1.浴槽付きの角部屋、205号室
最近また新しく出てきた歌手の動画を、もうかれこれ80回ほど聴いては、ため息をこぼす。
(あー…またイイ歌を歌う人が出てきちゃったなぁ。顔だけなら絶対負けないのに…。)
ヘアバンドで形のいい輪郭が強調され、白くて柔らかい肌にデパコスのパックが吸い付くように顔を覆う。長くすらっとした手足を使い、お風呂あがりのストレッチをする。
美しいままでいるためにしているこれらは、誰もが振り向くほどの絶世の美女である、水咲陽菜(ミズサキ ヒナ)にとって義務感を持ってしている行為なのだ。
陽菜は、お風呂後のルーティーンを全て完了させ、着圧のレギンスを履いて全身鏡の前に仁王立ちする。
「はぁー、自分で言うのもって感じだけど…こんなに見た目は完璧なのになぁ…。あとは歌だけなんだよなー…」
そんなことを言いながらショートパンツのウエスト部分に、力尽きたように垂れ下がる紐を、器用に蝶々結びにしていく。
気休め程度のリップロールをしながら、飲み口の欠けたマグカップをシンクに戻し、早めに眠りにつく。
幼い頃、両親に連れて行ってもらった遊園地で、たまたまやっていた歌手のライブを見たあの日から、歌手を夢見ていた陽菜には、絶対的な容姿があったため、芸能界に入ること自体なんら難しいことではなかった。現在はモデル活動のみであるが、人気もかなり出てきたため、陽菜が望めば歌手デビューでもなんでもさせてあげよう、と言う提案すら既に出ているほどであった。
しかし、そんな喉から手が出るような提案に、陽菜が首を縦に振ることはなかった。
自分には、歌手として人前で歌を歌うほどのレベルがないと自覚していたからだ。
夢のため、歌のレッスンを長年してきたが、その苦労も虚しく、歌唱力は良く評価しても中の上。一般的なレベルから向上することはなかった。
(たとえ今歌手になれたとしても、それは私の本当になりたい歌手ではない。)
とてつもない葛藤の末、辿り着いた結論であったことは、言うまでもない。
「もっとたくさん努力して、歌手としても評価してもらえるレベルになった時、もう一度ご相談させてください。」
震える声で社長からの提案を断ったあの日を、陽菜が忘れることはないだろう。
少し苦しそうに眠る陽菜の枕元で携帯が22時を表示し、部屋にはシンクに水が垂れる音が響く。
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