第1話 君の言う親友と俺の言う恋人って何が違うの?

 千葉君に妙な相談を持ち掛けたとおり、当時の私はある人物から熱烈な告白を受けて困っていた。


 彼は上島君と言った。私より三つ年上の二十一歳。年上だが、三浪しているので学年は私と同じ。

 彼は私の所属する演劇サークルの仲間だった。殆どのメンバーが役者を志願する中で、彼は私と同じ、稀少なスタッフ専任メンバーだった。


 私は照明を担当していて、彼は音響を担当していた。

 本番中に手動でオペレーションをするので、私達はキューのタイミングをすり合わせるために打ち合わせを頻繁にしていた。

 同学年でスタッフ専任は私と上島君だけだったので、私達はごくごく自然な流れで一緒に行動するようになった。


 私は彼のことが好きだった。

 話は面白いし、スタッフとしては頼りになるし、身長体重が私と殆ど同じという小柄な体格だったのでなんだか可愛らしかった。

 高校時代まで男子が苦手だった私は、全体の約八割が男という大学生活を生き抜くために、男友達も積極的に作るようになっていた。彼は私にとって初めて出来た男のだった。


 演劇サークルの活動は、本番が近くなると会場に泊まり込みで行うことになる。

 業界用語で小屋入りと呼ばれる、会場の準備や本番の舞台で練習する期間だ。

 私も例に漏れず、三日に一回くらいしか家に帰らない生活を送った。会場は大学構内にあったので、シャワーも食堂もあり、思っていたより快適に過ごすことが出来た。


 しかし構内には寝る場所はなかった。

 私のサークルでは公演は九月の下旬に行われていたので、小屋入り期間となると朝晩は酷く冷えた。

 私達は風邪を引かないように、会場の倉庫にあるカビ臭い暗幕にくるまって寝るのが常だった。更に言うと暗幕の数はメンバーの数よりも少なかったので、必然的に二人で一枚を使うことになった。

 非常に理に適った方法ではあった。なにせ暗幕は言い換えれば厚手の大きな布地一枚なので、九月の朝晩の冷え込みをしのぐには心許ない。だが、誰かと一緒にくるまれば温かいのである。

 しかも演劇サークルというのは得てして恋愛の巣窟だ。メンバーが二十人弱しかなくても三組のカップルが成立していたので、男女で一枚の暗幕にくるまるくらい特別なことでもなんでもなかったのである。


 私は活動時間が常に同じという理由で、上島君と一緒に暗幕にくるまることになった。身長が殆ど同じなので、どちらかの足が出てしまうということもなく、快適な夜を過ごすことが出来た。

 悪戯っ子の彼はよく私を突っついたりくすぐったりして、楽しそうにしていた。

 面白い子がいたものだと微笑ましく思いながら、私は彼の隣で深く眠った。


 そんな生活を送っているうちに、演劇サークルの公演はつつがなく終わった。季節はすっかり秋めいていた。


 大学一年生というのはそれなりに忙しい。私も常にレポート課題や宿題などに追われていた。

 静かすぎる場所が嫌いな私は、よく生協食堂で課題をこなしていた。すると彼は私を見つけて、向かいに座ってきた。

 最初はそんな感じで偶然続きだったが、次第にメールで「今夜一緒にご飯食べて帰ろうよ」と誘われるようになった。

 それ以来、週に二回は生協食堂が閉まる夜九時まで、二人で他愛ない会話をして過ごした。席が空いてくると、彼はよく対面の椅子からボックスソファーに座る私の隣に移動して、寄りかかって過ごすことが増えた。くっつくのが好きな人なんだなと思って放っておいた。


 私はそれなりに寂しがり屋だ。高校時代、上手く親友を作ることが出来なかったために、空虚感を抱えながら三年間を過ごした。

 だから彼のようなずっと一緒にいてくれる存在が出来たことは本当に嬉しいことだった。男友達を作るのもいいものだと心から思った。


 ただこの時の私は全く気づいていなかった。周囲は私と彼が付き合うのは秒読みだと盛り上がっていたらしい。彼自身もすっかり私のことが恋愛的な意味で好きになっていた。

 私だけが全く別の方を向いて、子供の心のままに喜んでいたのである。


 認識の違和感に気づいたのは、クリスマスの三日前だった。食堂に誘われるようになってから一ヶ月くらい経っていた。

 彼はいつものように私に寄りかかっていた。特にきっかけはなかったが、私は不意に気づいた。


(この人、もしかして私のことが好き……?)


