竜宮島の乙姫と一匹の竜
田村ケンタッキー
第1話 流れ着いた竜
後頭部で纏めた
竜宮島守護大名代理、竜宮乙姫は小柄な体躯に似合わぬ鎧を身を固めながらも猫のようにしなやかに素早く駆けていく。
目指すは島唯一の上陸可能の砂浜。
つづら折りの下り坂を越えると集落にたどり着く。
「ふわあ……おや、姫様ではありませんか。おはようございます。今日も走り込みですか。精が出ますねえ」
突如家から出てきたのんびりとした老婆が乙姫の通り道を阻む。
あわや衝突。
「さより殿。おはようございます。私はこの通り元気そのものだ」
地面を力強く蹴り、猫のように空中に舞う。
「今日も暑くなる。なるべく家にいるのだぞ」
そして両足で着地すると健脚はすぐさま走り出す。
乙姫は手を伸ばす。着地の衝撃を受けた膝ではなく、腰に帯びた脇差に。
(よし、落ちていないな……)
感触を確かめると彼女の動きは加速する。
「お気遣いありがとうございますねえ」
老婆が目で追い、首を逆の位置に動かすが、
「あれま。今日は見送りに失敗にしたね。海で何かあったのかねえ」
すでに乙姫の姿はなかった。
砂浜にはすでに人だかりができていた。全員海女であり、波打ち際の漂流者を離れた場所から観察していた。
「あれ、男だよね……」
「しかも侍だ。倒れてはいるが刀を握っている」
「くじら様が占いで言っていた海坊主じゃないかい……」
「でも陸に上がっているからエビス様でもあるじゃないか……」
あぐねる海女たち。
そこに甲冑の音が近づく。
「皆の者、無事であるか!」
頼れる守護者の登場に海女たちの顔から不安が消し飛ぶ。
「姫様だ!」
「来てくださったのですね!」
しかしそれは一瞬だけ。
「姫様、近づいてはなりません!」
「そうですよ、危険です! 浦島様の到着を待ちましょう!」
信頼されれば心配もされる。
乙姫の実力は認めているものの、海女の誰よりも小さく、成人したとはいえまだまだ若い。
もしも何かあったら……。
それが海女たちの総意だった。
「案ずるな。私には海神様がついている」
腰に帯びた唯一の刀を力強く握る。
「それはそれとして浦島はどこに行っている。昨晩から今朝にかけての見張り番は彼女のはずだが」
一人の海女が答える。
「神域にいるそうです。急いで戻ってきてはいるようなんですが……まだお姿を見てはいません」
「まったく! 乙姫様が来てるというのに浦島様は何をなさっているのですか!」
そしてまた別の海女が嘆く。
乙姫はそれを静かに諌める。
「浦島のことを悪く言うな。忠臣たる彼女が持ち場を離れるのはそれ相応の理由があるはずだ」
「う……すみません……」
「私を思っての言葉なのだろう。お前たちが心配するのもわかる」
諌めながらも民の感情に理解を示す。
そして彼女は理解だけでなく、威厳も示そうとする。
「しかし私はこの島の守護を任された竜宮家の長女、乙姫だ。あの流れ着いた者がこの島に厄災を運ぶ者か否か、見極めなければならぬ」
集団を割って進む。
「いけません! やはり浦島様の到着を待ってから!」
掴んで止めようとする者の手を肩で振りほどき、勇ましく前に進む。
近づきながら打ち上げられた海藻のようにぴくりともしないうつ伏せの漂流者を注意深く観察する。
(中肉中背……生傷はあるが目立った出血はない……)
巧みに足音を立てずに近寄る。呼びかける前に落ちていた刀を蹴飛ばし、手が届かない距離に離す。
これで漂流者の装備は今にもちぎれそうなボロふんどし一丁となった。
「さすが姫様……なんて冷静……」
海女たちも漂流者に徐々に近づいていた。しかしまだ警戒を解いておらず、集団を保ったまま。
乙姫は観察を続ける。肩の微動を見逃さなかった。
「……生きてるのか」
漂流者の生存を聞くと海女たちはまた騒ぎ出す。
「やだ、生きてるってよ」
「どうする? 助けるの? 龍神様に招かれたのならそうしないとだけど」
「今は島に若い男たちはいないのに、暴れ出したら誰が止めるの? 私は良いけど子供たちがね……」
