第45話 自分の居場所は自分で作れ

 カラン。


 いつものカウベルではなくもっと澄んだ音がハルの耳に入る。


 ヴェセルに相談したところセーガル河戦域と王都の間、だいぶ南に逸れるから移動に時間はかかるが王女の持つセーフハウスがある街を紹介してくれた。特徴のない街ではあるがそれなりに住人はいるし、よほど目立つ格好をしなければ市井に埋もれることが出来る。

 変装したアルノを伴ってやってきたハルは、街を見た瞬間に相変わらずカノは優秀だと感心したものだが、行程中も人族の領域にはしゃぎ回ったアルノは、この街のあまりの特徴のなさに詰まらなさそうな顔をしている。

「なんか、普通の街に普通の店って感じね」

 席に通されたアルノがちらりと周囲を見渡して感想を言う。

「そりゃそうだろ、条約は締結されたけど発行は御前会議での承認を経てからだ。今の時点でお前が人族の街に来るのは不味い。できるだけ埋もれそうな場所を指定したんだから」

 ハルの指摘は当然であって、それはアルノにもわかってはいたのだが折角の旅行だ、もっとこうワクワクするようなものであって欲しい。

 そう不満を口にするアルノに、ハルが耳に口を寄せ、

「その分、今晩も可愛がってやるから勘弁してくれ」

 正直なところ神格化が体感できないハルとしては以前から何も変わらず一般的な人族なのだから、本来であれば旅行中も毎晩繰り広げられた獣の饗宴には既に体力の限界が近いはずなのだが。

「ま、まったくもう、あれだけやってまだ足りないのかしら。そんなに私が欲しいの?」

「当たり前だろう?何なら人目がなければ今ここでお前の身体の隅から隅まで味わい尽くしたいと思っている」

「バ、バカっ!」

 頬を染めながらハルから身を話すアルノだが、内腿をもじもじと擦り合わせている。呼吸も荒くなっているし、さすがにこれ以上は店内では目立ってしまうと思ったハルが、紅茶を口にしようとカップを持ち上げたところで新たにベルの高い音が響いた。




「お久しぶりです、ハル司令官」

「えーと、桜庭君だったな、久しぶりだ」

 向かい合った椅子に座り同じものを頼んだ委員長、桜庭賢治が軽く頭を下げる。

 ちら、とオーダーを取って行ったウェイトレスが去ったのを視界の端に収めたハルは、続いて隣に座ったアルノを紹介する。

「知っているかも知れないけど、こっちがアルノだ」

「こういった形ではお初にお目にかかります。元勇者の桜庭賢治です」

「ん。よろしくね」

 言葉少なに応じるアルノに、サクラバは内心で驚いた。

 戦闘技能がないとは言え、この世界の一般人以上の膂力は備えていた彼も当然戦場を経験している。クラスメイトが死んだ戦闘にも参加しており、そこで先陣を切って暴れるアルノを目にもしているのだ。無表情に戦場を駆け、刃で命を散らす瞬間だけ冷酷な笑みを浮かべるその様は、まさしく死そのものであり恐怖以外に何も浮かばなかった。

 だからある程度覚悟を決めて来たのだが、目の前にいる魔族の司令官はすっかり普通の少女だ。髪の色も濃く染められ目の色もこの世界ではよく見る緑に近い青をしている。カラーコンタクトなどない世界だから恐らくこれは精神魔法の一種だと思われるが、その威力の大きさに驚くと共に、これなら魔族が何かしらの伝承に関わる魔法を知っているのではないかという期待も膨らむ。

「旅装のままで済みません。お待たせしたくなかったもので」

「ああ、いいわよ気にしないで」

 ひらひらと片手を振ると、サクラバの紅茶を持って来たウェイトレスを目に入れて黙る。


 紅茶の香りと共にウェイトレスが去ると、まずハルが口火を切った。

「それでサクラバ君、俺たちに聞きたいことがあるのはキリアから聞いている。その内容もだ。答えはあるんだが、きっと他にも聞きたいことがあるだろうから時間を取ってもらった」

