第6話:女は駄目ですか
育実と仲良くなって数ヶ月経ったある冬の日のこと。
「……あのさ、姉ちゃん最近、彼氏でも出来た?」
弟からそんなことを聞かれた。
「は?出来てないけどなんで?」
「毎晩毎晩誰かと楽しそうに電話してるから」
「あぁ。あれは友達」
「……ふーん。相当仲良い友達だね」
「んだよ。大体、相手は男じゃねぇから」
「あ。なるほど。彼氏じゃなくて彼女ってことか。そっか。恋人が異性とは限らないもんね」
ここで初めて、育実と恋人になる自分を一瞬だけ想像しかけた。しかし、その想像は上手く膨らまずにすぐに消えた。
「いや、だから。恋人じゃねぇっつーの」
「ごめんごめん。……姉ちゃんのあんな楽しそうな声久しぶりに聞いたからさ。……ねえ、姉ちゃん——「戻らんよ」
弟の言いたい事は分かる。どうせ、昔の私に戻って欲しいと言いたいのだろう。言葉を遮ってそれを否定すると、彼は俯いて黙り込んでしまった。
「……戻れんよ。今更……無理だよ」
「……俺、猫被ってる姉ちゃん大嫌い」
「知っとる」
「……強くてカッコいい姉ちゃんが、大好きだよ」
「それも知っとる。……お前の前では演じとらんからええじゃろ」
「……外でも演じてほしくない」
「私が外で猫被ろうが、それは私の勝手だろ」
「そうだよ。これは俺のわがままだよ。姉ちゃんがどんな理由で猫を被るようになったか、分かってるよ。分かってるけど「分かっとるなら文句言わんといて!ウゼェんだよ!」
つい、怒鳴ってしまった。弟は怯み今にも泣きそうな顔をしたが、私を真っ直ぐ見据えながら「俺は本当の姉ちゃんが好き。猫被ってる姉ちゃんが大嫌い。そう思ってる人、きっと俺だけじゃないから」と涙声で吐き捨てて部屋に戻って行った。
「……私だって演じるの辞めれるならやめたいわボケ」
その日もいつもの時間に育実から電話がかかってきた。着信を拒否して「今日は話したい気分じゃない」とメッセージを送る。「何かあった?」と返ってきた。「お前には関係無い」と打ち、送信しかけてやめる。ここで彼女を拒絶すれば、本当の私はさらに奥に閉じ込められてしまう。
「……ごめん。やっぱり、話聞いて」
彼女に電話をかけ、そこで私は、彼女に学校で猫を被っている理由を正直に話した。
途中、言葉に詰まってしまうが、彼女は「話せる範囲で、ゆっくりで良いよ。時間あるから」と優しく声をかけてくれた。彼女の優しさに涙をこぼしながら、胸の内を全て打ち明けた。
「……そっか」
「……うん」
「……あたしは素のあんたの方が好きですよ。つっても、学校で猫被ってるあんたがどんな感じか知らんけど。……疲れるなら、やめちゃって良いんじゃないですか」
「それが出来たら悩んどらんよ」
「まぁ、そうだよな。……ごめん。けどさ、その男のことはもう好きじゃないんだろ?」
「……」
「えっ。もしかしてまだ未練ある?」
「いや、無い。……と思う」
「……無いなら尚更、演じる必要なくない?勝手に抱いた幻想とのギャップで勝手に幻滅する奴にはさせとけば良いんですよ。自分を偽って恋愛したって、楽しめなかったんだろ?開き直って素の自分を愛してくれる人探した方が良いよ」
「……そんな人居ないよ」
私がそう否定すると、彼女は「はぁ……」と深いため息をついた。そして「居るじゃん。ここに」と一言。
その瞬間『恋人が異性とは限らないもんね』という弟の言葉が蘇り、想像しかけて消えた育実と恋人になる自分の姿の想像が再び膨らむ。
「……やっぱ、女は駄目っすか」
電話越しに聞こえてきた不安そうな声から、冗談ではないことは伝わった。
「……分かんない。同性を好きになったことないから……」
「そう……っすか……良かった。無理ではないんすね」
「育実は……その……レズビアンなの?」
「……うん。そう。あたしは男を好きになったことない。多分これからもないし、あんたが男だったらこんなこと言ってない」
「……育実は、私と恋人になりたいの?」
「うん」
「い、いつから……そう思ってたの?」
「出会った日から」
「えっ、そんな前から!?」
「……あたしね、あんたの見た目と中身のギャップにやられたんすよ。……だから、見た目通りのお淑やかな女だったら多分、こんなに好きになってないよ」
「好き……」
「うん。好きですよ。……実を言うとね、あんたに『男だったら好きになってた』って言われるたび、ちょっと不安になってたんだ。打ち明けたら、否定されんのかなって」
その時私は、自分の何気ない言葉が彼女を傷つけていたことを初めて知った。
「あ……ごめん……」
「いや、良いよ。知らなかったんだし、別に同性愛そのものを否定してたわけじゃないって分かったから。……答えは急がないから。待ってるから。じゃ……今日はもう、切っても良い?明日早いからさ……」
「……うん」
「またね。桃花さん」
「うん……またね。育実」
電話が切れる。
改めて、彼女と恋人になることを想像する。デートをして手を繋いでそれから——その先の想像は、脳が拒否した。恋愛経験が全くないわけではないとはいえ、キスまでしかしたことがない。その先の行為は全くわからなかった。女性同士ということに嫌悪感はなかったが、出来るか出来ないかと問われればわからなかった。
その日一日悩んだが、答えは出なかった。
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