第8話 なんで皆、彼氏や彼女がそんなに欲しいんだろうね?
夏目さんと別れてからというもの、私はすっかり恋愛という言葉に過剰反応するようになっていた。自然に恋愛アレルギーだと自称するようになるほど、恋愛という話題を振られる度に嫌悪感を露わにしていたのである。
私は夏目さんとの交際を職場の先輩に話していたため、別れたことも伝えた。
あんなにいい感じだったのにどうして別れたのかと根掘り葉掘り聞かれるのもうんざりしたし、その後「私の旦那の知り合いがお見合いパーティーを開くんだけど、来る?」というお節介をかけられたため機嫌を悪くした。
あまりにも露骨に恋愛を嫌うので、私の反応は職場の飲みの席でも弄られることになった。
「なんで霜月はそんなに恋愛に対して目くじらを立てるんや?」
標準語が恋しくなるほど耳に馴染んだ名古屋弁で上司が私に尋ねてきた。
そんなに嫌うものでもないやろ、一体何があったんやと執拗に尋ねてくるので、私は大川君、飯村さん、夏目さんの話をした。
さすがに夜の営みがどうだったという話はしなかったが、一方的に信じられないほど好きになられ、それに応えられない自分が毎度嫌だったという話をした。
(どうせまた、人間じゃないとかおかしいとか好き勝手言われるんだ……)
話した後でそんな風に落胆していたのだが、上司から返ってきた言葉は意外なものだった。
「そんな恋愛しかしてないなら、恋愛が嫌になっても仕方がないわなぁ」
私は思わず上司の顔を凝視した。これまで無責任だと思えるほどの否定的な意見しかもらったことがなかった私にとって、共感されるというのは初めての経験だった。
「本当にそう思いますか?」
「恋愛って普通はもっと気楽なもんや。初恋や二番目の恋ってのはどうしても重くなるやろ。普通に楽しむだけの恋愛が出来たら霜月の認識も変わりそうやけどな」
そういうものだろうか。実感は湧かなかった。私の経験と照らし合わせれば、ただ楽しいだけの恋など存在しないのだから。
常に我慢が付きまとい、私がおかしいという嫌な感情に苛まれながらの関係だった。
(この上司、皆から評判がいいのは知ってたけど、本当に話のわかる人なのかも)
気を許した私は一度だけ部署の飲み会の二次会に参加したことがあった。
二次会はカラオケだったのだが、そこでは同僚のおじさんが酒に酔って楽しそうに歌いながら、私に大きな顔をぬぅと近づけてきた。
異性に接近されるだけで嫌だった私は必死でテーブルにあったメニューでガードしたのだが、周囲の人達はじゃれ合っているとしか思わなかったようで、誰も止めに入らなかった。上司ですら呑気に笑っていた。
(仕事も合わないし、この会社辞めようかな……)
誰も助けてくれない状況で、私はぼんやりとそう考えた。
後に転職先の同僚から聞いたのだが、同僚のしてきた行為は世間的にセクハラと呼ばれるものだったらしい。
夏目さんと別れてから、私はある男友達と頻繁に会うようになっていた。
彼は馬場さんといい、私より三つ年上だった。初めて会った時は絶対に年下だと疑わなかったほどの童顔で、体も小柄、言動にも幼さがある人だった。
馬場さんも夏目さんと同じでオフ会メンバーであり、実は次に付き合うのは夏目さんか馬場さんだと思っていたほどすぐに仲良くなっていた。
しかし馬場さんは何度会って会話をしても私に好意を寄せてくることはなかった。
一方で非常にわかりやすいアプローチを夏目さんから受けていたため、私は早々に馬場さんを次の彼氏候補から外していたのだった。
馬場さんは私が夏目さんと別れたと知ると、私に連絡を取ってきた。よかったら一緒に喫茶店に行かないかと誘う内容だった。
オフ会の場で知ったのだが、馬場さんには音楽やCGのイラストという創作の趣味を持っており、一緒に作業しないかと言ってきたのだ。
それは楽しそうだと思った私は、ノートPCを持って指定された店へ行った。二人で思い思いに創作している時間は楽しかった。
(こんなデートがあったら理想的だな)
