第43話 聖女こそ最強

 がらん!

 バタンというドアの音と共に、普段なら聞けないカウベルの音が響き数瞬遅れて走り寄る足音が聞こえる。


「ハル様!」

「は?!アリア?」

 白い長衣を翻し駆け込んでくる少女が、驚いて立ち上がったハルに飛び込む。

「ハル様、ハル様!すんかすんか」

 がっしりと抱きついて嗅ぎ回るアリアが、ふと気づいて顔を上げる。じっとハルを見つめ、ついで片手で頭を押さえているアルノに視線を落とすと、なるほど、と言う顔をした。

「アルノちゃん、おめでとう!オンナになったんですね」

「やーめーてー!大声でそんなこと言わないで!」

 どんな羞恥プレイだ、と顔を真っ赤にしてアリアの口を抑えようとするアルノだが、ハルもまた恥ずかしそうに視線を移ろわせていた。もちろん、アリアの暴露を聞いてヒューヒューと囃し立てる周囲の客のせいだ。

 だが、この騒ぎに悪乗りしそうな諸悪の根源は静かだった。というより、驚愕にわなないていた。

「え、うそ、どうして……許可は与えてないのに」

 その声に気づいたアリアがハルから離れると、聖女らしい清楚な立ち姿からすっと女神の前に膝を折る。

「女神様、お久しぶりでございます」

「あ、アリアテーゼ様、いえアリアちゃん、あの、どうしてここに」

 女神の声を聞いたハルが首を傾げる。

「様?」

 なぜ神であるネイトが聖女に様をつけるのか。何やら妙な状況になっているが、とにかく訳がわからない時は静観するに限る。

 そう思って二人を眺めていると、

「ヴァン様から啓示をいただきました」

「ヴァン?!」

 女神が驚き、魔王もまた顔をしかめる。

 ぼそっと隣で、「頂いたんじゃなくて捥ぎ取ったの間違いじゃ」と呟くアルノはこの際無視しておく。

 黙って見ていると慌てた女神が宙を睨んで、

「あ、ヴァン?あなたアリアちゃんに何か……は?ハルとアルノちゃんのいちゃつき防止と三角関係の方が面白いから?あんたそんなくっだらないことで……ちょ、待ちなさいコラ!」

 急に喚きだしたがすぐに黙り込む。

 その場にいる全員が何を言えば良いのかわからず一画が静まり返るが、

「あいつぅ……ぶっ飛ばす!」

 女神とは思えない忿怒の形相を浮かべたかと思うと、次の瞬間にはネイトの姿がかき消えた。

「どうされたのでしょう、女神様は」

 小首を傾げるアリアに、アルノは「お前のせいだろ」という言葉を何とか飲み込んだ。




「ヴァンってのは神の一柱でな、何しろ面白ければ何でも良いという奴なんだ」

 喧騒の戻った酒場で盃を煽った魔王エリアルが説明する。

「アルノヴィーチェ、お前とハルがうまく行くということは種族の共存の目処が立ったってことだからな、このまま終わるのは詰まらないってんでアリアテーゼに啓示を与えたんだろう」

「でも、私は人族に容姿が近いわよ?」

 アルノの質問に魔王は少し考え、彼女が言いたかったことを理解したのだろう面白そうにニヤけて、

「別に異種族の共存は性交がゴールじゃないぞ」

「なっ?!そそそ、そんなこと言ってないでしょ!」

「敵対する種族の軍事トップ同士が交流して価値観を共有できるんだ、指示されて戦っていただけの連中なら尚更だろう?」

「でも、それならば神々がそう啓示されれば良かったのでは」

 指摘したのはアリアだった。

 その言葉も当然と言えるだろう。何も敢えて不和をばら撒き戦争させてまで相互理解の実験をする必要はない。魔王エリアルも要するに神なのだから、魔族も人族も対象は違えど神を信仰することは同じだ。だとすればそれこそ上から仲良くしろと言うだけで良い。だが、

「ふむ、アリアテーゼ、それで得たものは真実であると言えるのか」

 真面目な顔で問いかける。

 アリアは恥じ入るように目線を伏せ、

「ただの貰い物です。真実ではありません」

「そう言うことだ。お前たちが自らの血を流し、恨み、復讐と怨念の果てに掴み取ったものでなければ意味はない。それを乗り越えて人族をまとめられる者が生まれるまで百年かかった、というわけだ」

