第5話 そんなの人間じゃないね
それから私は修士論文の作成と発表、卒業式に卒業旅行と忙しない日々を送り、社会人になった。
新卒で就職したのは名古屋に本社を構える会社だったため、私は東京の実家を出て新天地に住処を移した。
高学歴という自分と似た者同士しかいない環境を檻のように感じていた私は、敢えて様々なバックグラウンドを持つ人が集う会社への就職を決めた。
そこには短大卒の女子も、世間でFランと呼ばれる大学を出た男子もいた。
彼らはいわゆるパリピという存在だった。
カラオケでタンバリンを叩きながら流行曲を歌ってはどんちゃん騒ぎをし、何かいいことがあると「ウェーイ」と言って喜ぶ、典型的なパリピ。
私はオタクではなかったが、大学時代の友人の殆どがオタクだったため、どちらかというとオタクのノリの方が慣れていた。個々の好きなことを追求するのではなく、皆で同じものを楽しんで同じように盛り上がることを是とする彼らとあまり馬が合わなかったのである。
それでも彼らは曲がりなりにも同期だ。今後困ったことがあった時に相談し合えるような信頼関係を築いていかなければならない。
だから私は懇親会にもきちんと参加していた。
ただ、私のような生真面目な高学歴女というのは、パリピにとって扱いづらいこと極まりなかったらしい。参加こそしていたものの、私は浮きまくっていた。
別に人の話を聞いていればそれで楽しいと感じていたのだが、パリピは何よりも仲間外れを、皆で作る空気を乱す存在を許さなかった。
院卒の私は二十四歳であったが、殆どの同期は大卒で二十二歳だった。皆まだまだ恋愛話が大好きな年頃だった。
懇親会の場で全員の女子に好きなタイプやらどんな恋をしてきたやら質問をしては手頃な感想を言って盛り上げていた。
私は子供の頃から心底恋愛話というものが嫌いだった。恋愛話というのは小学生の頃から定番の話題であり、恋愛話が上手い人物は人気者になれるという構図が出来上がっているほど重要な話題だ。
だからこそ私は恋愛話が嫌いだった。
懇親会の場でも、私は好きなタイプも話して楽しいような過去話もないとパリピの質問をかわすつもりでいた。いつもであればそれで引いてくれるのだが、仲間外れを嫌うパリピはあの手この手を使って私から恋愛話を聞き出そうとした。
結局、折れた私は大川君と飯村さんの話をした。どちらも上手く好きになれずに断ったと話すと、パリピは珍獣でも見るような目で質問を浴びせてきた。
「え~、男と付き合って、むらむらしたりしないの?」
「しない」
「キスしたいとか、ハグしたいとかないの?」
「ない」
「てか、まだヤったことないの?」
「ない」
「うわー、マジで堅物」
周囲の女子達は嫌そうに話す私に愛想をつかして別の話で盛り上がっていた。
それでもパリピは浮く私を可哀想だと思ったのか、話し相手に困らないように質問を続けてきた。
「聞いてる感じ、好きー! って感じも今までなかったんだね」
「なかったし、多分これからもないよ」
「何悲しいこと言ってんの?」
「だって、多分そういうのがない人だし」
「それって恋愛感情がないとか、そういう意味?」
「まぁ……」
「うわぁ~、そんなの人間じゃないね。引いたわ」
聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
人間じゃない? 私が?
