第3話 俺、レスでもいいよ

 大川君を振った頃、私は遅めにやってきた反抗期の真っ最中だった。そのため母親と些細なことで毎日のように喧嘩していた。


 ある時はスニーカーではなくパンプスを履けという理由で。

 ある時は眼鏡ではなくコンタクトレンズにしろという理由で。

 ある時は髪をせめて茶色に染めろという理由で。

 ある時は野暮ったいリュックではなくハンドバッグを持てという理由で。


 毎日のように「女らしくあれ」としつこく言ってくる親に対して、私は堪忍袋の緒が切れた。

 確かあれは親と誰かに会いに出掛けた日だ。駅から駐輪場へ向かう道中で大喧嘩した私は、駐輪場から自転車を引っ張り出すと、そのまま家とは反対方向にペダルを漕いだ。


 どこか遠くへ行きたかった。親の力を頼らず、自分一人で初めての場所に行ってみたかった。

 あてもなく自転車を漕いでいるうちに、ふと私は小学生の時に両親と近くのサイクリングロードに行ったことを思い出した。

 あの時はゴールである多摩湖に着く前に疲れたと音を上げて途中で引き返してしまったのだが、今なら行けると思った。


 多摩湖自転車道、東京で一番長いと言われる道路を後先考えずにひたすら進んだ。猛暑日という言葉が浸透し始めたばかりの夏は酷く暑く、途中のドラッグストアで買ったグリーンダカラをごくごくと飲みながら、ママチャリの心許ないギアを回転させ、徐々に変わっていく景色には見向きもせずにゴールだけを目指してペダルを踏み込んだ。

 電車賃は持っていたので、途中でばてたら自転車を捨てて帰るつもりでいた。しかし二十歳という体はエネルギーに満ちていて、一時間以上も漕ぎ続けていると目の前に目的地である多摩湖が現れた。


 ダムを見るのは初めてだった。見渡す限り鏡のような水面が広がっている光景に、私の胸は無性に高鳴った。人がまばらの橋を自転車でゆっくりと進み、私はその日初めて景色を楽しんだ。

 子供の頃は来られなかった場所に来られた。大きくなったんだなと自分を誇った。


 携帯を開くと、親からとんでもない数のメールが届いていた。着信履歴もあった。それらを無視して、携帯をバッグにしまった。


 三十分くらいそこにいただろうか。代わり映えのしない人工の湖の景色に飽きた私は、おもむろに帰途に就いた。とはいえ、このまま家に帰るのはどうしても嫌だった。

 ひとまず再び自転車を一時間以上漕ぎ、最寄り駅の駐輪場に置いた私はその足で大学に向かった。


 通常、家出をすれば友達の家にお世話になるものだろう。だが、理系というのは得てして女が少ない。私の学科にいた女も、私を含めて三人であった。

 その二人に泊めてもらえないかと相談したが、一人は連絡がつかず、一人はたまたま親が来ているから難しい、ごめんねと謝られることになった。

 そして、箱入りであった私は、都内のどこに安価で泊まれる安全なホテルがあるのかも知らなかった。だから大学構内のどこかで夜をやり過ごそうという発想に至ったのだった。

 当時はまだ校舎に泊まり込んでの実験が許されていたので、私の通う工学部の校舎には夏休みの夜でも人がいた。

 私はまだ研究室配属される前だったので居室はなかったが、九時を過ぎれば校舎のドアは施錠もされるので、中はかなり安全だと思った。

 更に好都合なことに、私はサークルで使う荷物を工学部のロッカールームに置いていたため、寝袋にくるまることが出来た。全体の一割しかいない工学部生の女子のロッカーエリアはカーテンで仕切られており、誰の目につくことなく眠ることが出来た。


 そんな私なりの大冒険をした翌日のことである。


 何の因果か、大川君からサークルのことで話し合いたいことがあると連絡が来た。

 承諾連絡ついでに実は今大学にいるんだよねと前日の大冒険のことを話すと、大川君はいいからそこにいろと言って大学にすっ飛んできた。


 マクドナルドで遅めの朝食を摂りながら、大川君はとにかく帰るように説得してきた。嫌だ、一週間は帰らないと反論し、それからちょっとした言い合いになっていると、私の携帯が鳴った。


