第44話 蠢動

「どういうことじゃハル」

「説明してもらおうか」

 ぐい、と詰め寄ってくるヴェセルとカノ王女から目を逸らすと、

「いやあアルノと上手くいったよありがとうお前らのおか」

「そうじゃない」

「それはめでたいが、聞きたいのはそれではないぞ」

 誤魔化せなかった。

 なぜなら聖女がまとわりついているから、ではない。それはいつものこと過ぎて気にならない。

 問題は、

「はいお兄ちゃん。お茶を淹れたよ」

「ああ、ありがとうアリア。うん、やっぱりアリアのお茶は特別だな。甘露、いや神の水と言っていい」

 人類の守護者とも言える聖女アリアテーゼがハルを「お兄ちゃん」と呼んでいることだった。

「おいこらハル!」

「どうなっとるんじゃ、説明せい!」

「あ、いや。そ、それよりカノ、お前こんな前線まで来て良いのかよ。王城での詰めが大事なとこだろ」

「阿呆め、そんなもの家臣に任せて来たわ。それどころではなかろうが」

 僅か十五歳にして有能な家臣を見つける観察眼と、見出した人物に任せる度量まで身につけているのは、王女も大概化物である。彼女の兄姉、つまり現国王の弟妹には二十代、三十代が多いけれどもこれほどのカリスマと才気を持つ者は存在しない。

「そもそもエル・ラメラを挟むところまで来ているのだ、御前会議が決定した交渉開始の条件は揃っている。ならば全権大使として私がここに来なくてどうするのだ」

「あ、はい、そうだね」

 話題逸らしも華麗に流され、ハルとしては首を竦めるしかない。

「戦況に関しては、概ね予定通り進捗しているから善しとはしよう」

「それはどうも」

「だが、アリアが前以上に残念な感じになっていることについては説明を求めるぞ」

「前以上ってお前、アリアのこと前も残念だったとか思ってたのかよ、割と酷いな……。てかそう言われてもなぁ……アリア的に、アルノと俺の間に挟まっていたいらしい」

「は?なんだそれは」

「いやだから、アルノの姉的ポジションは死守したい。だが俺を父と考えたまま俺とアルノが一緒になると、アルノは義母ってことになる。かと言ってアルノの姉的ポジションを固持すると、今度は俺が弟になる。どちらにしても嫌だから、どうしようかと考えていたら最高の着地点を閃いたのだとか」

「何て迷惑な閃きだ」

「アルノはあくまで自分が可愛がるべき妹、俺はあくまでも上の存在、なら間に挟まれば万事解決じゃん、だそうだ」

「だそうだ、じゃないだろう」

 聖女のとんでも理論を呆れつつ聞いた王女は、最終的に頭を抱えることになった。

 だが、その件についてハルを責めても仕方ない。彼はアリアが良いと思うのなら何でも良いのだから、恐らくこの件もアリアがそうしたいならと簡単に許可したに決まっている。そんな人間に何を言っても無駄だ。


 已む無く、甲斐甲斐しくハルの世話をする……というより、ちょろちょろと纏わり付いている残念聖女を振り返り、

「アリア、お前はどうしてハルのことになるとそう斜め上にすっ飛んで行くんだ。まあ今は仕方ないが、教会に戻ったらちゃんとしろよ」

 さすがに聖務は真面目にこなすだろうから大丈夫とは思うが、念のため釘は刺しておく。

「嫌ですねぇ、大丈夫ですよ殿下。ね、お兄ちゃん」

「そうだな、アリアはしっかり者だからな」

 ダメだこの馬鹿親子、いや今は馬鹿兄妹か。これから交渉が始まるというのに、なぜその前から疲れなければならないのか。

 そう嘆くカノ王女はため息をついて軽く頭を振ると、馬鹿兄妹のことをいったん視界からも脳からも追いやって、

「ヴェセル翁、頼むぞ」

「頼まれましたぞ。まあ、カレン殿を通して大枠は詰めてあるから問題はなかろうて。使節団含めて最終確認だけしておきますかな?」

「そうだな、では使節団をここへ呼……いや、我々が会議室に移動するか」

「……ですな」

「あ、俺も行くか?」

「来るな。お前だけは来るな。行くぞアリア」

「はい、殿下。じゃあお兄ちゃん、後でね」

「ああ、頑張って来るんだぞアリア」

「うん!」

 教会を代表する者として、また戦線を知る幹部としてアリアには参加してもらわなければならない。

 ハルはどうでも良い、終戦交渉に現場の最高司令官は必要ないというより、公私を弁えるだろうと信用はしていてもハルが来るとアリアの挙動が正直不安で仕方ない。使節団には王室派だっているのだ、だらしない聖女を見せる訳にいかない。

