第4話 ごめん、やっぱノーカンで!

 それから約一年間は恋愛を巡る騒動もなく、平和な日々が続いた。

 大学四年になった私は研究室に配属され、授業は一つも取らずに研究室生活を満喫した。

 研究室には『小さい子』とあだ名をつけられた背の低い同じ学年の男子がおり(実際、私よりも背が低かった)、研究室の居室の席が隣だったことから私はすぐに打ち解けた。

 根からのテニス好きだった彼は、尊敬しているという松岡修造さんの格言をまとめたサイトを私によく見せては、「馬鹿だけど、本質を突いていて元気が出る」と熱心に解説してくれた。

 私に恋愛感情を一切向けてこない彼と過ごすうちに、やはり友情で留められる関係性は安心するなと思ったものだった。


 大学院に進学すると、私達の学年の間では就職活動の四文字がちらつくようになった。

 周囲に流される形で私もなんとなく、マイナビを始めとした就職サイトにアカウント登録し、なんとなく人気がありそうな企業にエントリーシートを出しまくった。

 そうして特に目的もなく就職活動をしていたある日、mixiに次いで第三の交流の場になっていたTwitterを覗いていると、とある投稿が目に留まった。


「サンカラしたい」


 物語音楽という特殊なジャンルと独特な世界観から一部のオタクに支持されているグループ、Sound Horizon、通称サンホラ。偶然知人からその存在を知らされた私は当時、サンホラにドはまりしていた。

 元々大のカラオケ嫌いだった私は、サンホラの曲にはまったことで一人カラオケに少なくとも週に一回行くほど熱中していた。サンホラの曲を歌うカラオケ、つまりサンカラをずっと一人でしていた。


 しかしサンホラの曲は多重録音、或いは複数人で歌うのが常だったため、一人で歌うには限界があった。Twitterの投稿者がサークルの後輩だと気づくや否や、私はすぐにリプライのボタンを押した。


「しよう! 私もしたい!」


 こうして私は後輩である橋本君と頻繁に会うようになったのである。

 橋本君は私より年は一つ下、学年は二つ下だった。私は三年の秋にサークルを辞め、橋本君は私と入れ違う形でサークルメンバーになったため、面識はあったものの一緒に活動したことはなかった。

 お世辞にも仲がいいとは言えない距離感だったが、一緒にサンカラをしてみると、彼が曲中の語りの部分を、私が歌の部分を担当という形に綺麗に収まったため、私達はあっという間に仲良くなった。


 加えて文系だった橋本君は私と学年は違えど同じ就活生だった。理系と違って大学院に進学した文系には働き口がなく、文系の院進はアカデミックに入る覚悟を決めた人がするものというのが、もっぱらの常識だったのだ。

 カラオケをしようという誘い文句は、就職活動への不安を慰め合う上で非常に便利だった。


 『小さい子』とストレスなく友情を育んでいた私は、男と女が二人集まったところでそうそう恋愛が生まれることはない、上島君や大川君の例が特殊だったのだと高をくくっていた。

 ところがやはりジンクスというものはあるようだった。


 一緒にカラオケに行くようになってから三ヶ月が経った頃、いつものようにカラオケに行った帰り道にふと気づいたことがあった。

 隣を歩く橋本君の距離が妙に近いのである。

 最初は障害物を避けるために偶然私の方へ寄って来たのかと思ったが、さりげなく私が道の隅の方へ寄ってみると、橋本君もすっと寄ってきた。


(橋本君、絶対に私のことが好きだ……)


 私は心の中で大いに落胆した。


 これまで一人には猛烈に告白し続けられ、二人とは実際に付き合ってみて、確かに学んだものはあった。

 恋愛の世界という、私とは無縁だと思っていたものに望んでもいないのに巻き込まれ、私には女という性別と子を産むという役割が与えられていることを身をもって知った。

 生物ならばつがいを作らねばという同調圧力を受けるまま、Aの私はなんとか自分なりに妥協点を見つけたいと考えるようになっていた。


(そのためには経験というデータと、自分の駄目なラインを見極める実験が必要か……)


 橋本君の好意に気づき、私は心を固めた。

 自己表現が非常に不器用だった橋本君は、思慮深く分析も得意な自分の特性を上手くアピールすることが出来ず、就職活動でかなり難航していた。

 私は理系というアドバンテージがあったとはいえ、二十社受けてなんとか内定を勝ち取ることが出来たのだが、橋本君は七十社を受けても一社も内定を取ることが出来なかった。

 理由はなんとなく想像がついた。橋本君は一目でわかるほど、超卑屈なのだ。あと、ちょっとワキガが酷かった。面接官が臭いに敏感だった場合、いかにいいアピールをしようとかなり印象を悪くしていたはずだ。


「これだけ企業分析して、自己アピールも頑張って、性格も凄く誠実なのに、本当に企業は見る目がないよね」


 卑屈な人を褒めちぎった末路がどうなるのかはわかりきっていたが、とはいえ曲がりなりにも大切な友人の就職活動は成功してほしい。だから私は心が折れそうになる橋本君を言葉を尽くして励ましたし、心から応援した。

 先輩という立場でもあったため、ちょっとしたお菓子や栄養ドリンクなど景気づけに渡したものだ。


 橋本君とサンカラする時間は楽しかった。同じ趣味を共有出来る仲間というものは貴重だった。希少性という観点からすれば、橋本君は大川君や飯村さんよりも、私にとって遥かに大切だった。