 一通のメールが届いていた。


 差出人は飯村さん、私より五つ年上の、サークルのOBだった。飯村さんと私は学年が四つ違うため、大学在籍期間は一切かぶっていない。

 ただ公演があると毎回観に来てくださっていたので、どこかで連絡先を交換していたのだろう。


 メールには簡単な挨拶文の後に、こう書かれていた。


「今夜よかったら寄席に行かない?」


 見慣れない単語が入っていると思った。意味がわからないと返信が出来ないと思った私は、その画面を大川君に見せた。


「これ、って何?」

「よりせきじゃなくてね。落語の公演ことだよ」

「ふぅん。落語か……」


 そういえば飯村さんは和物好きで有名だったことを思い出す。女性を誘う文句としては渋すぎないかとも思ったが、飯村さんならなんとなく納得だった。

 大川君は何やら居心地が悪い様子で、氷だけになったアイスコーヒーをストローでざくざくと突っついていた。


「君、本当にモテるね……」

「いや、うーん……。好かれたんだとしたら、きっかけがわからなすぎるんだけど」

「行くの?」

「まぁ、暇だし。落語観るのは面白そうだし」


 そういうわけで私は家出した不安を紛らわすために、大学構内の施設のシャワーを浴びると、指定された新宿駅へ向かった。


 落語は信じられないほどつまらなかった。

 そもそも私と飯村さんを除けば、客が三人しか入っていないのである。いくらかつての栄華を失った日本の伝統芸能といえど、人気公演であればここまで客が少ないということはないはずだ。

 チケット代はおごってもらったのでいくらかは知らないが、要するに外れの公演だったのだ。

 何を言っているのかも、何が面白いのかもわからない話を延々と聞かされながら、私は苦笑いだか愛想笑いだかわからない笑みを浮かべて黙っていた。

 誰かの気持ちよさそうな寝息の聞こえるがらがらの会場内で、飯村さんの大爆笑する声だけが響いていた。


 それから飯村さん一押しの洋食屋があるというので、私達は夜の歌舞伎町に繰り出した。

 男女で歩くと、客引きが一切来ないのかと感動している飯村さんに連れられて、小さな洋食店に入った。なんとなく、オムライスを頼んだ。


 演劇サークルという共通の話題を持っていた私達は、食事をしながら途切れることなく会話した。その時間は実に楽しいものであった。

 私は家出のストレスでオムライスを半分しか食べられず、飯村さんにとても心配されたが、小食ということで誤魔化しておいた。

 夜九時を過ぎて店を出ると、飯村さんは帰りはどの駅がいいのか尋ねてきた。西武新宿駅だと答えると飯村さんは送ってくれた。

 本当は大学に戻るために新宿駅に行きたかったのだが、家出しているので大学で寝泊まりしているとはさすがに言い出せなかった。

 飯村さんが行った後で新宿駅に行けばよかったのだが、慣れ親しんだ西武新宿駅の構内を見た時になんだか家出が馬鹿らしくなって、その日は大人しく家に帰ることにした。


 さすがに初日は告白してこないだろうと思っていたが、帰りの電車の中で携帯が鳴り、


「ごめん、直接言えなかったんだけど、俺蓮が好きなんだ。付き合ってほしい」


 と連絡が来た。物事にはもう少し段取りというものがあるんじゃないかと思ったが、なんだかんだこうして帰る気持ちにならせてくれたという感謝があったので、私はすぐに「よろしくお願いします」とメールを返した。


 ちなみに後日、何故私のことが好きになったのかと聞くと、きっかけは飯村さんの所属する社会人演劇サークルの公演だったらしい。

 私はサークルの後輩として公演の手伝いに来ており、その時に作業がしやすいようポニーテールをしていた。髪の結び目に社会人サークルのオリジナルグッズである、大根のあしらわれたバンダナを巻いている姿を見て、惚れてしまったとのことだった。


 付き合ってみて知ったのは、飯村さんがうつ病を患っているということだった。

 いつ発症したのかは聞かなかったが、どうやら薬で症状を抑えながら、なんとか社会人生活を送っているらしかった。

 加えて飯村さんには、その筋ではかなり高名な殺陣師に弟子入りした優秀な弟がいた。

 いい大学を出ても会社の成績はふるわず、おまけに趣味でやっている剣道では小学生ですら余裕で取れる段位をなかなか取得出来ず、飯村さんは自分に対して酷くコンプレックスを持っているようだった。


 実際、飯村さんはどこか格好悪かった。物書きと自称しつつも最後に書いたのは五年前で、しかもその作品を自分の最高傑作として自慢げに語っていた。

 デートの場所は煩い居酒屋だし、話す内容は仕事の愚痴ばかりだった。

 まだ学生だった私は社会人って大変なんだなと思いながら、うんうんと相槌を打った。もはや恋愛的な意味で付き合っているのか、愚痴に付き合っているだけなのかわからなくなるほど、彼は毎週金曜日の終業後に会う度に似たような話をした。