「いいなハル、お前は来るな、絶対来るなよ。ここで戦後処理計画だけ立ててろ、いいな」

「お、おう……えっとそれはフリか?乱入でもした方が良いのか?」

「馬鹿者、フリではないわ!」


 怒鳴りつけて出て行くカノの背中を眺め、一人になったところでハルは思い出したように引き出しから封筒を取り出す。

 送り主はホウリュウイン・キリア。

 勇者なのだから妖族の街へ来れば良いのに、と思ったが女神と魔王に邂逅したあの日から忙しくて彼もあの街へ行っていない。

 だから手紙にしたのだろう。

 悪いことしたな、と思いつつ封を切った。












「あうう……行きたくない」

「諦めてくださいお嬢様」

「カレンが行けばそれで良くない?」

「良くありません」

 ばっさり切り捨てられたアルノががっくりと項垂れる。

「いい加減はっきりしておかないと、いくら脳筋な魔族でも勘付く者も出てきますので」

「まあ、そうよね。だから魔王様不在ってことだけ報告してさ、後はカレンから」

「ダメです」

「あう」

「魔王様名義で終戦の詔勅だけは発布しましたが、お嬢様のご結婚のことはご自分でなさってください。幾ら何でも私が報告するのはおかしいでしょう」

「だってあいつら、徹夜で宴会とかしそうじゃない」

「否定はしません」

「それはまだ良いとして……ねぇ、同族ってことでフルドラにだけはカレンから」

「ダメです。……なぜフルドラだけ?」

「長だけなら良いのよ、でもほら、副長が絶対ニヤつきながら弄って来るでしょう」

「ああ……」

 あの色好み下ネタ大好きのショタが、ここぞとばかりにねちっこく弄り回すのはカレンの脳裏にも鮮やかに浮かび上がる。

 それは確かに嫌かも知れない。

 見た目が完全に美少年なところがタチ悪い。気障な台詞すら似合ってしまう傾国の美少年が、オヤジみたいな下ネタエロトークで場を引っ掻き回す様は正直見たくない。

 だが、どのみち乗り越えなければならない壁だ。

「所詮は脳筋魔族です。どうせすぐ飽きますので諦めてください」

「あー……行きたくないぃ……」




 仕方がない、と無理やり立たせて着替えさせる。

 魔王様が神界に戻ったことを報告し、新たな魔族の統治体制を決定する族長会議なので、今日は軍服ではなく礼服を選ぶ。黒に赤の刺しであることは同じだが、刺繍だけでなく飾り紐もふんだんに取り付けられたものだ。これだけは人族製ではなく魔王様から下賜された特別製、アルノからの話を聞いた今なら恐らく神界で作られたものであろうことがわかる。

 女性用がなく男装であることがカレンには残念に思われた。相変わらずどこからあんな殺戮を生み出すのか理解できない華奢な体だが、同じ女であるカレンはどことなく色が加わった印象を受けたからだ。