(このまま告白しないでくれたらな……)


 そんなことを思いながら、私は近いうちに終わりが訪れるであろう友情の時間に興じたのである。


 終わりは、クリスマスに訪れた。

 その頃には橋本君もようやく一社の内定を勝ち取っており、私の修士論文が佳境に入るまでの最後の自由時間で私達はよく遊んだ。

 十二月に入ると彼は私をある劇に誘ってきた。キャラメルボックスという劇団の『ブリザード・ミュージック』という演目だった。キャラメルボックスの脚本は私のいた演劇サークルでも度々演じることがあったため、サークルメンバーなら誰もが知る劇団だった。

 明るく、わかりやすい筋書きで、ちょっぴり感動出来る脚本は私も好きで、快諾した。お互い学生であり、後輩からおごられるつもりはなかったので、一緒にチケットを購入した。


 当日、橋本君はガチガチに緊張していた。どれくらい緊張していたかというと、劇場へ向かう途中で喉の渇きを感じ、ドラッグストアでペットボトルのコーラを買ったかと思うと、思いっきり振ってから蓋を開けたくらいだ。

 本人は何故かゼリー飲料を買ったつもりで振っていたらしい。

 事情はともあれ、ガムの黒いシミだらけの汚らしい池袋のアスファルトに強炭酸の黒い砂糖水が飛び散り、橋本君はあたふたしていた。


 あまりにもベタすぎる失敗に大爆笑しながら、サンシャイン劇場へ向かった。

 劇の内容はクリスマスらしい明るくて元気の出るものだった。プロの舞台に大満足した私達は近くの居酒屋で乾杯をし、劇の余韻に浸った。


 告白はその帰り道に訪れた。ギリギリまで言い出せなかった彼は確か、池袋の駅前でようやく勇気を振り絞ったのだ。

 余程緊張していたのだろう、季節は冬だというのに彼からはワキガの臭いがプンプンとした。


「僕、蓮さんといると凄く元気になれて……。だから付き合ってほしいです」


 やはり幸せの友情タイムはクリスマスで終わりかと思いながら、私は彼の告白を受け入れた。

 恋人が将来の伴侶になる確率は、別れる確率と比べればかなり低い。もしかしたら成功するかもしれないが、恐らくそうはならないので、これからの期間は私にとって実験の期間になる。


 これまでの経験から言って気持ちが持つのは三ヶ月、関係が持つのは半年。


 高い確率で私は大川君や飯村さんのように橋本君を振って、その後はもうサシでは遊んでくれない、つかず離れずのただの友達になってしまう。


(私はただ、一緒にカラオケして、一緒にご飯が食べられればよかったんだけどな……)


 それが出来る猶予はあと三ヶ月くらいか。その後は希望のある未来が見えない。


(とりあえず付き合ってみたらに従って告白を受け入れたはいいけど、なんか橋本君を失うのは嫌だな……)


 私は普通ではない。

 それは飯村さんの反応を見ればわかったし、橋本君もまた無意識のうちにあれだけ距離を詰めてきたのだから、やはりキスやハグをしたい人なのだろう。

 いずれそれが原因で関係が悪くなるのは見て明らかだ。


(嫌だなぁ。サンカラに付き合ってくれるの橋本君くらいなんだけどなぁ。嫌だなぁ、半年後に関係悪くなって別れるの嫌だなぁ。嫌だなぁ)


 年末に大掃除や年賀状書きでバタバタする中、私は悶々と一人で悩み続けた。

 悩みに悩んで、悲観して落胆して、そしてある結論を導き出した。


「ごめん、やっぱノーカンで!」


 告白を受け入れて次に会う約束をしていた一月の頭、私は橋本君にそう切り出した。


「ノーカンって、告白をなかったことにしてほしいってことですか?」

「うん、そう! 本当に勝手でごめん!」


 理由は全て正直に話した。

 私はアセクシャルである可能性が高いこと、そのため誰かと付き合っても明るい未来が見えないこと、橋本君のことは一生大事にしたい友達なので私の身勝手な実験には付き合わせたくないこと、私にとって付き合うということが、半年後に別れることと同義になっていること。


「そういうわけで、友達としてずっと仲良くしてほしい。私にとって橋本君は半年後に別れてもいいやと思えるほど軽い存在じゃないから。一瞬でも実験材料にしようとしたことは本当に詫びるから」

「事情はわかりましたし、大事に思ってもらえてるのは嬉しいんですけど……。なんというか逆転してるんですね、蓮さんって」

「自分でもおかしいこと言ってるのはわかってる。でも多分私にとっての序列は、友達大なりイコール恋人って感じなのは確か」

「そういう変わっているところ含めて好きだったんですけどね……」

「もし上島君みたいな感じになるんだったら、ズルズルするの嫌だし、関係もスパっと切るけど」

「上島さんと蓮さんのゴタゴタは、後輩の僕もなんとなく聞いています。節度は守るので大丈夫です」


 橋本君とは特に険悪にもならず、私が就職して名古屋に行くまでサンカラをして楽しんだ。

 橋本君との友情は就職してからも続き、今でこそ殆ど会わなくなったものの、私が就職後もよく一緒に遊んでいたボドゲ仲間と一緒にボドゲをしたり、カラオケをしたりした。


 こうしてカウントに入らなかった彼との関係は、友達として永続することとなったのであった。

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