不安が募る一方。
乙姫はやはり人の上に立つものとして見本となる。
「案ずるな。私に考えがある。お前たちに心配せずにいつも通りに暮らしていればいいのだ」
民の暮らしのためにも漂流者の見極めは必然。
まずは意識の確認から。
「聞こえるか、龍神様に一時の生を許された漂流者よ! 聞こえているのあら返事をしろ!」
大声で呼びかける。
「……」
漂流者に目立った反応はない。
「死んでるんじゃない?」
「死んでくれてたら助かるんだけどね……かわいそうだけどさ」
「あえて助けないのも有りなんじゃない?」
心のない言葉を無視しながら、乙姫は意を決して漂流者の首に指を当てる。
「姫様!?」
「危ないですって! 腐ってたらどうするんですか!」
肌は水のように冷たい。しかしその内では確かに血が流れていた。
「脈はある」
生存を確認した時だった。
「ぐ……」
冷え切った肌に温かな指が触れたからか、漂流者は呻き、動き、喋る。
「……息が……できぬ……なぜ……」
「それはお前がうつ伏せだからだ。待ってろ、ひっくり返してやる」
身動き取れなくなった亀を助けるように乙姫は漂流者をひっくり返す。
「うお、まぶしっ」
「どうやらそこまで衰弱はしていないようだな。立てるか?」
漂流者は深い眠りから覚めた直後のような薄れた意識で目を開ける。
「……えらいべっぴんさんがおる。ここはもしや桃源郷か?」
「桃源郷でも凍験郷でもない。ここは
「……俺は……生きてるのか……」
ぼんやりとした頭のため、夢と現実の境があいまいとなっている。
「ああ、奇跡的にな。龍神様にしかと感謝するのだぞ。自分の名前は言えるか?」
「……竜之助」
「なるほど、竜と来たか。上の名前は?」
「……もうない」
「あるでもなく、そもそもないでもなくか。事情があるのだな」
ゆっくりであったが意識疎通は取れる。
「……お前さん、若い娘なのに、すっげえしっかりとしてるのな。言葉だけじゃない態度とか仕草とか……すげえ」
「こう見えて成人はしてるのだが」
「俺からすりゃ成人してても若いうちに入るんだよ……」
無精ひげをガリガリと乱暴に掻く。
「温かいとはいえ、まだ身体が冷えるだろう。いま、火の準備をする」
「そこまで世話になるつもりはねえ。大丈夫。体力には自信があるんだ、この通り……っと」
その時、事件は起きた。
ぷつり。
ボロン。
立ち上がった拍子に運悪くもふんどしが事切れる。
すると漂流したとは思えぬ生気溢れた天高く昇ろうとする竜が姿を現す。
「おっと、すまねえ。久々にべっぴんさんを目の前にしたもんだから勝手に」
「きゃあああああ!! 不埒者ー!!」
「たっべぐあ」
乙姫は生娘のような悲鳴を上げて渾身の平手打ちを食らわせる。
細身であったが背丈のある男は空を舞った後に受け身もままならないうちに砂浜に落ちる。
「はっ、すまない! エビス様かもしれない、それも初対面の相手に!」
我に返る乙姫。
「ははは……なかなか初々しい反応だ。これはこれで」
不意打ちをかまされても余裕を見せる竜之助。
しかし彼には追い打ちが待っていた。
「このやろう!! 姫様になんてものを見せやがるんだ!!」
「嫁入り前だぞ!!! エビス様だろうが関係ねえ!! 簀巻きにして南の崖から落っことしてしまえ!!」
「誰か包丁を持ってこい!!」
「くたばれ、変態!!!」
乙姫を慕う海女たちに容赦なく足蹴にされる。
ずっと怯えて警戒していた彼女たちだったが腹を痛めて生んだ娘同然の乙姫の一大事となれば恐怖を忘れ命を顧みない。
「まってまって! 麗しいご婦人方! 今のは事故!! 事故だから!」
言い訳する竜之助だったが為すすべなくうつ伏せになる。有名なおとぎ話に出てくる亀のようにいじめられる。
「待ってくれ、みんな! その者の言う通り、事故だから! 許してやってくれ!」
乙姫が必死で呼びかけるが麗しいご
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