に大きなダメージを負ったのである。


 確かきっかけとなった言葉はこうだ。


「仕事、充実してるみたいでいいけど本当に忙しそうだね。ちょっと心配」


 後から振り返っても何でもない言葉だった。傷つける要素は何一つない、心から心配する言葉だった。

 状況も、いつもの通りに脱出ゲームに出掛け、晩ご飯を一緒に食べ、電車に乗るために駅のエスカレーターに乗りながら他愛ない会話をしているという、普通だったら会話したこと自体忘れてしまいそうな、特筆することもないシチュエーションだった。

 ただその言葉を受け取ってから明確に私は体調を崩したのだ。


 まず、その日はわけもわからず泣きながら帰った。家でも家族がいない場所で泣いていた。

 強烈に疲れを感じたので早めに床に就いたのだが、翌朝起き上がるのに苦労するほど体が重かった。ご飯を食べ、普通に出社するだけで重労働だった。

 会社のPCを立ち上げて、先週まで書いていたシナリオのプロットを確認するも目が滑って内容が入ってこない。体がしんどくてどうしても涙がこみ上げ、慌ててトイレに駆け込んでは十分ほど泣いて、またデスクに戻ってくる。


(これって世にいう鬱病だったりするのかな……)


 精神病について何も知らない私は、結局その時の不調を示す言葉を知らずに今に至るのだが(適応障害の方が近いのかもしれない?)、とにかく経験したこともない倦怠感と勝手に涙が出てくる現象に顔を青くした。

 というのもその時まさに私が書いていたプロットは初めてのイベントシナリオで、この仕事が成功するかしないかによって今後私に任される仕事が大きく変わってしまうほど重要なタスクだったのだ。


 実際、私はこの時体力面でも少し無理をしていた。

 睡眠時間を削ったり、食事をおろそかにしたりということはなかったが、イベントシナリオを書くために通常業務を行いながら一ヶ月の間に漫画を約百冊、映画を二十本以上観なければならず、昼休みのちょっとした時間にスマートフォンで電子書籍の漫画を読み、土曜日には映画を三本借りてきては観て、日曜日は相沢さんと一日遊ぶという忙しない日々を送っていた。

 それは夢だったライターの仕事に就いて、初めて巡ってきた大チャンスを成功させたいという執念によるものだった。

 わりと人生をのんびりと過ごしてきた方の私にとっては、かなり負担のある生活だった。


 その疲れも溜まっていたのだろう。だが、だからといってチャンスを逃すのは絶対に嫌だと思い、私は気力で先週まで書いていたプロットを読み、鉛のように重い指先を懸命に動かして続きのプロットを書いた。

 相変わらず体はしんどく、頭の中は霞がかかったようだったが、一番好きな作業である物語を書く作業はどうにか進めることが出来た。

 翌日も、その翌日も体が辛いのは変わらなかったが、何とかプロットを書き上げることが出来た。


 尋常でない倦怠感と涙が出てしまうメンタル状態は五日ほどで元通りと言っていいほど良くなったため病院にも行かなかったのだが、こんなことが再び起きてしまっては今度こそ仕事に支障が出兼ねない。

 私は何故そんな状態になってしまったのか、自分との対話を始めた。というより、勝手に始まった。


 突然なのだが、私の中には現実を生きる私とは別に、もう一人別のことを考えている『私』がいる。

 これは二重人格やイマジナリーフレンドといった特別なものでもなんでもなく、自分を励ましたり客観視したりしようと思った時に使う、自分を外側から観察している目のようなものだ。

 恐らく自分を見つめようと考えたことがある人間なら一度はその視線を感じたことがあるのではないだろうか。

 私が『私』の存在を明確に認識したのは大学の時であったが、殆どの場合『私』は私が普段考えている小説の登場人物を形作っていた。

 しかし小説が上手く書けなくない時、或いは書くのを怠けている時、それは私の姿を取ってただ無機質に「書け」とだけ言ってくる。

 そんな熱も実体もない存在だったのだが、私が体調を崩した時、初めて『私』が今まで見たことのない剣幕で怒りまくっていたのだ。私はこの時、『私』の正体が私自身の深層心理が具現化したものであることを知った。