 当時も、後になって振り返っても、飯村さんは格好悪かった。


 それでもただ一つだけ、非常に好きなところがあった。飯村さんの手だ。

 元々手フェチな私は、大きな手に目がなく、飯村さんのすっと指が長く、それでいて男らしさのある手に見惚れていた。

 愚痴を話す時に身振り手振りを交えるので、話をしている時もよく手の形が見えた。だからどんなにどうでもいい話をしても、つまらないと思うことはなかった。

 後にも先にも、飯村さん以上に綺麗な手をした男性を私は見たことがない。


 そういうわけで私は、格好悪くても手が綺麗ならいいかと思いつつ飯村さんと親交を深めた。

 飯村さんはデート中、終始幸せそうにしていた。それを口にもしていた。


「蓮みたいな可愛い彼女がいるだけで、俺自分を誇れるんだ」


 ビールを煽り、少し赤らんだ顔で、いつからか飯村さんはそう言うようになった。


「蓮は俺の生きる理由なんだ!」


 実際私と付き合うようになったことで、飯村さんのうつ病は改善の兆候を見せていたらしい。要するに私は飯村さんの精神安定剤になっていたようだ。


(なんか、重いな……)


 そう思いつつも、やはり誰かが喜ぶ姿を見るのは好きなので、あまり深く考えないことにした。


 しかし、相手が幸せならそれでいいという平和な思考でいられなくなる事件が起きた。


 付き合って一ヶ月が過ぎた頃、私と飯村さんはいつものように新宿の雑居ビルにある居酒屋に向かっていた。

 辛気臭い定員六名の小さなエレベーターに乗り込んだ時、ボタンの方を向いていた飯村さんが振り返ったかと思うと、私の口に唇を重ねた。


 驚いた。それだけで済めばよかったのだが、恐ろしいほどにぞわりとした。


 アセクシャル、性欲。すっかり忘れていたその二つの言葉が頭に浮かんだ。

 やはりこの人も私を性の対象として見ているのか。私には理解不能な感情を振りかざすのか。

 そう思った瞬間、無味無臭だった大川君との和歌山のホテルでの記憶が、強烈な嫌悪感を伴って鮮明に蘇った。

 まるで記憶自体を書き換えられたんじゃないかと思うほど、この一瞬で認識ががらりと変わったのだ。


 あの時の私は理解出来なかったが、大川君が必死になって謝り、その後身を捧げてしまうほどの、とんでもないことをされていたのだ。

 男のアレを見せられた時の衝撃も、それを触らされた時の気持ち悪さも、忘れたくても忘れられない記憶としてはっきりと刻まれてしまっていた。

 思えばあの夜の、精神が研ぎ澄まされたように頭の中が無音になり、何の感情も湧いてこなかった状態自体がおかしかったのだ。

 あまりに強烈な出来事に、私は自分で感情にロックをかけていたのだろう。それが飯村さんの突然のキスによって唐突に外されてしまったのだ。


 飯村さんは唇を奪ったことに満足した様子で、エレベーターの扉が開くと、鼻歌を歌いながら出ていった。一瞬呆然としたが、私は取り残されないように後を追った。


 その日のデートの席で、私は自分がアセクシャルの可能性が高いことを飯村さんに打ち明けた。

 飯村さんは驚いた様子で目を丸くして、暫くの間言葉を失っていた。やっぱりそうなるのねと思った。

 私にとっては性欲がないのが普通で、あるのが異常なので、本当のことを言えばこの反応も理解不能なのだ。


「なるほど……? ちょっとびっくりしたけど、そういう人もいるのね」

「はい。そういうわけなので、キスはしてほしくないんです。あとハグもやめてほしいです。ついでに言うと、夜の営みも期待しないでください」

「夜のはまぁ、しょうがないとして……ハグも?」

「あんまり気持ちのいいものではないので。それが我慢出来ないなら別れるしかないです」

「結構本気なんだね」


 自分でもどうして急にここまで制約を強くしたのかわからなかった。

 上島君や大川君と交流があった時はハグされても特になんとも思わなかったのに、この時ははっきりと、もう異性に二度と抱かれたくないと強く思っていた。


「別れますか? 私と付き合ったら、多分ずっとレスになると思いますけど」


 セックスレス、その言葉はテレビで知ったものだった。当時は情報番組やバラエティー番組で、セックスレスが離婚の原因第一位という話が頻繁に取り上げられていたのだ。

