第7話 猿回しの慈善活動

「これはこれは姫様。おはようございます。今日もいい天気でございますね。あ、こちらが例の不埒者ですか? 浦島様とタイマン張って負けたんだって? そんなに気を落となさんな。あの浦島様とやりあって生きてるんだ、幸運だと思いなよ」

「ああ、姫様おはようございます。今朝も見廻りお疲れ様でございます。それとあなたが島外から来た不埒者さんかい? 良い大人なんだから童みたいなイタズラはよしなさいよ」 

「姫様おはよー! 不埒者もおはよー!」


 道中に竹で作られた長椅子が置かれてあった。

 竜之助はどすんと腰を落とす。


「なあ、姫さん」

「どうした、竜之助」

「この島は裁判なしに市中引き回し刑にするのかい? それとも露出狂は即死罪ですかい?」


 らしからず落ち込んでいた。特に子供にすれ違いざまの不埒者呼ばわりは相当堪えた。


「ち、ちがうぞ? 打ち首獄門になんてしないぞ? ただまあ、小さな島に寄り添って暮らしてるからか噂はすぐに早まる。子供の頃の話だ、寝小便をしたら昼までには島全体に知れ渡っていたことがあったよ……」


 肩を落とす乙姫。恐らくは成人した今でもその話でからかわれるのだろう。

 苦労を滲ませる姿に竜之助は同情する。


「お姫さんも大変ですな……」


 二人は山城へと向かっていた。竜宮島の山頂には小さいながらも城郭が存在する。数少なく背も低いが野面積みの石垣も備わっている。海や島全体を眺望できる軍事拠点となっている。そして近くには洞窟があり、鉄格子がはめられた牢屋がある。