 『私』の言い分はこうだった。


「何が「ちょっと心配」だ。一体私の何をわかって心配だというのか。ぽっと出の男に私を心配される筋合いはない!」


 我ながらなんて面倒臭い女なんだと思った。要するに私は相沢さんから心配されたことに腹を立てていたのだ。

 勿論元々仕事で疲れを溜めていて、どこかのタイミングで破裂してもおかしくない状態だったのかもしれないが、トリガーとなったのは間違いなく相沢さんの言葉だった。

 『私』という深層心理は、なかなかアセクシャルを理解しない相沢さんのことを「ぽっと出の男」と罵って拒絶してしまっていたらしい。

 だからどんなに仲が良くて心を開ける相手でも、自分のデリケートな部分まで踏み込んでくることは許せなかったようだった。


(いや、そんなこといっても誰でも最初は他人なんだし、『私』より長い付き合いの男なんて作れるわけないし、こればっかりは時間をかけて私の中で信頼を築いていくしかないよな……)


 そういう本心には気づいたものの、私はやはり変わりたかった。アセクシャルなりに人と付き合う妥協点を見つけたかった。

 今は駄目でも、なんとかして相沢さんとの関係を続行し、心から信頼出来るまで時間をかけて付き合うしかない。

 すぐに信頼出来ないのはなかなかアセクシャルを理解しない相沢さんにも問題があるとはいえ、元を辿れば勝手にトラウマを作って勝手に不信感を溜めていった私が悪いのだし、私が他のセクシャルマイノリティーを理解していなかったように、相沢さんを理解出来ていない部分は確かにあるのだ。

 そこはお互い様と許すべきだろう。

 既に触れないなどの約束を守ってくれている相沢さんを責めるわけにはいかない。これで別れようと言い出すのはあまりに時期尚早だ。


(でも今は何を差し置いても仕事第一だから、安全策を取りたいかな……)


 そう思った私は相沢さんに、今は疲労が溜まっていて何気ない一言で体調を崩しやすい状態にあることを正直に伝え、仕事が終わる三ヶ月もの間、会うのをやめたいと伝えた。

 相沢さんはかなりしんどそうな文面ではあったものの、仕事を優先したい気持ちを汲んでくれ、三ヶ月間会うのを我慢すると言ってくれた。


 お陰で私は無事に初のイベントシナリオを完璧に書き終えることが出来、社内外から高い評価をもらって、以降も度々イベントシナリオを任せてもらえるようになったのだった。


 三ヶ月の間にもバレンタインデーにはチョコレートを贈ったり、ホワイトデーにはお返しをもらったりと郵送でのやり取りはあった。

 しかしLINEでの会話は殆どせずに過ごし、私はその間誰かと付き合っていることをすっぱり忘れることが出来た。

 疑似的にも恋愛の世界から解放された私は、仕事を無事に終えた達成感も相まってすっかり元気になった。そしてまた元のように相沢さんと一緒に遊ぶようになった。


 しかし、私の不調は一度では終わらなかった。この時ほどではなかったものの、相沢さんの私を心配する何気ない一言で、どうしようもないほど心が折れたり、酷く疲れたりし、その度に一ヶ月間会うのをやめるといった形で距離を取った。

 相沢さんは私をそういうメンタルの人間だと受け入れたようで、三ヶ月距離を置いた以降は一ヶ月くらいなんでもないと私の要求を受け入れてくれた。


 そんな調子で元気になっては駄目になって距離を置くというサイクルを何度も繰り返した。

 私は私でそんな自分を情けないと思ったのだが、正直な話、相沢さんにも私に負担を作る原因はあったのだ。

 何度言っても相沢さんはふとした拍子に肩が触れ合う距離に座ってきたし、これは相沢さんに非はないが、例のおりものの臭いはプンプンとしていた。

 いつか慣れるだろう、時間が経てばきっと、そうやって自分を慰めて、『私』が怒って暴れ出さないよう騙し騙し相沢さんと付き合っていくうちに疲れが溜まってしまう。だからある時爆発してしまう。