「なんで人間じゃないってことになるの」
「だって、好きがないってことは、友情も家族愛もないってわけでしょ? そんなの冷たすぎるじゃん。心ないじゃん」
「待って。友達は大事だし、家族のことも大好きだよ。なんで恋愛感情がないって話からそこに飛躍するわけ?」
「え~? だって好きってそういうの含めて全部好きじゃん」
「好きってそんなに単純なものじゃなくない? 家族愛も友情も恋愛も別じゃない?」
「好きは好きで一つでしょ。なぁ?」
パリピは面白い話題を見つけたとでも言うように、近くに座っていた別のパリピを呼び寄せて今聞いた話を伝えた。
内容は特に歪められていなかったが、彼らの反応は私の相手をしていたパリピと同じだった。
「恋愛感情がないなら友情もないってことになるわな」
「そんな人見たことない。人間としておかしいね」
ゲラゲラ笑いながら、同期達は無責任な言葉を口にした。
私はこの日、パリピという生き物が大嫌いになった。
二十四歳にもなれば、相手の言った言葉が悪意あるものかどうかは判別がつくようになっていた。
パリピ達は揃いも揃って無神経だと、私は正しく怒って彼らの言葉を振り払った。
確かに私が工学部にいた時も、男子達は「うんこ」と連呼して喜ぶ子供のように「童貞」という言葉で無邪気に盛り上がっていた。
当時童貞という言葉も知らなかった私はインターネットでその意味を調べて、なんて言葉で盛り上がっているんだ、いきなり処女かと訊いてきた同級生達と同じじゃないかと顔面蒼白になったものだ。
他にもある。演劇サークルの仲間で集まり、自作脚本で公演を打とうとなった時も「地球は愛されていないから滅びる。ならば精力剤を飲んで救おう」というようなおかしなテンションになったことがあった(さすがにそのくだりは公演直前にお蔵入りとなった)。
二十歳前後という年齢は、それくらい性欲というものに対して無邪気で
だから年上という手前、無自覚な悪意の方は許すことにした。問題は私の考えを完全に拒絶されたことにある。
千葉君はアセクシャルの割合は百人に一人だと言っていた。つまり三十人程度の同期の中に私以外のアセクシャルがいる確率はかなり低く、実際期待値通りの結果になっている。
(共感者を探したところで、いるはずがないんだ……)
会社を除けば知り合いが一人もいない名古屋という新天地で、私は深い孤独を感じた。
思えば私の感覚を否定してきた人はパリピが初めてではなかった。
飯村さんははっきりと驚いていたし、恐らく大川君もその話をすれば同じ反応をしただろう。
橋本君だって私のことを変わっていると言っていた。さかのぼれば他にもある。
あれは私が上島君にしつこく付きまとわれていた頃だ。
これだけ愛してくれる上島君に応えられない自分に悩んだ私は、mixiの悩みごと相談コミュニティで「私には恋愛感情がよくわかりません。これっておかしいですか?」とド直球な表題のトピックを投稿していた。コメントはすぐに返ってきた。
「有り得ない。生きている人間とは思えない」
「性欲のない人間なんていない」
「拝読しました。このような内容で悩むトピ主様は非常に人間らしく、心優しいと思います。他の方々の投稿は気にしなくて大丈夫です」
「女ってわりと最初はそんなもんだと思う」
「プロフィール見てきたけど、まだ若いんだし、これからじゃない?」
「書いてある内容全部読んだけど、全然辻褄合ってないよね。あなた虚言癖あるでしょ」
ネット上での身の振り方を知らなかったせいで、私は自ら悪意あるコメントを集めてしまっていたのだということは後になって知った。
中には辛辣なコメントを見て心配してくれたのか、優しいダイレクトメッセージを送ってくれた人もいた。お陰でその時は悩まずに済んだのだが、パリピの件を経てから、当時の経験は新しい意味を含み始めていた。
(結局批判的な人も優しい人も、私とは違うって意味では同じなんだ。本当にいないんだ、アセクシャルって)
社会人になる前にガラケーから買い替えたスマートフォンで、改めてアセクシャルという意味を調べてみる。
少ないながらもヒットした記事を読んでみると、「アセクシャルの人は性欲をファンタジーの魔法のように捉えている。現実に存在している実感がなく、信じられないという人が多い」とあった。
身に覚えがありすぎる表現だった。
実際私にとってはまさに性欲はファンタジーのような存在で、性欲の実在を認めるくらいなら、霊感の実在を認める方が遥かに容易に思えた。
(でも、こう思っているのが私だけっていうなら、なんか嫌かも)
アセクシャルの難しいところは、レズやゲイと違って明確な形で特徴が現れない部分だ。
初恋を迎える前の十代前半の子供には恋愛感情も性欲もピンとこないだろうが、だからといって異常だと思う人は誰もいない。つまりアセクシャルとは言えないのである。
そして実際のところ、今の私と子供の違いは年齢くらいしかなく、二十四という年齢は欲情した経験がなくても不思議ではない。
私がアセクシャルという言葉を自分で勝手に当てはめているだけで、明確な根拠はどこにもなく、出産適齢期を終えるまでアセクシャルという証明は出来ないのだ。
(アセクシャルじゃないっていう証明が、欲しい……)
一意見とはいえ、恋愛感情が限りなく薄いだけで友情や家族愛まで否定されるのは我慢ならなかった。
アセクシャルだと言って諦めている場合じゃない。アセクシャルではないという可能性が少しでもあるというのなら、一人の大人として恋愛感情や性欲を実感する努力をしなければ。
こうして私は新たな決意を固めた。
それは次に付き合った人には大人の意味で抱かれようというものだった。
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