外はサクサク、中身はぐじゅぐじゅと甘い

青月クロエ

第1話 

(1)


 ふぅふぅ、ふぅふぅ。

 ふぅふぅ、ふぅふぅ。


 ベッドで少女が苦しげに寝返りをうつ。

 真夜中過ぎ、熱を含む呼吸が途切れ途切れ室内に響く。


 枕元のカンテラの光を頼りに、青年は水を張った盥に浸した布を絞り、少女の額から頬に伝う汗を拭う。

 咳は五虎湯咳止めの漢方薬で治りつつある。だが、よく効く筈の解熱剤が彼女に限ってはあまり効果が見られない。ただでさえ身体があまり強くないのに。

 これ以上高熱が長引けば──、悪い想像を必死で振り払う。


「……無力、だな」


 かつて、どれほど学業で良い成績を収めていたとしても、とある事情により現在も尚、医学と薬学の知識を独学で学んでいても。少女の夏風邪ひとつ治してやれないのだから。


「……シャロン、さん……??」


 荒い呼吸は変わらずとも、顔だけこちらを向けた少女の薄灰の目はしっかりと開かれていた。


「すまない、起こしてしまったか??あぁ、そのまま寝てなさい」

「ですが……」

「グレッチェン。いいから寝ていなさい」


 無理に身を起こそうとするグレッチェンを、青年──、シャロンは語気を強めて制す。普段はとても聞き分けがいいのに、ときどき妙な意固地さを発揮する。

 今だってそう。夏風邪を拗らせたせいで手を煩わせている、とか余計なことを考えてるかもしれない。


「君は何も気にしなくてもいいから。ただ身体を治すことだけ考えていればいいのだよ??」

「……はい……」


 ぐずっと小さく鼻を啜り、こくり、グレッチェンは小さく頷いた。納得してくれたならそれでいい。いい子だというように、汗で湿った長い髪を、頭から灰を被ったような色の髪を撫でる。


「なにか食べたい物は??」


 グレッチェンは目を伏せ、弱々しく首を振った。

 だろうな。昨夜はオートミールを一口やっとの思いで食べていたし、今朝だって好物のライスプティングを二口ほどしか食べていない。

 本当は身体のためにももう少し食べてもらいたい。食欲増進効果のある漢方を飲ませたいところだが、体力が落ちているときは下手に薬を増やさない方がいい。


「さぁ、もう目を閉じて。今夜も私がそばにいる。安心して寝るといい……」

「サクサクの生地……、と」

「ん??」

「サクサクの生地、と……、つやつや黄色くて、ぐじゅぐじゅ甘い……」

「んん??」


 髪を撫でていた手が思わず止まる。

 寝言かとも思ったが、まだグレッチェンの目はしっかり開いたまま。意識も同様にしっかり残っている。


「……が、やっぱり、食べたい、です……」

「んんんん?!待ってくれ、『サクサクの生地とつやつや黄色くてぐじゅぐじゅ甘い』とは何だね?!」


 病人相手なのも忘れ、勢い込んで問いつめる。が、当のグレッチェンは『言い残すことはもうない。大いに満足した』と示すかのように、ぱたりと眠ってしまっていた。

 さっきまで苦しそうだったのが、嘘みたいに静かに眠るグレッチェンの横で、シャロンの方が別の意味で眠れぬ夜を過ごす羽目に陥ったのだった。









(2)


 それから数年後の或る夜。

 シャロンとグレッチェンは、シャロンの昔からの因縁相手……、もとい、腐れ縁の悪友ハルが経営する大衆居酒屋へ来店していた。その理由は『ある菓子の試作を作ってみたから食べに来い』とハルに呼び出されたのだ。


「……で、結局、その『サクサクの生地とつやつや黄色くてぐじゅぐじゅ甘い』ヤツの正体ってなんだったんだよ??」

「今まさに目の前にある、さ」


 とは──、たった今、ハルがシャロンとグレッチェンに差し出した小皿のアップルパイだ。窯の調整がてらハルが作ってみたという。


「はーん、言われてみりゃあ、たしかにパイ生地はサクサクしてるし中身は黄色くてぐじゅぐじゅ甘いわな。言い得て妙ってやつか。でもなぁ」


 ハルは煙草に火を点けると、カウンター越しにグレッチェンを意味ありげに見下ろした。その意味を汲み取るとグレッチェンはふい、と顔を背けた。


「あのときの言葉が乏しすぎたことくらい、言われなくても自分でわかっています」

「拗ねるな拗ねるな」

「別に拗ねてません」


 キッと睨みつけられてもハルはどこ吹く風。ふーっと余裕の態度で煙を吐きだしている。


「そう怒るなって。一番悪いのはお前さんの黒歴史語ったシャロンだろ」

「……ですね。元はと言えば、シャロンさんが喋ったせいですね」

「なぜ私に飛び火する?!」

「知りません」


 ハルのときよりも顔を背ける角度がかなり大きい気がするし、纏う空気も一段と冷たい。昔は素直で可愛かったのに、どうしてこう何かと冷たい態度を取るようになってしまったのか。


「……わかった、グレッチェン。私の分のアップルパイも君にあげよう。それで機嫌を直してくれないか」

「うわ、甘い物でご機嫌取りとか常套手段すぎ……」

「わかりました。ありがとうございます」


 安堵するシャロンを尻目に、グレッチェンはさりげなく彼の分のアップルパイを自分の方へと寄せていく。その様子を、二本目の煙草を吸いながらハルは呆れた目で眺めていた。

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外はサクサク、中身はぐじゅぐじゅと甘い 青月クロエ @seigetsu_chloe

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