 時間をかけても、彼氏ではなく相方と呼ぶといった具合で振る舞いを工夫しても、肝心なことに慣れることは出来なかったのだ。


 そうするうちに気がつけば交際を始めてから二年が経った。

 私が付き合い始めたのは2017年の4月30日だったが、相沢さんはそのちょうど二年後、2019年4月30日にちょっと雰囲気のいい店に私を招待すると、プロポーズしてきた。

 偶然にもその日は平成最後の日であり、相沢さんはこういう区切りの日にプロポーズをしたらきっと一生の思い出になると考えて、急遽プロポーズすることを決めたらしい。


「でも急に決めたし、婚約指輪も用意出来てなかったから仮ね」

「仮なの?」

「仮だけど、気持ちは本気だよ。受けてくれる?」


 自分でも意外だったのだが、私はこのプロポーズが本当に嬉しかった。

 彼女という恋愛のくくりにいる恋人ではなく、本当の家族になれるのだと思ったら胸が温かくなった。

 こんなに幸せな日を私が迎えられるとは思っていず、夢でも見ているようなふわふわした心地よさに包まれていた。


「じゃあ……仮なら」


 相沢さんは照れくさそうに笑った。仮だったので誰にも言わなかったが、事実上の婚約だった。


 実は、私は彼が指輪を買おうと意識していることは知っていた。

 しかし本当にプロポーズを受けたらどうしようという迷いから、そのフラグを丁寧に折ってきていた。

 あ、この人私の指の号数を知りたいんだと思ったのは、プロポーズを受ける二ヶ月前の、私の誕生日のことだ。

 相沢さんは私をジュエリーショップに連れていき、誕生日だから何か買ってあげると指輪を手配してくれていた。

 ここで彼の意図は察したものの、「指輪はつけないから要らない。ネックレスなら毎日つけるからそっちにする」と言って、結局ネックレスを買ってもらった。


 そんな状態だったので、プロポーズを受けて嬉しいと思ったことは、自分でも本当に意外だった。

 しかし結局私はこの後、相沢さんを振ることになる。


 理由は、また私の体の調子がおかしくなったからだ。

 きっかけは覚えていない。何度も不調に陥っていたからいちいち覚えていられなかった。

 私は再び相沢さんと一ヶ月距離を置くことにし、その間に自分の今後について真剣に考えることにした。毎日何度も、『私』との対話を続けた。


 『私』は結婚について反対していた。理由は明確で至極簡単なものだった。

 どんなに注意しても、相沢さんは気を抜いた時に隣に座るじゃないか。私は常に苦手な臭いを感じているじゃないか。体調を崩しているじゃないか。

 一週間に一度しか会わないでこんな状態なのに、一緒に暮らせるはずがない、と。


 全くその通りだと思った。私の深層心理はどこまでも冷静に事実を見て、自分にとって本当に必要な物は何か判断していた。


(結婚するわけにはいかない……。そして、向こうが結婚という言葉を口にした以上、付き合い続けるわけにもいかない……)


 かなり重い選択だ。強引に告白してきた時点でわかった通り、相沢さんは上島君タイプの人間だ。

 恐らく強く突き放さなければ別れたことを心が理解しない。中途半端にすればまた「やっぱり付き合わない?」と言われるだろうし、やり方を誤ればストーカーになって私を脅かす存在になり兼ねない。

 だから友達として関係を続けることは出来ない。別れるということは二度と会わないことを意味する。


(どうするべきなんだろう……?)