と会う度に思ったほどだった。
しかも馬場さんは私の小説に興味を持ってくれ、どんな長編でも、或いはくだらない短編でも、熱心に読んでは丁寧な感想を送ってくれた。
当時スランプだった私だが、創作をする上で心強い仲間を得て、創作への情熱も取り戻せたのだ。
馬場さんと私は創作以外にも、一緒にパフェを食べに行ったり、馬場さんの運転する車でドライブに出掛けたりとそれなりに濃密な時間を過ごした。
しかし遂に馬場さんから恋愛感情の気配を感じ取ることはなかった。
(こんな風にサシで遊んでいたら、もう好きになられている確率が高いものだけど……)
何ヶ月が経っても馬場さんの態度は友達に対するそれだった。私にとってはありがたいことであったが、同時に奇妙にも思えた。
だがその理由は後に意外な形で明らかになった。
馬場さんはやや空気が読めないというか、少し話しただけでわかるほどの変わり者で、オフ会で孤立しがちだった。
しかし彼にはバーベキューやスポーツを一緒に楽しむ仲間達がいた。私は馬場さんと仲良くするうちに彼の誘いに乗り、河川敷で開かれたバーベキューに行って沢山の知り合いを作るようになった。
最初こそ馬場さんとは二人で遊ぶことが多かったが、やがてバーベキューの場で知り合った馬場さんの仲間とも遊ぶことが増えた。
皆と一緒にスポーツ施設まで出掛け、バドミントンやボルダリングといったあまり慣れ親しんでいないスポーツも楽しむこともあった。
そんなバドミントンをして気持ちいい汗をかいた帰り道のこと。帰る方角が一緒だった私と馬場さんは駅のホームで二人きりになっていた。
誰もいないベンチに並んで座りながら、今日一緒に遊んで楽しかったね、と小学生のような会話をして笑い合っていた。
「夏目さんとは何かあったの?」
不意に馬場さんが訊いた。私は上手く好きになれなかったという話をした。
人としては好きだったが、恋愛感情があったのかどうかは今となっては自信がない。だから上手くいかなかったんじゃないかと。
馬場さんはうんうんと頷きながら話を聞いて、「そうだったんだね」と一言答えた。
馬場さんは親身だったが、やはりこの時も恋愛感情を私に向けている気配はなかった。本当に奇妙だなと思っていると、馬場さんは何を思ったのか、突然こう言った。
「会社でもさ、なんで彼女作らないのかって凄く聞かれるんだよね。けど僕にはどうして恋人が必要なのか、わからないんだ。なんで皆、彼氏や彼女がそんなに欲しいんだろうね?」
ずっと私が思っていたことを代弁してもらえた気分だった。
人間じゃないだの虚言癖だのと否定されてきた私にとって、ドンピシャの共感というのは初めての経験だった。
(もしかして、この人は……)
どうしても確かめずにはいられなかった。しかしAというワードを出したところで知らない可能性は高い。だから遠回しに訊いてみた。
「私、どうしても夏目さんとヤれなかった。出来なかった。どうしてしたいのかわからなくて、気持ち悪いって思ってしまったの」
「夜のあれかぁ。僕もヤったことはないし、ヤりたいと思ったこともないかな」
予感は確信に変わった。
二十八歳という年齢にもかかわらず、彼は人生で一度も欲情したことがなく、憧れてすらいないのだ。いちいち私の変わった感覚を説明しなくても、わかってくれるのだと直感した。
彼は私と同じ、性欲とは無縁の世界で生きているAだ。
アセクシャルという言葉を知ってから六年の月日が流れていた。私はようやく百分の一を引き当てたのだ。
「よかった、わかってくれて……。もう、嫌だったんだよね」
「嫌だよね。皆何かあれば恋人の話ばかりだ。要らないって言ってるのにしつこいよね」
「本当それ。好きになったらどうしようもない話はよく聞くけど、好きになれないのもどうしようもないって誰もわかってくれない」
「わかる。「好きな子いないの?」って聞かれて「いません」って答えると、必ず「どうして?」って聞かれる。そんなの好きになれないから以外、何もないじゃんっていう」