「はい、ありがとうございます」

 姿勢を正すと、すぐにアルノが口を開いた。

「結論から言うわね。あんたたちが帰還できる可能性はゼロよ」




 覚悟はしていた。

 だが、こんなにもショックを受けるものなのか、とサクラバは思った。

 最後の頼みの綱であった魔族、その司令官から言われると、ああ自分はやっぱり日本での元の生活に愛着と執着を持っていたんだな、と当たり前のことを自覚する。

 そんなサクラバをアルノは興味なさげに、そして真実を知るまでは自分も同じ立場だったという思いのあるハルは少し痛ましげな視線を向ける。

 震えそうになる手でカップを手にし、口に運ぶが味なんてまったくわからない。ただ熱いな、とどうでも良い感想だけを抱いた。

「すみません……やはり少しショックだったようです」

 少しじゃないだろう、と思ったがハルは口にせず、

「いや、仕方ないだろう。ただ、厳しい事実ははっきり言っておいた方がいいと思ってな」

「いえ……ありがとうございます」

「覚悟はしてきたんでしょうから再認識しなさい。女神の眷属であるハル、魔王の眷属である私、二人が断言できる」

「そう、ですか」

「女神ネイトは勇者と聖女を祝福する。初代と二代目の勇者は確かにネイトが祝福したんだが、君らを呼び出したのは女神も関係していないんだ。王国に伝わるアーティファクト、それに魔族やエルフの魔法研究を独自に解釈してたまたま成立したものだ。君らは知らされていないと思うが、失敗もだいぶあってな……」

「失敗?」

「訳のわからない生物の一部だけを召喚したり、犠牲になった魔法師とか、な」

 説明しつつ、恐らくはヴァンか他の神が渡した技術なんだろうなあとハルは思う。特に召喚の基本となる召喚玉と呼ばれる巨大な玉は確実に神界から齎されたものだ。

 だが、神々は異次元の存在だ。彼らのやることや思考に意味や裏を考えても意味がないこともまた、ハルは理解していたから敢えて言わなかったけれども。




「仲間が……もう三人しか残ってはいませんが、まだ帰還の方法を探っています。人族、特に王城などに帰還方法が残されているという可能性もないでしょうか」

 サクラバは特に意識していた訳ではないが、三人しか残っていない、と言ったところでアルノがぴくりと反応する。横で気づいたハルは、ああこれは悪いと思っているんじゃなくてまだそれだけ残していたかという反応だな、と内心で苦笑した。

「ない。カノ……王妹殿下にも念のため確認したが、人族が隠し持っている可能性は低い。それに、悪いが召喚玉自体も王妹殿下が破壊を約束してくれている。君たちには申し訳ないが、これ以上召喚の犠牲者を増やす訳にもいかないからな」

 これで召喚玉の研究を進めて帰還する可能性を探る将来も閉ざされた。

 だが、サクラバは諦めず、

「魔王を倒せば帰還できると聞いていましたが」

「魔王様はこの世界を観察しているだけよ。そもそも呼び出したのは魔王様じゃないのに、どうして倒したら帰れるなんて発想になるのよ」

「そう……ですよね……」

 二人に明言され、さすがにがっかりして視線がどんどんと下に下がって行く。

 神丞と小峰という、具体的行動方針の策定でもメンタル面でも支えが必要な勇者しか残っていないから、と自分が頑張って気を張ってきたが、さすがに限界が来たようだ。


 その様子を見て、さほど興味もない風だったアルノも哀れに思ったか、

「あんたたちには同情するけど、どうにもならないことに労力使うより、これからのことを考えた方がいいわよ」

 慰めになるかどうか怪しいが、アルノが人族に気を遣ったことに驚いてハルが顔を向ける。ハルの驚愕を見たアルノは不機嫌そうに、

「なによハル。そんなに変かしら」

「ああ。じゃなくていやいや、アルノも大人になったな、と」

「あんたね……吸い尽くすわよ」

 サクラバは吸血鬼ならではの表現だと思ったかも知れないが、ハルはその表現が意味するところを正確に理解して苦笑する。

「んんっ、まあそんな訳でだ、帰還については俺たちでもどうにもならない。だがキリアからも頼まれてるし、手伝えることなら手伝うぞ」

「異界から来たあんたたちからしたら居心地悪いかも知れないけどね、ここで生きてる私たちからすれば良い世界よ」

 アルノの言葉にはっとする。


 そうだ、この世界の住人からすればこの世界こそが全てなのだ。

 もう帰還は絶望的だ。その可能性も考慮して、自分はここで生きて行くことを視野に入れていたはずだ。

 それなのにこうもショックを受けるということは、やはり覚悟が足りなかったのだろう。本当にここで生きて行くしかないのであれば、日本のことは忘れてこの世界のことを考えていくべきだ。

 決定さえあれば方向は定まる。

 その意味では、もう帰れないという決定事項を得られた自分は、希望に縋ったまま絶望に叩き落されたクラスメイトたちに比べれば遥かに幸せではないか。ならば、彼らの分まで生きて、この世界に異界から召喚され無念のうちに命を落とした少年少女がいたことを、刻みつけなければ。


 サクラバはその決意を新たにすると、この先のことについて相談するため顔を上げる。

「魔族と和平交渉が成されていると聞きました」

「ああ、それなら既に署名まで済んでるよ。魔族側は統治者の最後の仕事としてアルノが発行まで済ませている。人族は御前会議の承認が必要だから、来月になるんじゃないかな」