 だから私にとってはない方がいいものでも、相手にとってはかなり重要なことかもしれないと思い、もう一度、相手の意志を確かめることにした。

 飯村さんはまた深く考え込んだ後で快くこう答えた。


「俺、レスでもいいよ。だから別れないで」


 すぐに別れを切り出されるかと思ったが、意外にも好意的な言葉が返ってきた。

 価値観は違えど相手は人間なのだ。話せばなんとかなるとは言ったものだと私は安堵した。


「けどラインは確認させて。ハグとキスはなしはわかった。手繋ぎは? 今までしてたけど」

「手繋ぎは……いいです。手は大丈夫なので」

「そっか。よかった。そこまで駄目って言われると、さすがにきつかったかも」


 どうしてそんなことがきついのだろうか。

 確かに私は大川君と手を繋いでいたが、キスと同じで思っていたほどいいものではなかった。

 別になくたっていいものを、ないときついと言った飯村さんのことが理解出来なかった。


 やはり根本的に感じ方が違うのだと改めて思った。


 とはいえ、ハグもキスもその先のことも全て我慢してくれると言ってくれた人に対してこちらが何も我慢しないというのはあまりにフェアじゃない。

 だから手繋ぎだけは譲歩しようと、この時は自分の中で折り合いをつけることにした。


 言葉にすれば全て伝わると思っていた。話し合えば解決すると思っていた。

 しかし人間の心というのはままならないものだし、大きな価値観の違いは一回や二回話し合ったところでそう簡単に埋まるものではないのである。


 結果として私はどうしても飯村さんのことを信じることが出来なかった。

 会う度にさっさと手を握られ、嬉しそうに歩く姿を見ていると、本当はこの人もキスやハグをしたいんじゃないか、夜の営みをしたいんじゃないかと禁じてしまった自分を責めずにはいられなかった。

 加えていつか一線を越えてくるのではないかという恐怖があった。

 人間というのは本来、欲望に忠実な生き物だ。私は執筆欲があるからこそ書くことをやめることが出来ないし、やめろと強制されるなんて、想像しただけで頭がおかしくなりそうだった。

 もしこの人にとって私に触れることが、私にとっての執筆と同等なのだとしたら、我慢など出来るはずがない。

 そして現に飯村さんには性欲が、私にはない強烈な欲望があるのは明らかなのだ。


(それでも、信じなきゃ駄目だ。こんなのは私の思い込みなんだし……)


 言ったことをちゃんと守ってくれる飯村さんに失礼だと、何度もそう自分に言い聞かせた。

 二ヶ月くらいは上手く自分を抑えることが出来た。しかし女の感情というのは得てして積み重ねであり、ある日突然限界を迎えるものだ。

 恐怖はいつしか理性を上回って疑いとなり、やがて信じられない気持ちを正当化するように嫌悪感を生んだ。最初は何とも思っていなかったはずの手を繋ぐ行為も、段々と受け入れられなくなった。


 どうせこの人も私を女として見ていて、どうせ体が欲しくて、どうせ心の距離が詰まっただけでは満足しないのだろう。


 会う度にそんな諦めの気持ちが膨らんだ。一方の飯村さんは私と一緒にいてこれ以上ないほど幸せそうだった。

 その笑顔を見ているうちに段々と自分が惨めになってきた。

 会う度に私は疑心暗鬼に襲われて、楽しくもないのに手を繋いで、嬉しくもないのに居酒屋の席で私がどんなにすばらしい人間か演説されて。

 相変わらず手は綺麗な人だと思っていたが、そんなものでは収まらないほど、私は自分の惨めさから腹が立って仕方がなくなっていった。


 不公平だ。不公平だ。不公平だ。


 結局一緒にいることが虚しくなった私は、ある日特にきっかけもなく飯村さんを振った。

 飯村さんはなんとなく察していたようですぐに私のお願いを聞き入れてくれたが、およそ一週間もの間、Twitterで「ちくしょおおおおお!!」というわかりやすい反応の投稿をし続けることになった。


 こうして二人目である彼との関係は水面下の波乱を伴いつつも終わった。付き合ってから半年が経っていた。


 ちなみに別れた二年後に飯村さんと再会した私が、参考までに本当にレスでも付き合い続けられたのかと尋ねたところ、「無理」と即答されたため、私の懸念はあながち間違っていなかったのであった。

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