ああ、本当に。本当に同じなんだと思った。
私にとっての当たり前をこの人も当たり前に思ってくれている。私が恋人に対して人としての好意しか抱けなかったように、この人も私に恋愛感情を向けてくることはない。
なんて安心出来る人だろうと思った。
この人の前では何一つ偽らなくていい。何一つ説明しなくていい。たったそれだけのことが嬉しくて、私はその場で泣き出さないよう密かに瞬きを繰り返していた。
(やっと見つけた……。次に百分の一がいつ引けるかなんてわからない。この人を大事にしなくちゃ)
それから、私は馬場さんからの誘いを受けるだけでなく、自分からも誘うようになった。
ところが、やっと得た安寧の地も最終的に手放さなければならなくなるのである。
ある日のこと、河川敷でのバーベキューで仲良くなった年上の女性の湊さんから、「ちょっと話したいことがあるから、蓮ちゃんの家の近くのガストに来てくれる?」と連絡があった。
既に普通にLINEでやり取りする仲だった私は晩ご飯を食べにいそいそとガストへ向かった。
二人席に向かい合って座ったところで、湊さんは緑色の雑誌を取り出しながら尋ねてきた。
「蓮ちゃん、アムウェイって知ってる?」
その名前は聞いたことがあった。
私がまだ実家にいた頃、兄がお気に入りのシャンプーを見つけたと言って親に勧めている時があった。親はそれがアムウェイの商品だと気づくと「アムウェイは駄目!」と怒り出し、そのままシャンプーをボトルごと捨てさせた。
その時になんとなくマルチ商法をしている悪名高い団体の名前だと認識していた。
「アムウェイって、やばい集団のことですよね?」
「世間的にはそう言われてるけど、実際はそんなことないの。これ見て!」
彼女は急に前のめりになると持っていた雑誌を開き、オーガニックな感じのページを見せてきた。どうやら野菜のサプリメントの記事らしいとわかった。
湊さんは栄養士だったため、栄養士的な観点からこのサプリメントがどれほど素晴らしいものかを熱弁した。
自分で言うのもなんだが、私はパリピでなければどんな相手の話も聞くようなお人好しかつ、相手の話をすぐに信じやすい性格であった。
アムウェイはやばい団体だと知っていたにも関わらず、警戒するどころか湊さんの演説に興味深く聞き入ってしまったのである。
「へぇ、とっても栄養価の高いサプリなんですね!」
「わかってくれた? 私も飲んでるけど全然風邪引かなくなって元気になったし、この雑誌でインタビュー受けてるアメリカの大女優も愛飲してるの。世間的にはあんまり印象良くないけど、悪い印象抱いてる人にこそ本当の良さを知ってほしいって思ってるんだ。蓮ちゃんもよかったら飲んでみない?」
「いくらなんですか?」
「大体一万円。ひと月ね」
「ひと月で一万円!? 高くないですか?」
「格安だよ。今サプリメントの製造プロセスと栄養価の説明したじゃん。まぁでも一万円急に出すのが辛いのはわかる。それより蓮ちゃんって肌荒れの悩みあるんでしょ? だからこっちを勧めたかったんだ!」
湊さんは牛乳に溶かして飲むタイプの大豆パウダーを勧めてきた。そちらは三千円であり、月に一度病院に行くことを考えるとそれほど悪くない値段だと思った。私はその場で三千円を出して大豆パウダーを購入した。
以来、私は湊さんに完全にカモにされることになる。
湊さんはお勧めの洗剤やスポンジなど、何かと私にお裾分けをしてくれた。まぁ洗剤くらいはいいかと思いながらもらって使っていたのだが、体感としてあまりいいものと思えなかったので、それは購入することはなかった。
ただ何となく大豆パウダーだけは買っていた。効果は体感出来なかったものの、肌荒れには実際かなり悩んでいたからだ。
順調にいかないと思ったのか、湊さんは「一緒にスイーツを食べに行こう!」と私を呼び出すと、「今日凄い人のアポイントが取れたから、遊びはやめてそっちに行くね」と強引にとある人物の家へ車を走らせた。