「だとすると私たち勇者が用済みになるのは確定しているということですね」

「それはハルも同じだけどね。まあ、あんたたちは確実に暇になるんじゃないかしら。それで、何が知りたいのよ」

 相変わらず突き放した言い方だが、暫定とは言え魔族の最高権力者であるにも関わらず、こうして無関係な勇者の相談に足を運んでくれているのだ。

 きっと悪人ではないんだろうな、と思いながら、

「私たちは魔族のことをよく知りません。この先どうするかを考えるに当たって、王国に留まるのか、南方や西方へ行くのか、あるいは魔族領域でやっていけるのかの情報が欲しいんです」


 ふむ、とアルノは考える。

 今までなら自分の足で歩き、自分の目で見て考えろと言うところだが、急激に変化する世界において異邦人の立場でそれを行うのは辛いだろう。のんびりやっている間に、気づいたら立つ場所がどこにもないということだってあり得る。王城からも出て既に王国の庇護もないに等しい状態だそうだから、日々の糧を得るにも大変だ。

 勇者カミジョウはこの世界を自分たちに寄せようとしていたのが気に食わなかったが、このサクラバとか言うのは自分から飛び込もうとしている。その意欲は買ってやっても良い。

「あんたの能力は?勇者なんだから何かあるんでしょう」

 戦場で見かけたこともあるはずだが、生憎と記憶にない。恐らく戦闘に役立つ能力ではないのだろう。だが、それはこれから先、戦い以外で生きていくには有用なものかも知れない。

 そう思って尋ねたアルノの問いに、サクラバはどこか申し訳なさそうな顔をして答える。

「交渉などで……少しだけ自分に有利な方向へ持っていけるよう、相手の意識に干渉することができます」

「へぇ……」

 面白い能力だと思う。

 ちら、と隣を見ればハルも感心したように目を見開いている。そんな能力であれば今回の和平交渉に参加させれば良かったのに、と思ったが少しだけと言っていたしそもそもアルノや魔族の長たち相手では無意味だとカノ王女も思ったのだろう。

「悪くないわね。魔族は力こそ正義だったから、これから商業や工業などを人族から導入する予定よ。交渉というのなら、商人としてやっていくのが良いんじゃないかしら」

「でも、魔族に通用するようなものでは……」

「バカね、そんなのは当たり前だし、そもそも魔族相手に悪どいことしようものなら私が殺すわ。魔族の商人として、人族との交易を担ったらどうなのよ」

 アルノの言葉に、何かが啓けたように表情が明るくなる。

 なるほど賢そうに見えてもやはりまだ子供だ、近視眼的で全体が見えていない。だが、それも経験次第だろうし人族とスムーズに交渉できる担当が欲しいと思っていたのも事実。

 とするともう一歩進んでも良いだろう。

 そうアルノは判断した。


「そうね……これから魔族は四族の代表による合議制を採って、人族を真似て外交、軍事、法律、教育、土木などの部門を作る予定だから、あんた通商部門で働きなさい」

「アルノ、決定事項なのかよ」

 苦笑しながらハルが突っ込むが、サクラバは明るい顔を更に輝かせて、

「良いんですか?」

「いきなり魔族の中に放り込まれるのは大変だろうから、窓口になるエル・ラメラの通商館で交易交渉官になれば良いわ。魔族と人族の交流都市でなら、魔族に慣れるための余裕もあるでしょう」

 思った通り悪い人ではなかった、とサクラバは感覚を信用して踏み出した自分を褒めたい気持ちになった。きっとアルノ司令官は現実的な人で、好き嫌いで判断しないのだろう。

 ちょっとしたアルバイトすらやったことがないから、働くことに対する不安はあるし、魔族とも戦場でしか邂逅していないから恐怖だって残っているが、この世界で生きていく覚悟を決めたばかりだ。

 そしてその機会を得ることもできた。

 後はもう、必死に働くしかないだろう。

 そう考えて彼はアルノに深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、頑張ります!」

「他の勇者は良いのか?キリアは協商国に居着いたようだが、あと二人いるんだろう」

 随分早い決断だなとハルは思ったが、それだけサクラバは追い詰められていたのだろうし腹も据えたのだろう。今更勇者がどうこう出来る訳でもあるまいし、まあいいかと思い他の勇者について尋ねる。

「私に機会を頂けただけでもありがたいです。きっかけを頂けたので、後は私が立場を築き、彼らを手伝いたいと思います」

 残り二人にも便宜を図ってくれと言ってきたら断ろうと思っていたが、なるほどキリアが紹介してくるだけあって子供ながらにしっかりしているようだ。


 アルノと視線を合わせたハルはひとつ頷くと、

「エル・ラメラが形になったら連絡する。それまではやっていけるな?」

「もちろんです。それまでは自力で何としてでも生きて行きます」

 サクラバは来た時と真逆の顔で、はっきりと断言した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る