 結婚し、温かくも苦痛の伴う幸せを手に入れるか。

 ここで別れ、体調を崩すことなく安定して仕事を続け、一生一人で生きていくかもしれない未来を歩むか。


 その二択になれば迷う余地はなかった。二年の月日が経っても、私にとって一番大事なものは執筆であり続けていた。

 私は相沢さんから借りていたゲームソフトを手頃な紙袋に詰めると、別れを告げるための手紙を書いた。


 告白は口頭だったのだから、別れも口頭でなければフェアじゃない。しかし相沢さんにはこの一ヶ月の間に考えた別れる理由の全てを伝える必要がある。

 それは口頭で伝えるにはあまりに長く、涙を流さずに伝えきるのは無理だと判断した。だから手紙にしたためることにした。

 手紙なら余すところなく、どうしても受け入れらなかった部分と二年以上付き合った感謝を伝えられると思った。


 私は少し感覚が古い人間なので、手紙は手書きに拘った。決して綺麗ではない字で、一発書きで別れる理由について書き綴った。手紙は便箋三枚にまで渡った。

 折り畳み、封をし、ゲームソフトを入れた紙袋にそっと差し込んだ。


 そして会わなくなってから一ヶ月が経ち、次のデートの約束をしていた日が訪れた。

 その日は前々からリアル脱出ゲームに行くと決めており、完売する前にと早い段階でチケットを予約していた。

 ゲームをしていたかアニメを観ていたか理由は忘れたが、私達はその頃リアル脱出ゲームには何ヶ月も行っていなかった。


(そういえば、相沢さんと初めて一緒に遊びに行ったのもリアル脱出ゲームだったっけ?)


 別れ話を切り出そうと思った日が初日と同じシチュエーションだなんて何の因果かと自嘲しながら、脱出ゲームの会場に向かった。


 忘れもしない。明治神宮駅から会場へ向かう途中のことだ。

 会場は何度か行ったことがある場所なので、道順は覚えていた。

 駅構内から地上へ上がる階段の前で私は初めて足がすくんで止まる経験をした。


 この先へ行ったら。

 相沢さんと会ってしまったら。


 別れなければならない、その時が迫っているのだと気づき、前に進めなくなってしまったのだ。


 ああ、なんで別れなければならないのか。吐き気と涙が同時に込み上げてきた。


 この時になってようやく気づいたが、私はどうやら相沢さんのことを人として愛していた。

 好きだった。

 少女漫画で見たようなときめきも何もなく、それが恋愛感情と呼ぶに相応しいかどうかはわからなかったが、人として相沢さんのことを確かに大事に想っていた。

 二年と三ヶ月、周囲からは手も繋がないでハグもしない関係って恋人になる意味あるの? と無神経に問いかけられても「自分達がこれでいいからいいんだ」と跳ね除け、自分達なりの正答を見つけ出そうと互いに探り探り関係を深めて、私達なりに上手くやろうとしてきた年月で、私は初めてちゃんと人を好きになることに成功していたのだ。

 恋愛感情がないなんて人間じゃないと、私の心に愛なんて存在しないと決めつけてきた前職のパリピ達の言葉を覆したのだ。


(ああ……なんで別れなきゃいけないかなぁ?)


 人通りのまばらな休日の夜の明治神宮駅構内で、私はティッシュを出して涙を拭き、鼻をかむ。


 いっそ別れ話をするのをやめようか。相沢さんは私が別れ話をしようとしていることに一ミリも気づいていないだろう。ここでやめれば何もなかったように付き合い続けられる。

 そんな風に心が折れそうになった。

 けれど、もう苦しいのは嫌だった。体調を崩すのは二度とごめんだった。

 幾度となく一ヶ月時間を置いて元気になって、疲れてしまう自分を誤魔化し続ける情けない自分をやめたかった。これ以上、悩みたくなかった。


 別れる、そう決めてここへやってきたのだから。


(でも、もしAじゃなかったら結婚出来たかな?)


 ではなく、どこにでもいる、ごく普通の彼氏と彼女になって。


(Aじゃなかったら普通にキス出来たかな?)


 少女漫画のように、甘い気持ちのまま胸をときめかせて。


(Aじゃなかったら全部満たしてあげられたかな?)