 そう、竜之助は連行されていた。腰には縄が巻かれ、逃げられないように乙姫が紐を握っている。まるで猿回しのように。


「まだ着かないんですかい?」

「なんだ、竜之助。骨が折れるとでも言いたいのか」

「骨が折れる前に心が折れそうだよ」

「心中察する。今は下町の半分。下町を抜け上町まで行けば、まあ、人に見られることは少なくなるだろう」

「まだ半分! 本州から見えるけども離島。小さいと思ってましたが結構広いんだな」

「島外の人間はよく言う。広いだけじゃない。栄えてるともね」


 自慢気に胸を張る。


「仰る通りだ。こりゃ集落じゃねえ。立派な町だ」


 今一度、歩いてきた道を振り返る。


 道は馬一頭が走るくらいの細さながら、家はどれも立派だった。木造一階建ての平屋だが屋根には瓦が敷き詰められている。


「ここらへんは武家屋敷か?」

「ん、なんでそう思うんだ?」

「え、だって、屋根が瓦葺で……」

「いや、どれも大抵漁師の家だぞ。下町は海に近いからな」

「はあ!? 庶民の家に瓦!?」

「なにをそんなに驚く。雨にも火にも強い。すごく便利だぞ?」

「……ちなみに代金はどうしてるんだ。漁師の家には厳しいはずだ。瓦だ、金がかかるに決まってるだろう」

「そんなの……竜宮家が払うに決まっているだろう」


 きょとんとする乙姫様。


「……うん、まあ……小さな島だし……そういうこともあるか」


 一つの山、一本の川を越えると言語や文化が変わるのはよくあること。

 異常としか思えない事柄であったが、無理やり飲み込むことにした。


「……だけどよ」


 竜之助は目を光らせる。


「整備は行き渡っていないようだな」

「……なに?」

「気付いてなかったのか? 一軒や二軒じゃない。瓦が剥がれている。あのままじゃ雨漏りしちまうぜ。最近嵐が来たんじゃないか?」

「ああ、一週間前に嵐が来た。被害があったら報告するようにと命じていたのだが……」


 乙姫は手を震わせる。うずうずと、心の中で揺れ動いている。

 竜之助は手に取るように、彼女が何を悩んでいるかはっきりとわかる。


「……そんなに領民の生活が気になりますかい?」

「ああ、だがしかし、私には他に使命が」

「……領民の生活より大事な使命がありますか? 俺のことなんて気にせずにそちらを優先しましょう」

「しかしだな」

「逃げやしませんよ。そんなに心配なら首に鈴をつけてくれたって構いませんぜ」

「猿の次は猫か。お前はつくづく物好きだな」

「人を家畜扱いする姫さんこそ物好きじゃないんですか」

「まさか。私はお前を人間として見てるつもりだ。気付いてくれてありがとう。少し寄り道するとしよう」


 二人は表の道を逸れ、さらに狭い路地へと進む。


「この先にホタテという老爺がいる」

「領民の住所と名前、覚えているんですかい? ご丁寧なこった」

「それしき当たり前だろう」


 狭い道を抜けると一軒の平屋が現れる。ごく小さな庭があり、背の低い柿木が生えている。その根元に砕けた瓦が山となっていた。

 乙姫は玄関の戸を叩く。


「ホタテ! ホタテはいるか!」


 しばらくして、


「……はい。その声は姫様ですかな」


 玄関ではなく、庭の方面から腰の曲がった老爺が壁に手を付きながら歩いてい来る。


「突然呼びたてて悪いな。苦労を掛ける」

「いえいえ。滅相もありません。久々に姫様の声を聞けて寿命が伸びた心地ですよ。それでこの老いぼれに何用でしょうか」

「用というほどではない。ただ、困っていることがあるんじゃないか? 例えばその、雨漏りをしているとか」

「姫さん、回りくどいようでまっすぐに聞きましたね。何がしたいんすか」

「うるさい」


 乙姫は竜之助の脇を軽く小突く。


「おや、もしやあんたが不埒者さんかい?」

「ご老人。俺の名前は竜之助だ。不埒者竜之助でもないぞ。皆にもそう伝えておいてくれ」

「それよりもだ、ホタテ。雨漏りはしていないか? 先日の嵐が過ぎてからも雨の日があったはずだ」


 竜之助が拗ねる横で話は進む。


「……そうですね、ちと居間で……雨漏りをしております」

「なぜ早く言わない。私はすぐに知らせよと命じたはずだぞ」

「その……姫様にご迷惑をおかけしたくなかったのと……若い大工が出払ってしまっているので」

「うっ……それは……すまない。私の配慮が足りなかった」

「滅相もありません。雨漏りと言えど無視できる程度です。桶を置いて、溜まったら捨てればいいだけのことなので」


 遠慮するホタテ。人に迷惑をかけること、世話になることを極端に嫌がる性格ではない。しかし島は緊急事態で人手不足。贅沢を言ってはいけないと考えていた。

 すると乙姫よりも先に竜之助が身を乗り出す。


「おいおい、ホタテじいさん。そりゃ無視できる程度で済ませる話じゃないだろ。命を守る大事な家だ。雨漏りといえど無視してたらあっちゅーまに腐っちまう。虫歯のようなもんだぜ。無視してたら命取りになる」

「もう少し若ければ自分で直せたんだがね……道具や素材は揃っているんだけにもどかしい……」

「道具ってのは槌に釘、それと梯子か?」

「ああ、そうだが」

「なんだい、それを早く言えよ。梯子がありゃ手枷のままでも屋根の上に登れるな」


 ホタテの垂れていた瞼が力強く開く。


「まさか……直してくれるのか……不埒者」

「竜之助だ!」

「竜之助か……悪いな、こんなおいぼれ相手に……恩に着る」

「……まあ直すつっても応急処置だがな。瓦の敷き詰め方なんか知らねえ。槌や釘の使えるがノミやかんなはてんでだめだ。それでもいいならな」

「ありがたい……本物のエビス様だ……」


 ホタテは両手を擦り合わせて感謝する。


「……というわけだ、姫さん。ちょっと屋根に上がってきていいかい? 難しいかもしれんがそこんとこ頼むぜ」


 竜之助は両手を擦り合わせて願い出る。


「猿や猫は高いところに上りたがるもんなんだよ。見張りを増やしてくれたって構わない。それとも俺に槌や釘のような武器になりそうなものを持たすのは認められないか?」


 乙姫の判断は、


「まったく仕方のない奴め……許可するが、一つ条件がある」

「その条件ってのは?」

「くれぐれも落ちないように気を付けるのだぞ。猿も木から落ちるというしな」


 厳正な審査の結果、許可が下りた。


「任せてくれよ。高所での作業は猿よりも得意だ。落ちる時も猫顔負けの着地を見せてやるよ」

「やや、落ちちゃだめだぞ?」

「ホタテじいさん。それじゃあ梯子はどこにあるんだ。教えてくれ」

「もうやってくれるのか。すまないねえ。裏の壁に紐でくくりつけてあるんだ。すぐにわかると思う」


 ホタテは親切にされて嬉しいのか、二人を置いて早歩きで奥に先走る。

 竜之助は手のひらを見せて乙姫に先に譲る。


「そんじゃあ姫さん。行きましょうか」

「……やれやれ。変わった奴だよ、お前は……」


 こうして奇妙な猿回しの慈善活動が始まった。

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