Aの私

星川蓮

序 それ、アセクシャルだと思う

「それ、アセクシャルだと思う」


 大学の生協食堂で対面に座っていた千葉君は私にそう言った。聞き慣れない言葉だと思った。というか、そんな回答を期待していたんじゃないとずっこけそうにもなった。


 無理もない。私は彼に恋愛相談をしていたのだ。

 最近、私のことを好きになった人がいる。けれどこちらは上手く好きになれない。

 だからどうすればいいのかと尋ねたという、ごくありきたりな恋愛相談のはずだった。

 ところが彼は突然「僕、大学でジェンダー論を履修してるんだけど……」と言って、性別についてつらつらと語り出したのである。


 さすがは超がつくほどの一流大学の学生。恋愛相談ですら理論的にこなすらしい。

 そんなことを思っている私も、大概ではあったんだが。


 千葉君は文化祭のサークルで一緒になった友達だ。学年は同じだけどクラスは違う。共通の趣味もないし、そもそもお互い名前と顔を知っているくらいの関係の人だった。

 ただその日、生協食堂で見かけたから声をかけて一緒に座って、雑談をしていた。


 そして何を思ったのか、私はそんな遠い関係の千葉君に恋愛相談を持ち掛けていたのである。何故そんなことをしたのか自分でも疑問だったが、恐らく誰でもいいから聞いてほしいほど、私は切羽詰まっていたのだ。


「世の中には五種類の人間がいる。心と体の性別が一致した人が異性を好きになる異性愛、心と体の性別が一致した人が同性を愛する同性愛、心と体の性別が不一致の人が異性を愛す同性愛、心と体の性別が不一致の人が同性を愛す異性愛。それから最後に人を性的に愛さない無性愛。Aセクシャルと書いてアセクシャル、これは無性愛のことを指すんだ。そういう性的嗜好の人は百人に一人いるらしい」


 いや急にそんな話をされても、という気持ちが正直なところだったが。

 納得出来る話ではあった。そもそも愛が存在するというのなら、愛が存在しないパターンがあっても不思議ではないのだ。


 ゼロという数字の発見が数学者にとって革命だったように、無という状態は気づくことが難しいだけで、確かに存在している。


「つまり、私がアセクシャルだとしたら、上島君の告白を受け入れられなくても当然ということ?」

「そう。だって、恋愛感情がないんだからね。アセクシャルが付き合うなら、やっぱりアセクシャルになると思う。根本の感覚が違うんだから、別のジェンダーの人が歩み寄りは難しいんだよ」


 あまりにも斜め上の回答。しかし私の中で何かがストンと落ちたのがわかった。


 私は告白してくる相手の感情がわからなかった。未知の感情を向けられて困惑していた。

 それが、そういう性質の人間なのだと説明してしまえば納得出来る。


 アセクシャル、百人に一人という割合で存在するマイノリティー。

 なんだ、少数派と言っても意外と沢山いるじゃないかと、この時の私は特に気に留めなかった。


 だが私はまだ知らなかった。知名度の低いマイノリティーであることの生きにくさが。

 その後、心無い言葉の数々を浴びせられ、世界が醜く変貌していく未来が。

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