 たまに映画で見るベッドシーンのように、服を脱いで肌を重ねて、一つになって。

 水着姿になっても起こらず、裸を見せ合い、互いに体のほくろの位置を確かめ合うような関係になれていたかもしれない。


 考えれば考えるほど涙は止まらなくなる。

 この後相沢さんに会うというのに、薄い化粧が崩れてしまったらどうしようか。目が腫れてしまったら心配されるだろうに。


 それでも、考えずにはいられない。

 Aじゃなければ。Aじゃなければ。




 もし私が、Aじゃなかったのなら。




 けれど、私はAだ。どんなに願望を抱いても、変えようとしても、私はAなのだ。その現実は私が私である限り決して覆ることはない。


 それに、恐らく私はAじゃなかったとしても相沢さんを振る決定をしたのだと思う。なんとなく恋愛というものはそんなもののような気がした。


(行かなきゃ。もしものことを考えたってしょうがない)


 ここで関係を引きずっても、更に辛くなる未来しか見えない。何よりも相沢さんのためにならない。

 互いに次のステップに進むために、関係はすっぱり断ち切るべきなのだ。


 気が済むまで泣いたお陰か、止まってしまっていた足は前に進めるようになっていた。深呼吸して、夏の温い夜風で顔の火照りを冷ましながら、私は会場へと向かった。


 薄暗い路地裏にある会場の入り口に着くと、相沢さんがいつもの笑顔で出迎えてくれた。




 最後の脱出ゲームは私と相沢さんの勘が冴えわたり、気持ちがいいほどの『脱出成功』で終わった。

 私と相沢さんはいつもの通り今回の公演も素晴らしかったと感想を言いながら、会場を出た。


 さぁ、いよいよ別れ話を始めなければならない。当たり前のように明治神宮駅まで送ってくれる相沢さんの一方後ろを歩きながら、私は機を伺った。


「次はいつ遊べる?」


 何気なく相沢さんがそう尋ねてきた。私は少し口ごもってから、今しかないと持っていた紙袋を差し出して言った。


「次は……ないです。私は今日、別れ話をするためにここへ来たんです」


 相沢さんはまさに寝耳に水と言った様子で、呆気に取られていた。

 仮とはいえプロポーズまでした相手だ。このタイミングで振られるなど思ってもいなかったのだろう。

 事実、相沢さんは急に何か納得したような声を出すと、私にこう尋ねた。


「別れるって距離を置くってことだよね? また一ヶ月?」


 ああ、この察しの悪さだ。私は一人で納得する。

 ここまで察しが悪いから相沢さんは何度言っても私の隣に座ってきたし、「いつか変わるって信じてるから」なんて無神経なことを言えたのだ。

 私はこの察しの悪さで何度も傷つけられて、体調を崩してきたのだ。


「違います。別れるっていうのはそのままの意味です」

「恋人をやめるってこと? 遊びに行くのは?」

「しません。別れたらもう二度と会いません」

「……本気で言ってる?」

「本気です。理由は紙袋の中の手紙に書いたんで、後で読んでください」


 半ば押しつけるように、借りていたゲームソフトの入った紙袋を相沢さんの手に握らせた。

 数秒の間があって、相沢さんはようやく状況を理解したようで、すぅと一筋の涙を流した。


「そっか……。ごめん。本当にごめん」


 それきり、相沢さんは黙り込んでしまった。


 明治神宮駅まで見送ってもらい、私はいつもの通り改札を通って相沢さんと別れた。「お疲れ様です」とデートの終わりに毎度言っていた挨拶を口にしながら手を振って、颯爽と駅のホームへ向かった。


 よく人を振る時の女はあっさりしていると言う。確かにその通りだった。

 相沢さんは泣いていたが、私は一滴も涙を流さなかった。

 当然だ。行く前にあれだけ葛藤して、人目もはばからずに泣いていたのだから、今更流せる涙は残っていなかった。


 空いている電車に一人で乗って、私はやり切った気持ちで深呼吸した。


 こうして四人目である彼との関係は終わった。

 あまりに察しが悪くて一緒にはいられないという、初めて人間らしい理由で人を振った気がした。


 そして、もう恋愛は当分の間いいかなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る