「お嬢様、遅ればせながらおめでとうございます」

「え?なに、どうしたの」

「女になられましたね」

 ほんの少しカレンの言葉に首を傾げたアルノの顔が、面白いくらい真っ赤に染まる。

「ハル様は優しかったですか?それとも獣でしたか?」

「か、カレンも好きね」

「私も女ですから。それで、どうでした?」

 にやりと笑って追撃すると、アルノは視線をきょろきょろと落ち着きなく動かし、挙動不審になりつつもぽそりと呟くように答える。

「ま、まあ……どっちも、かな」

「ほほう」

 きらり、とカレンの目が光る。

 鏡越しに妖光を見て思わず引いてしまいそうになるアルノだったが、カレンはすっと表情を戻すと再び着付けに入る。

「まあ、詳しいことは後ほど伺いましょう。それで、本日の流れはしっかり頭に入っておられますか」

 くるり、と半回転させられたアルノはカレンを正面に見ながら、

「大丈夫よ。最終的に族長の合議制に持っていけばいいだけでしょう」

「あの、お嬢様?そこに至るまでの持って行き方は」

「へーきへーき。終わりよければ全て良しと言うじゃない」

「まだ終わっていません」

「カレンは心配性ね。大丈夫よ、最悪物理で解決すれば良いんだから」

「そうならないために進行を考えたのですが……」

 はあ、と嘆息するとぽんと礼服の肩を叩く。鏡に映る主の姿は、魔王様のような威厳はないけれども威圧感だけなら同等だ。

 言われてみれば確かに、最終的には物理で何とでもなるだろうし、その前に圧倒して何も言わさず通してしまう可能性の方が高い。

 今日のシナリオを主に覚えさせるために作った資料の、先日までの作業量を考えると切ないものがあるけれどここは主に任せておこう。

 ちょいちょい、と前髪を整えるとカレンは優雅に礼をした。

「では、いってらっしゃいませ、お嬢様」











 一年近く過ごした王城の部屋も、私物がなくなりすっきりした。

 王室派貴族に私兵として雇われた神丞、王城に出入りする御用商人の伝手から南部にある大きな施療院を紹介して貰い医療助手として雇われた小峰、二人の荷物はもう王城にはない。


 神丞はともかく小峰はだいぶ抵抗した。

 だが、様々な制限があるとは言え催眠が使える彼女が軍も嫌だし市井で商人になることも嫌だと言うのなら、医療でしか能力を活かせる場面はない。患者の負担を軽くしたり患部を清めたりと医療には多くの魔法師が関わっているから、日本への帰還方法を探るには情報源として貴重なフィールドではある。

 委員長と神丞から強く勧められ恨めしげな表情で渋々出て行ったものだから、馬車を見送った委員長は心中でドナドナを歌いたくなったものだが、何はともあれ予定通りには進んでいる。後は自分が何とかして魔族に渡りをつけられれば、王家と貴族に神丞、市井の魔法師に小峰、魔族に自分、そして先日ようやく会えた霧亜から西方の情報を得ることができる。

 不安があるとすれば、霧亜に「ようやく会えた」という事実だ。

 数日前から妖族の街に入りづらくなっている。今までは行きたいと強く願えば行けたのが、何かが条件になったのかあるいは制約がかかったのかわからないが、何度挑戦しても行けないという日々が続いていたのだ。

 妖族の街には毎晩顔を出す、という条件で何とか施療院行きを頷かせた小峰などは、恐らく相当焦っていることだろう。

 だが、自分たちではどうにもできないことだから我慢してもらうしかない。

 感情的になって飛び出されても困るため小まめに手紙は出しているが、そもそも帰還方法などそう簡単に手に入れられるものでない以上、実際のところはそこまで頻繁に情報交換する必要はない。ただ小峰を落ち着かせるための筆まめさなのだ。


 この問題はそのうち何とかしようと思いつつ、委員長は何もなくなった部屋をぐるりと眺める。

 先日ようやく出会えた霧亜にハル司令官への伝言を託した。

 カノ王女や聖女アリアもハル司令官とは昵懇だから、彼女たちを通して魔族のアルノ司令官への伝手に繋げられたかも知れないが、王女と聖女はおいそれと会える存在ではない。西方諸王国との和平交渉で霧亜が来ており、ハル司令官とも同席していたことを耳にしていたのは幸運だった。それがなければ魔族への伝手を探す間の生活基盤を構築するのに、どれだけの時間と労力を必要としたかわかったものではない。

 というのも、彼らが王城を引き払うことを告げた際の王国側の反応が顕著だからだ。

 月に一度の定例報告を義務付ける代わりに多少の持参金は用意されたが、彼らの表情には扱いに困っていた勇者が自ら去ってくれるという安堵感がありありと浮かんでいた。勝手に呼び出したのはそちらだろうと言いたいことは山ほどあったが、より多くの情報を持つのは何だかんだ言って政権中枢にいる王室派だ。神丞を残すこともあり、怒らせたり関係を悪化させるのは悪手である。何とか堪えて二人は去り、最後に残った自分も今日を最後に王城には二度と足を踏み入れないだろう。


 委員長は最後に残った手紙を懐に入れると、背負い袋を担いで部屋を後にする。

 ハル司令官だけでなく、アルノ司令官まで同席してくれるというチャンスだ、残念ながら神丞や小峰に連絡をとる余裕がなかったが、遅れて機会を失いたくはない。


「さて、正念場だな。日本へ帰れるのかこの世界に骨を埋めるのか。結果によっては俺の身の振り方も決めないと」

 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、旅装の委員長は部屋を後にした。

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