第2話 龍神様のお許し

「いやあ乙姫様の言うとおり、ここは楽園でございますな! うまい握り飯に、塩辛さがない湧き水! そして食後にこのミカンとかいうすっぱい果物! そしてご馳走を食しながら眺める絶景の海! 何より麗しいご婦人方に囲まれての食事! 本州でもこんな好待遇はありませんでしたぞ!」


 今も睨みを利かす鬼の形相をしたご婦人に囲まれながら、飄々と堂々と出された食事を平らげる。

 身体中腫れていて顔も同じ。おにぎりは鉄の味、ミカンの汁は口の中の傷を刺激した。

 それでも彼は終始笑顔を崩さなかった。


「ご馳走様。どれも素晴らしかったです。ただ贅沢を言うなら……このずしりと重い手枷なしで味わいたかったな……」


 乙姫は漂流した竜之助に新品のふんどしばかりか、手枷をも与えた。


「すまないな、竜之助。島の事情なのだ。我慢してくれ」

「こんな奴に謝ることはないですよ、姫様!」

「そうそう! 貴重な米を与えているだけ有難いと思え!」


 きつめの言葉を投げかけられた竜之助は、


「もしやこの島では米が取れないのか。これはかたじけないことをした」


 あぐらをやめ、正座をし、地面に手をつき頭をつく。ケチのつけようがない見事な作法だった。

 これには海女だけでなく乙姫も驚いた。

 だが海女たちは警戒を解かない。


「れ、礼をしただけで心を許すと思うなよ!」

「あんた何者さ! ここへは何しに来た!」


 竜之助はおもむろに頭を上げる。


「俺は竜之助です。そう名乗るしかありません。ただ、この島へ来た理由ははっきりと言えます」


 恐ろしいほど真っすぐな目。嘘偽りのない清らかさを感じた。


「ほう、それはなんだ?」


 乙姫は興味を示す。この男がどんな者か見極めるためにも必要だったからだ。


「女を抱くためです」

「……は?」

「もっと言えば欲求不満の女です。ここは現在女だけと聞いた。それならば欲求不満の女がいるはず。そう睨んだ私はなけなしの金で三文の舟を」


 言い切る前に海女たちが寄ってたかって蹴り始める。


「こいつ!! また姫様の前で下品なことを!!!」

「やはり女の敵!! 死に晒せ!!!」

「ええい静まり給え! ご婦人たち!! 正直に申せ!! 男に飢えた者が必ずいるはずだ!!」

「飢えていようとお前のような男はお断りだよ!!!」

「この俺を暴力で屈せると思うなよ!! あとでこっそりと教えてくれ!!!」


 あっけにとられた乙姫だったが我に返り、海女たちを止めようとする。


「やめないか、お前たち! せっかく貴重な食料を与えてやったのに無駄にするつもりか!!」


 だが海女たちの怒りは収まらない。

 止め方を探しあぐねているとまた新たな甲冑の音。


「おやおや、これは何の騒ぎですか?」


 乙姫とは別の美しさを備えた中性的な侍が現れた。腰に帯びるは一本の打ち刀。


「おい、みんな! 浦島様だよ! 浦島様が来てくれたわ!」


 浦島と呼ばれた侍を見るやいなや海女たちは囲って輪を作り出した。きゃーきゃーと黄色い歓声が響き渡る。


「すまない、天女たち。あいにく僕は今、仕事中なのだ。どいてくれるかな」


 口元が僅かに綻ぶ。

 海女たちは波に揺られる昆布のように揺れる。


「やだー天女たちだなんてー!」


 悶えているうちに浦島は包囲網をかいくぐり、乙姫の前で跪く。


「浦島桐生。ただいま見参しました」

「遅いぞ、浦島。今の今まで何をやっていた」

「神域に怪しい人影がありました。やや深追いしすぎました」

「なに、神域にも人が!? それは真か」

「くまなく探しましたが発見には至りませんでした。どうお詫びしていいか」

「そうか。お前にも見間違いくらいはあるだろう。ご苦労だった」

「ありがとうございます。それでこの見るも無残なふんどし一丁の男は」

「今朝方砂浜に流れ着いたエビス様だ。名は」

「名は竜之助と申す。よろしくな、色男」


 竜之助はむすっとした態度で挨拶をする。


