2.雨漏りのひどい203号室

 使い古した加湿器に追加で水を流し入れ、夕飯の準備をする。

一人暮らしももう3年目になり、料理のレパートリーも増えてきたところだ。リズム良く玉ねぎを刻み、溢れて止まらない涙を半袖の裾で拭く。


グツグツと煮える鍋をゆっくりかき混ぜながら、無意識に歌を口ずさむ。最近デビューした歌手のデビュー曲だ。


(あの人はサビを抑えめに歌っていたけど、ここは盛り上がるほうがより感情が伝わるんじゃないかな…)


なんて思いながら出た歌声は、予想より大きく、隣の部屋から、ドンッと壁を殴られる。

この方法で隣の住人から騒音注意を受けることが日常となっている天宮美月(アマミヤ ミヅキ)は、謝罪の意を込めて優しく壁を3回ノックする。


こんな扱いを受けている美月であるが、きちんと歌を歌えば、誰もがその歌に涙するほどの歌唱力の持ち主であった。

歌手であり、誰からも愛されるような美しい容姿を持つ祖母に憧れ、幼い頃から歌を歌い続けてきた。

その結果、周りの人より歌が上手いと言われるようになり、気づいた頃には「絶対的な歌声を持つ少女」として有名になっていった。


ただ上手いだけではなく、いつでもきちんと歌に想いを込める美月の歌は、人の心を動かすほどで、高校の文化祭で歌った時の動画は、同級生のSNSから拡散され、あっという間に有名レコード会社の耳に入り、デビューのオファーがあったほどだ。


「あなたの歌は、人を元気にする。」

そう幼い頃に憧れの祖母から言われた時から、歌手になりたいと夢見ていた。

それなのに、美月はデビューの話を今でも断り続けている。


(私なんかが、歌手として人前に出れるわけがない。)


たとえ周りがどれだけ賞賛してくれようと、私は祖母のようにはなれないのだ。

私は人前に立てるような人間じゃ、ないんだ。


ハッと我にかえり、かき混ぜる手が止まっていることに気づく。鍋底で焦げた玉ねぎが、鮮やかな黄金のスープのなかで醜く目立つ。


「可哀想に。」


美月は小さく呟き、スープを皿へよそう。

時刻は、22時を回っていた。


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