 カノ王女のことだろう。

 王城で疎まれつつもハルやヴェセルの指導を経て天性の才に加えて忍耐強さを身につけ、多くの視点で物事を判断できる傑物となった。

「まあ、我ら神の思考を理解しろとは言わんよ。そんなものだ、とでも思っておけば良い」

 それに、と。

「もう我らはこの世界に介入しない。この街も近いうちになくなるだろう。妖族として観察する神々も残らず消える」

 エリアルの言葉にアルノは俯いて、そうとだけ呟いた。

 この世界に落とされた時から六十年会っていなかったハルとネイトと違い、なんだかんだ言って百年以上の付き合いだから、それなりに思うところはあるのだろう。

「おやアルノヴィーチェ、寂しいのか。仕方ないな、パパと呼ぶのならずっといてやっても良いのだぞ?」

「ざけんなクソ魔王、さっさと消えてその面二度と見せんな」

 中指をおっ立てながら言うということは、案外そうでもないのかも知れない。と、アルノの顰めた表情を見て苦笑するハルとアリアだった。


 三人を順番に眺めた魔王は、急に相好を崩して軽く言い放つ。

「んじゃまあ、俺も行く。お前たちは好きなように生きろ。今まで付き合ってくれて感謝する」

 そう言い残して消えた。




「行ったな」

「行っちゃいましたね」

 二人で言葉を合わせると、アルノを見る。

「そうね、せいせいしたわ」

 はっと言わんばかりに肩を竦めるアルノだが、二人の気遣うような視線を感じてむっとする。

「何よ。私が寂しがるとでも本気で思ってるのかしら」

 舐められたものね、と続けようとしたのだが、

「いや、魔王が消えたってことはさ」

「アルノちゃんが魔族トップですよね。人族との交渉、これからなのに大変じゃないですか」

「げっ?!」

 考えてもいなかった。

 驚愕に目を見開くアルノが我に返り虚空を睨む。

「クソ魔王、戻ってきなさいよ!」

 だが、当たり前だが返答はない。ぐぬぬ、と唸るアルノを宥めるようにまあまあと手をつけていなかったグラスを手渡し、ほれ、と乾杯の仕草をする。アリアもまた、同じグラスを手にアルノに微笑みかけていた。

「大変だけど、まあ今日くらいは楽しく飲もう」

「ですね。さあ、アルノちゃんも」

 そんな恋人と妹?姉?に苦笑するとアルノはグラスを取った。

 三人で掲げ、合わせる。

「何に乾杯?」

「ハル様とアルノちゃんが大人になった記念でしょうか」

「俺は大人だったっつの」

「私の方が大人なんだけど」

「面倒臭いですね二人とも」

「「面倒臭い言うな」」

「じゃあ、とりあえずこれからの世界に、で良いんじゃないですか」

「まあ、いいか」

「ハルがいいなら」

「それでは」


「「「乾杯」」」


 ぐい、と飲み干した所で、

「あ、そうそう忘れてた。その酒な、俺の血だから飲んだら神の眷属化どころか神格を得るから気をつけ……あー……んじゃまた!」

 ぶーっと全員が吹き出す。

 紅い霧の向こうですぐさま消え失せた魔王に手を伸ばし、

「ちょ、クソ魔王、戻って来なさいよー!」






「ておいおい、これ以上妙なもんになるのは勘弁して欲しいぞ」

 慌てて両手を見ながら言うハルだったが、特に何か変わったという感じは受けない。アリアもまた自分の体のあちこちを見て首を傾げる。

「うーん、特に変わった感じはしませんね」

 そもそも眷属化と神格化の何が違うのかよくわからないし、魔王がそういった説明もせずにさっさと逃げ去ったので気にしなくても良いものかどうかも不明だ。

 だが、さすがにアルノはそんな魔王のやらかしに慣れているようで、改めて頼んだ白酒をちょびちょびやっている。

「特に変わらないのなら気にする必要ないんじゃない?そもそもハルも私も眷属だったんだし、アリアも祝福受けたんでしょう?その時点で適当な存在になってるんだから、多少の違いは誤差よ、誤差」