「色男……ああ、僕のことか。それとどうしてだろう、初対面なのにつんつんしていないか」

「おかしいな、この者は礼儀正しく作法を知っているはず……何か理由があるのか」

「ありますよ、お姫様。俺は、俺よりモテる男が大嫌いなんすよ」

「……とまあ、だいたいこういう男だ。悪く思わないでくれ」

「流さないでください! 大事なことですよ!」

「やれやれ、流れ着いたという割には元気が有り余ってるようだね……本当に龍神様にお通しを許されたの?」

「龍神様? なんのことだ?」

「そんなことも知らないでこの島にやってきたのかい? 龍神様はこの島の守り神。この島に近づき上陸できるのは龍神様に許された者のみなんだ」

「……いや、この島に舟で近づいても神仏なんて見なかったぞ」


 首を傾げる竜之助。

 その姿が滑稽に映ったのか海女たちは吹き出し、浦島も苦笑する。

 乙姫だけが丁寧に補足する。


「龍神様は神聖なのだ。姿かたちが見えるわけではない。しかし島に近づくまで必ずお会いしてるはずだ。ひどく舟が揺れなかったか」

「ああ、揺れた。何度も荒波にひっくり返されそうになったし、渦潮に飲み込まれそうにもなった」

「それが龍神様だ。我々が恐れ敬う守り神様だ」


 竜之助は膝を叩いた。


「なるほど、抽象的な概念か! それならそうと早く言えってんだよ!」

「何度も言うけど、そんなことも知らないでこの島にやってきたのかい? 命知らずの罰当たりも良いところだ。姫様、本当にこいつ生かしていいんですか?」

「わかっているだろう。彼は龍神様に通過を許されたエビス様なのだ。だから最低限のもてなしはしたつもりだ」


 竜之助は無精ひげをぼりぼりと乱暴に掻く。


「ああ、だいたいわかってきた……エビス様ってのはつまり漂流物のことか」

「そうだ。大概は座礁したクジラだが……生きた人間が打ち上げられれば命を助けるのが島の掟だ」

「なるほど、そいつはありがてえ神様だな。こうして巡り巡って俺の命を助けてもらったんだ。感謝しねえとな」

「ふん、どうせ口だけの信仰だろう。僕は騙されないよ」

「お前を騙して俺に何の得があるんだよ……」

「信用を得て油断させたところで後ろからざくっと……とかね」

「はあ? なんで俺がお前なんかを闇討ちするんだ」

「とぼけなくていい。君、くじら様が言っていた海坊主じゃないのかい?」

「まあた新しい単語だ。次は海坊主か。お前の反応から察するにこの島にとって良くない、害をなす存在なんだな」

「ああ、そうさ。わかったならとっとと海に帰ってくれる? 汚らわしい血でこの島を汚さなくて済む」

「お前さん、手枷をはめられた男一人にどうしてそこまで物騒になれるんだ?」

「予言なんだよ。海坊主は二回に分けてやってくる。一回は十人、二回は五十人で。君は第一波の生き残りなんじゃないのかい?」


 髭を掻く手がピタリと止まる。


「……なるほど、十人……確かに数が合うな……」


 小声でつぶやく。


「なんだ、造意か? やはり生かしておくべきではないな」


 金属が擦れる音。

 浦島は太刀を抜いた。


「待った待った! まずは俺の話を聞いてくれ!」

「問答無用だ。覚悟しろ」


 浦島は刀を振り上げたが、


「待て、浦島! 気が早いぞ!」


 二人の間に乙姫が立った。


「姫様。どいてください」

「お前らしくないぞ。落ち着け」


 目と目でつばぜり合いする二人。

 勝負の結果は、


「……わかりました。乙姫様がそう仰るのなら」


 浦島が折れる結果となった。


「……焦る気持ちはわかる。だが私はお前が無益な殺生するところなど見たくないぞ」

「……心遣い感謝します」


 美しき主従。守り守られの一心同体。


「……あのぉ、話を続けてもいいか?」


 竜之助は空気を読まずに水を差す。


「その海坊主なんだが、俺が切っている」


 そして爆弾発言を落とす。

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