 いやでも私は彼に対して「貴方のような親友が出来て本当に嬉しい。毎日楽しい」と話していたし、彼もうんと頷いていた。

 十八年間生きてきて、色恋沙汰が全くのゼロということはなかったが、十八年間で一、二回しか起こらなかったことがこんな簡単に起きていいはずがないのだ。

 考えすぎかと思って、私は彼が私に恋愛感情を抱いているという可能性を、食堂の返却口に下げた食器と一緒にぽいと捨て去った。


 だが、実際は気のせいでは済まなかった。


 クリスマスイブの日、私と上島君は大学構内にいた。

 演劇サークルの小屋入り作業というのは人手が必要で、学内に存在する演劇サークル同士で手を貸し合うのが常だった。私のサークルは構内で一番人数が少なかったため、一人で強力なスタッフに成長する必要があったし、なんとしても他サークルに顔を売り続けなければ、ろくに公演も打てないような貧弱な体制だった。

 私はたった一人でも、他サークルの手伝いに参加しに行った。そんな私を心配してか、上島君もいつからか一緒に来てくれるようになった。


 その日も彼は当たり前のように私の隣にいた。終電の時間が迫ったことで、手伝いのメンバーは解散となり、私と彼は駅に向かって構内を歩いていた。

 深夜ゼロ時は過ぎていた。暦の上ではクリスマスになっていた。


「あのさ、気づいてないかもしれないけど、俺、蓮のことが好き」


 ほんの少し会話の間が出来た時に、彼はそう切り出した。本当にこんなことがあるのかと私は驚いた。


「恋人として付き合ってほしい」


 恋愛は素敵なものだと周囲の大人は言った。私の周りにいたカップル達も幸せそうだった。私もそんな恋愛に憧れていたし、いつか好きな人から告白されてみたいと思っていた。


 だが、彼の告白は全く嬉しくなかった。


「ごめん。上島君は私にとって親友だから、恋人には別の人となってほしい」


 彼は暫く黙っていた。

 予期した答えをじっくりと受け止めていたのかもしれないし、意外な答えに唖然としていたのかもしれない。実際のところはわからないが、嫌な沈黙が続いた。


「でも親友としてならこれからも仲良くしたいから、また食堂に誘ってよ」


 黙っているのが辛くなった私は、場の空気を和ませるためにそう言った。

 実際で貴重な親友を失うのは嫌だった。

 私は永遠に彼と仲良くしていたかったし、彼に好きな人が出来たなら応援したいと思っていた。私の言葉を聞いて、彼は短く「うん」とだけ答えた。


 終電の出発時間が差し迫ったことに気づき、私と彼は駅まで走った。互いに反対方面だった私達はゆっくりと会話する時間もなく電車に飛び乗り、別れた。


 そんなことがあっても、私と彼の関係は特に変わらなかった。相変わらず食堂で楽しく雑談していたし、他サークルの公演の手伝いに一緒に行っていた。

 代替わりを終えた私達は幹部としてサークルを引っ張っていく立場になり、次の公演はどうするかなどの打ち合わせも二人でよくした。


 どうやら私達の友情は失われなかったようだと私は喜んでいた。ただ彼は、気がつけば私に寄りかかることはなくなっていたし、時々何やら悩ましい顔をして黙っていた。


 サークル活動もそうだが、一年の後期ともなればクラスの方の活動も忙しくなった。

 新二年生は四月になると新入生を歓迎するために宿泊を伴う親睦会を開くのが恒例だったので、私達もその準備に追われた。

 新入生歓迎会の実行委員には男と女が一人ずつ就くのが決まりで、誰もやりたがらなかったので、私はそれならやるよと手を上げた。

 こうして私はもう一人の実行委員である古家君と宿の下見に行ったり、食堂で打ち合わせしたりするようになったのである。


 そうして忙しい時間を過ごすうちに、季節は二月になっていた。

 期末試験を終えた解放感に浸りながら、私はいつものように上島君と過ごしていた。食堂が閉まる時間になって一緒に駅に向かっている時、上島君は不意に口を開いた。


「やっぱり蓮と付き合いたい」


 まだ諦めてなかったのかと驚いた。クリスマスから一ヶ月半も経ったのに。

 私は改めて、君は親友だから恋人になる気はないと答えた。彼は半泣きになりながら、


「わからない。なんでずっと一緒にいるのに、一緒にご飯食べてるのに、こんなに仲いいのに、恋人じゃいけないんだ? 君の言う親友と俺の言う恋人って一体何が違うの?」


 と問い詰めてきた。そんなことを言われても困った。

 ただ彼は親友であって恋人ではない、それだけのことなのに、彼には私の言い分が理解出来ないのだ。


「理由なんてわかんないけど、とにかく付き合えないよ」


 その日はなんとなく険悪なムードになりながら別れた。

 翌日は何事もなかったように私達は食堂で雑談していた。

 二度断ったのだからもう大丈夫だろうと思った。しかし恋愛感情というのは日陰に積もった雪のようにしつこく残るものらしい。

 一ヶ月も経たないうちに、三度目が訪れた。


「どうしても付き合えない?」


 もううんざりだった。恋人じゃなくて親友だからと、何度も言った言葉を返した。

 その度に親友と恋人の違いを問い詰められる。自分は何がいけないのか、どこを直せばいいのかと、上島君から矢継ぎ早にメールが来る。


 そんなメールをどうにかやり過ごして疲労感から溜め息をついていた時、携帯が鳴った。メールの差出人はクラスメイトの古家君だった。


「イルミネーションが綺麗な場所があるから一緒に散歩しない?」


 さすがの私も、気づかないでいられるほど鈍感ではなくなっていた。

 念のため「どういうこと?」とメールを返すと、二、三回やり取りをした後で、


「直接言おうと思ったけど、俺、蓮のことが好きなんだよ」


 と返ってきた。

 もうわけがわからなかった。

 大学に入るまでの十八年間で一回か二回しか起こらなかったことが一週間で二回も起きた。断ってもしつこい相手に辟易としていた時に、また断りの連絡を入れなければならない。