その人はアムウェイで大きな成果を出した成功者で、なおかつとても美人で知的だった。そこで聞いた話自体は非常に筋が通っており、「成功するには諦めずに努力すること」というありがたい教訓をもらって満足したものだった。
ただ、私にはスイーツを食べたかったという無念さと、約束を反故にされたという静かな憤りが残った。
湊さんはその後も私を誘ったが、やはり遊びには行かず誰かの家に連れていかれたり、商品の宣伝をしてきたりすることが多かった。
(友達って、約束を反故にしたり、お金を求めたりするものだっけ……)
私はだんだんと湊さんから距離を置くようになり、湊さんからの誘いも断るようになった。大豆パウダーも一袋百円のきな粉に変わっていた。
そんな湊さん達と日常的に遊んでいた馬場さんも、やはりアムウェイの会員であった。
この頃になってようやく馬場さんがオフ会で避けられている理由が、空気が読めないからではなく、マルチ商法の団体のメンバーだからなのだと理解出来た。
思えばあのオフ会は、悪戯が好きで場を和ませるために女性を触るような節操のない人でさえ、男性が見張るという形で好意的に受け入れられるような、かなり懐の深い場所だった。
そんな場所で避けられていたということは余程の事情があったのだ。
しかし私にとっては複雑だった。
ようやく引き当てた百分の一だ。しかも馬場さんは湊さんと違って約束を反故にすることも、誰かの家に連れ込む真似もしなかった。
あくまで友達として私と接してくれていた。確かに彼自身は熱心なアムウェイ信者だったため、効果を実感出来た安眠のサプリメントを勧めてくることはあったが、稀だった。雑談をするうちに、
「あの野菜のサプリも凄いんだよ。適正量の二倍飲んだ人がいるんだけど、野菜が濃くてうんこが緑色になったんだってさ!」
などという話こそしてきたものの、カモにされている気はしなかったし、私自身は真の友情を感じていた。
ただ馬場さんとの付き合いがあれば、必然的に湊さん達とも繋がることになる。それは嫌だった。
馬場さんがアムウェイをやめてくれれば心置きなく一緒にいられる、そうすれば何もかも解決すると思った私は、馬場さんがアムウェイをやめる可能性を探ることにした。
「私、湊さんのことちょっと信用出来ないんだ」
ある日、馬場さんとドライブに出掛けた私は、愛知県の沿岸で夜の海を眺めながらそう切り出した。
スイーツを食べに行くと言ったのに人の家に連れ込まれたり、何かと商品を見せてお金を要求したりするのが苦手だと素直に伝えた。
馬場さんは確かに湊さんはそういうところがあるかもと認めた上で、こう言った。
「でも僕を、今みたいなアクティブで明るい人間に変えてくれたのは湊さん達なんだ」
馬場さんは元々宮城の出身で、愛知には仕事の関係で来ていた。つまり私と同じ地方民で周囲に知り合いがいなかった。
そんな時、会社の上司であり、馬場さんの出た専門学校の先輩から湊さん達を紹介されたのだという。
馬場さんは人見知りが激しく、人と関わることに何の意味があるのかと考えているような、かなり内向的な性格だったらしい。それが湊さん達と関わったことで見違えるほど明るくなれたのだと馬場さんは語った。
馬場さんが人付き合いをする上で苦労しそうな人間であることは、オフ会での空気の読めない言動を見れば容易に想像がついた。
学校にあまり行っていなかった話も、バイクのカスタムが好きだったために不良とよくつるんでいた話も、驚きはしたがすんなり受け入れられるものだった。
馬場さんは湊さん達に感謝しているようだった。自分を変えてくれた大切な人達という眩しいほど純粋な気持ちを向けていたのだ。
(そんな大切な友達と別れろだなんて、後から来た私が言えるわけがない……)
恐らく私にとって馬場さんの存在が救いだったように、キラキラした世界に引き込んでくれた湊さん達が馬場さんにとっては救いだったのだろう。
私が馬場さんを傍に置いておきたいから、馬場さんに友情を諦めろと説得するのはあまりに自分勝手だと思った。