「アルノちゃん、大雑把と言うか何と言うか」

「考えても仕方ないわよアリア。あれはそういった現象なんだから」

「自分の父親にその言い草。生き物扱いですらない」

「何よハル。あんただって自分の母親をクソ女神呼ばわりしてるじゃない」

「いや……あれを母親と思うのはまだ抵抗あるんだが」

 酒とつまみをちびちびやりながら、そんな平和な話をしていると体の確認が終わったのか、アリアがちょいちょいとハルの服を引っ張る。

「ん?どうしたアリア」

 アルノもお猪口を口にしたままアリアを見る。

 襟元を手で押さえながらうろうろと視線を彷徨わせるアリアを、父親目線のハルは黙って見守る。初めの頃はこんな感じだったなあ、と感慨深い。




 戦火に焼かれた村で見つけた時、当たり前だが救出にきたハルにすらアリアは怯えていた。あの頃はまだ女神の加護を受けたばかりであったし、家族も知り合いも殺された直後だ、七歳の少女には心理的ダメージが大きすぎたのだ。

 まだアリアを確保するために襲撃してきた魔族兵がうろうろしていたことから、急いで脱出しなければならなかったがトラウマを残すことも嫌ったハルは、抱えて走りながらもずっとアリアに話しかけていた。

 その時襲撃してきたのはアルノが直率していたし、アリアも炎の中に彼女の姿を見ていたはずだ。だから憎んでも仕方ないのだが、それが彼女本来の性質なのかそれとも聖女である所以か、魔族に対する強い恨みを持たずに育った。

 と、ハルはそう思っているのだが、ヴェセルやカノ王女からすればただ単にハルへの依存心が上回っているだけということになる。

 ハルからすれば死に物狂いで助けた少女だ、幸せになって欲しいと願うのは当たり前だろうと思うあまりだだ甘やかしになったのだが、結果から見ればこれは明らかにハルが悪い。

 そしてアリアもまたそんなハルの期待に答えるべく頑張った。


 それはもう頑張った。


 あまりに頑張りすぎて、ヴェセルから余計な手練手管まで引き出して教わるくらい頑張った。ついでに王城の侍女や貴族子女連中からも、正直要らんことまで学んで頑張りすぎた。

 できあがったのが斜め上に突っ走るファザコンである。

 その頑張りをカノ王女とヴェセルすら見誤った。ハルに認めて貰うため、褒めて貰うためなのだと。




「あの、ハル様」

「どうした」

「えーと、同じ眷属になったのなら、その……と……か」

「ごめん、聞こえなかった」

 俯いたまま口の中で呟かれても聞こえない。

 顔を寄せて耳を近づけたハルに、

「えっと、お兄ちゃん、て呼んでも良いですか」

「え」

 ひくり、と頰がひきつる。別に兄妹であれば三十超えてもそう呼ばれている人もいるだろう。だが、さすがに九十歳超え、いや女神ネイトの言葉通りなら六十歳が十七歳にそう呼ばれるのは無理がないか。

 そう思ったハルに、聞こえていたのかアルノがくすくす笑いながら、

「いいじゃないのハル。好きなように呼ばせてあげたら?」

 ちらり、とアリアと交互に見ながら、

「ねぇ、お兄ちゃん?」

「ちょ、やめろって、お前の見た目でそう呼ばれると確実に誤解されるわ!」

「あら、ハルだって実際は……えーと、五十歳ってことになるのかしら?六十歳?まあどちらでも良いけど、見た目だけなら二十代後半に見えな……くも……ない、こともないかも知れないわよ」

「どっちだよ!そこは自信持って言ってくれよ」

 憤慨するハルだったが、服の裾をくいと引っ張って上目遣いに、

「あの、ダメですか?」

「まったくしょうがないなアリアは。好きなように呼んでいいぞ」

「ありがとうお兄ちゃん!」

「まったくアリアは仕方ないなあ。人前ではちゃんとするんだぞ」

「うん、お兄ちゃん大好き」

「俺もアリアが大好きだぞー」




「結局ダメ親父じゃないのよ、いやただのシスコンかしら」

 呆れたように突っ込むアルノの言葉は、白酒と一緒に飲み込まれた。






「あれ?今思ったんだけど」

「どうしたアルノ」

「どうかしました?アルノちゃん」

「あのクソ魔王、ここは俺の奢りとか言ってたわよね」

「……あ」

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