「ふざけんなよ! 勝手に好きになられても困るんだよ! 少しはこっちの気持ちを考えろ! イルミネーションなんて行くか、気持ち悪い!」


 事情を知らない古家君にとっては完全にとばっちりだっただろう。

 さすがの古家君もその時は「そんな言い方なくない? こっちの気持ちも考えてほしいんだけど」と怒ってきた。

 それでも、肝心の新入生歓迎会の実行委員という関係は続いていて、私達の衝突は単なる喧嘩として片づけられた。古家君は二度と告白してこなかったので、関係がこじれることはなかった。


 だが上島君は諦めなかった。

 サークルメンバーの浅野さんから「あいつ構内で蓮の後つけてるから気をつけな」と言われた。それから「あいつもう蓮が死ねって言えば死ぬレベルで蓮に夢中だよ」とも。


 もはや恐怖でしかない。


 私は上島君と親友でいたかっただけだ。

 ただ食堂で一緒にご飯を食べて、くだらない話をして、互いに恋人が出来たら応援し合うような関係を望んでいた。それがどうしてここまでこじれてしまったのか。

 私以外なら誰を好きになっても構わないのに、何故よりにもよって上島君の好きな相手が私なのか。


 もう疲れていた。最初の告白から既に四ヶ月が経っていた。

 ほとぼりが冷めればいいと思っていたのに、事態はどんどん苛烈になっていく。


 何故こうなったのか。私が悪いのか。受け入れられない私が悪いのか。

 相手は私を愛しているだけだ。大事にしようとしてくれているだけだ。

 愛という感情自体は悪いものではない。そう頭ではわかっていても受け入れられないものは受け入れられない。


 何故彼はあれほど私に執着して、私には彼の気持ちが全く理解出来ないのか。

 悩みに悩んで、なんでもいいから解決策が欲しくなった。


 疲労感と罪悪感を募らせた私は、全然話したことのない千葉君に妙な相談をするまで追い詰められていた。そこで唐突に、アセクシャルという言葉に出会うことになったのだ。


 まさか自分にセクシャルマイノリティーの可能性があるなんて思いもしなかった。

 私は心も体も正常な女であったし、女を好きと思ったこともなかった。普通に男性と恋をして、結婚して、父と母と同じように幸せになるものだと思っていた。

 ややショックではあったが、受け入れられない自分を責める必要がないと思えたのは救いだった。

 恋人と親友の違いはなんなのか、なかなか得られなかったその答えは、私と彼の根本の感覚が違うという前提条件が追加されたことによって、あっさりと導き出された。


 ならばやることは一つだ。彼を諦めさせるためには、彼にわかる方法で可能性がないと伝えればいいのである。

 言葉での説得はもはや不可能とわかっていた。残る方法は態度で示すこと。


 私は彼という久々に出来た親友を諦めることにした。


 彼から来るメールは徹底的に無視した。サークルの打ち合わせ以外の会話は一切しなかった。二人きりにならないように細心の注意を払った。

 本当は顔を合わせないのが最善なのだとわかっていたが、私と彼はサークルの幹部になっていたため、それは不可能だった。折角入ってきてくれた新入生達のサークル生活を、私達の私情で乱すわけにはいかない。


 周囲に悟られないように、人前では仲良しを演じて、しかし裏では確実に、私は上島君から友情を剥ぎ取っていった。

 最初の頃はどうして無視するのかとメールが絶えなかった。着信履歴も一日に数件残った。待ち伏せまがいのこともされた。

 そのうちメールや着信の数が減っていった。一ヶ月が経つと彼から連絡してくることは一切なくなった。


 三ヶ月が経つと、先輩から主宰を引き継いだばかりの私に彼はサークルをやめると伝えてきた。

 諦めがついたのだとわかった私は、これまで無視を続けた理由を謝罪とともに説明した。


「なんか、急に態度が変わったからどうしたのかと思ったけど。腑に落ちないものがようやく腑に落ちた」


 そんな納得した文面が返ってきた。それから私達は本当の意味で仲直りした。


 親友には、戻れなかった。


 上島君はもう私を食堂に誘うことは無くなったし、二人で会おうとすることもなくなった。私は上島君と出会う前の頃のように食堂に一人でいるようになった。


 こうして私にとってゼロ人目である彼との関係は終わりを迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る