また現実にアムウェイで返しきれない借金を抱えてしまう人がいるのは認めるとしても、馬場さん自身は無理のない範囲でアムウェイと付き合っていた。
当然未来にそうなる可能性はゼロではなかったが、だからといって家族でもないのに馬場さんのお金の使い方に口を出す資格はないと思った。
とはいえ私はやはりわがままだった。馬場さんが何かのきっかけでアムウェイをやめてくれないかと願ってしまっていた。
そうして結局何も言い出せないまま、私と馬場さんの関係も、馬場さんと湊さん達との関係も続いた。
馬場さんは次第に悟ったのか、私にアムウェイの話をしてこなくなった。だから友人としてたまに会うくらいはいいと思っていたのだが、深く関わりを持つのはやめようと決心せざるをえないことが起きた。
馬場さんと遊ぶようになってから半年ほど経った頃だ。
その日も私は馬場さんと喫茶店に行って一緒に創作の作業をしていたのだが、夕方になると用事があると言って馬場さんは荷物を片づけ始めた。
既に四時間ほど喫茶店に滞在していたため、私も店を出て途中まで一緒に帰ることにした。
駅に向かう道中で、ふと馬場さんが大きく手を振った。私が歩いている歩道に湊さんやバーベキューで見た人達がたむろしていた。
苦手だなと思いつつ、久しぶりですねと無難に挨拶を交わす。話すうちに、彼女達はアムウェイの講演を聞くために傍に建っているホールへ集まったのだとわかった。
当然のように湊さん達は私を講演に誘った。私は遠慮するとやんわり断ったのだが、湊さん達は相変わらず強引に「もったいない!」と私に説得を始めた。
その時、彼女達がギラギラとした目をしていることに気づいた。私はこの目を知っていた。
実は私の幼馴染の中に戒律の厳しい宗教を信仰している友達がいる。
彼女は普段こそどこにでもいる普通の人なのだが、小学生の時に一度だけ豹変したことがあった。
彼女の家に遊びに行き、彼女の学習机に置かれていた見慣れない本についてこれは何かと尋ねた時、彼女は楽園の素晴らしさについてたっぷり一時間もかけて演説した。
大人しい彼女からは考えられない熱量に、私は唖然としたのを覚えている。
演説中、彼女は有無を言わせない気迫を帯びたギラギラした目をしていた。
私はこれが宗教者の目だと理解したし、何故世界から宗教が理由の戦争が無くならないのかもわかったような気がした。
湊さん達の目はまさにこの時の幼馴染のそれと同じだったのだ。
(これは……本当にやばい)
幼馴染のように、勧誘すると友情が崩れることを学びわきまえるようになった人達なら全く問題ない。
しかし湊さん達の強引さは身に沁みてわかっていた。
しかもだ。
「免疫の話とかためになるし、野菜のサプリの良さも一層わかるよね~!」
「そうそう! サプリと言えば、前にあれを二倍量飲んでうんちが緑色になった人がいるんでしょ? 体にいいもの摂れるって安心だよね~」
また緑色の便の話である。てっきり馬場さんが半分冗談で言っていたのかと思っていたが、どうやらこの辺りで活動するアムウェイの人達にとっては常識の話だったらしい。
私からすれば何も感心出来ない話だ。確かに乳児の便は腸内環境のせいで緑色になると聞いたことがある。しかし成人では聞いたことがないし、もし本当に緑色になったのだとしたら、それは消化不良か腸内環境の乱れが原因なのだ。
(これを信じてる人達の言うことは、絶対に信じられない……。私流されやすいから本当に話を聞くべきじゃない……)
心に高い壁を築き始めた私の隣では、馬場さんが湊さん達と同じ目で緑色の便の話で盛り上がっていた。
やはり馬場さんにアムウェイをやめるよう説得出来る可能性は万に一つもないのだと悟った。私は自分をアムウェイの脅威から守るために、馬場さんとの交流を断つことにした。
こうして、ようやく見つけたと思われた安寧の地を私は泣く泣く手放したのだった。
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