第42話 魔王と女神

 かろん。

 いつもの「夜に鳴く鶏亭」にカウベルが響く。


「初めて来た時以来だな」

「なにが?」

「二人で一緒にこの入り口入るのが」

「ああ……確かにそうね」

 横抱きにされたアルノが感慨深そうに呟く。

 もう普通に歩いても良いのだが、今日くらいは一日中甘えてしまえとずっとハルに抱えられているのだ。

「で、いつもの場所でいいな?」

「そうね」

 カウンターまで歩く間にも、じろじろと好奇の目で見られる。当然だ、普通に歩いていても目を惹くアルノが男に抱えられているのだから注目を浴びない訳がない。

 ハルとしては居心地が悪いことこの上ないから、さっさと歩いていつものカウンターまで来ると、ようやくスツールにアルノを下ろし、

「さあ着きましたよ、お嬢様」

「ご苦労、ハル」

 照れさせてやろうと言ったのだが、残念、眷属であるカレンだけでなく様々な魔族を使用人として使っているアルノにはまったく効果がなかった。仕方なく自分も隣に腰を下ろし、大将を探すが見つかる前にグラスが置かれる。

「まだ頼んでないけど……って、なんだこれ、初めて見る酒だな」

 いつもの割烹着姿の大将はカウンターの中にいない。

 グラスを置いたのはバーテンのような蝶ネクタイを締めたナイスミドルだ。

「そうね、初めて……ん?んんん?」

 カクテルグラスに注がれた赤く深い色の酒を見たアルノが、ばっと顔を上げる。

「んなっ?!」

 そのまま寄声を上げて固まった彼女を不思議そうに見たハルの前に、続いて小皿が運ばれた。大将の嫁さんかな、と運んで来た女性に振り返ったハルの動きも止まる。

「おまっ?!」




「ようやくオンナになったなアルノヴィーチェ」

「素人童貞卒業したのね、ハル」




 あんぐりと開けた口を閉じることも忘れた二人に、魔王と女神が悪戯っぽく笑った。











「いやー目出度いな、ネイト」

「そうねエリアル」

 その場の客全員に、「今日はお祝いだ、おごるからじゃんじゃん飲んでくれ」と叫んだ魔王エリアルの言葉に、「夜に鳴く鶏亭」は大騒ぎとなった。厨房を配下のフルドラ民と、女神ネイトが連れて来た使徒に任せた二人はハルとアルノを引きずってテーブル席に移り、放心したままの彼らを尻目に酒盛りを始める。

 前に置かれ、未だ手をつけられていないグラスは「神の血」。

 その名前のカクテルがあることはあるが、これは正真正銘神の血だった。さすが吸血鬼だけあって早々に気づいたアルノは、それで何かを察したのか顔を上げたらそこに魔王がニヤついていた、という頭を抱えたくなる状況だった。

 ハルの前に差し出された小皿も同様で、「女神の祝福」という果実。

 どちらも実在するようなものではないが、目の前にあるのだから仕方ない。

「なんだよアルノヴィーチェ、飲め飲め、お前の祝いなんだぞ」

「ハルもほら、遠慮する必要ないのよ。エリアルの血なんて滅多に飲めるものじゃないんだから」

 能天気に勧めてくる魔王と女神に、ようやく再起動を果たす二人。

「ちょ!いや待って!なんで魔王様がいるのよ!」

「おいこらクソ女神!お前なんでここにいる!」

 奇しくも同じ質問だったので、問われた二柱、いや二人は顔を見合わせてパチンと指を鳴らす。ふわりと霧が包み込み、すぐに晴れた後現れたのは、

「ここは俺の店なんだから、いるのは当たり前だろ」

「まったくよ、ハルったらおばかさんね」

「大将?!それに嫁さん?!え、何、どっちがほんとなんだよ」

「ままま、まさか……ずっと化けて私を見てた……?」

 驚愕するハルに青ざめるアルノ、その様子に満足したのか再びパチンと鳴らすと元の姿に戻る。バーテンダーみたいな魔王にメイドみたいな女神、という意味不明な格好だが。

「いやあ、五十年かかった悪戯が成功すると、面白いな」

「まったくね。二人がここまで驚くなんて、準備した甲斐があったわ」

 イェーイ、とグラスを打ち鳴らして大笑いする二人。

 だが、ターゲットからすればたまったものではなかった。

「待って、待って……ずっと見られてた?え、嘘、男装バレてるのに気づかなかったこととか、ハルとのあれこれとか、嘘でしょ、ねえ嘘でしょ助けてカレン」

 アルノは頭を抱えてぶつぶつ言っているし、

「待て待て落ち着け俺、そうだ深呼吸だ、いきなりクソ女神をぶっとばしても仕方ない、熱くなるな冷静になれ、心を氷にしろ、いや凍りついたら困るだろ、ってそんなことじゃなくてああもうヴェセルがいれば」

 と虚ろな目で女神を見ながら呟く。

 そんな二人の反応に、魔王と女神は更に大笑い。


 結局、二人が正気に戻るまでに「夜に鳴く鶏亭」では樽が数十個開けられることになった。






「まあアレだ、共存の実験だと思ってくれれば良い」

「見た目も習慣も異なる種族が同じ世界で共存できるのか、神々の間で協議されてたんだけど、私たちが人族と魔族を作って試みることになったのよ」

「で、作られたのがこの世界って訳だ」

「でも試験だからまるで違う種族の方が良いだろうってことで、魔族と人族の性質の差をつけ過ぎてしまってね。転生可能な魔族と消滅するだけの人族、数に違いをつけたとは言えこのままじゃ混じり合う可能性はゼロ」

「だがこの戦争でどちらかが消滅するような危険性は少ないだろうと判断した。となると後はどう混じり合い、昇華していくのかが神々にとっての興味の方向性だ。ちょうど良い観察対象としてお前たちがいたって訳だな」

「あ、それと妖族の街は神の庭の一部。だから二人の様子は私たちだけじゃなくて他の神も見てるわよ」

 あっけらかんと言う女神を、ようやく正気に戻ったハルが殺気を漲らせて睨みつける。

「神の言い分は俺たち人間には理解できないから、まあそれは仕方ないとしよう。だが女神、お前は殴る」

「嫌だわハルったら。反抗期?」

「アホか!そんな年でもないわ!」

「えー、だってまだ百歳にもなってないでしょ。私にとってはまだまだ可愛い息子よ」

「誰が息子か!」

 うがあっと叫ぶハルに、大きな垂れ目を更に垂れさせてふわふわと女神は笑う。

 が、次に放った言葉はそんな雰囲気を吹き飛ばす威力を持っていた。


「あなたは私が作ったんだもの。我が子で合っているでしょう?」


「は?」

「え?」

 これには呆然と遣り取りを眺めていたアルノも驚いた。

「え、今何て?」

「だ、か、ら、ハルは私が作った子だってば。ママって言っても良いのよ?ていうか言え」

「おい女神、口調。いやいやそうじゃなくて、俺には元の世界の知識があるぞ?」

「ああ、それは神の世界だな。アルノヴィーチェは俺が時間をかけてこの世界から作ったが、ネイトは時間短縮してな、足りない分を神界から持ってきたんだ」

「あ?」

「ん?」

 魔王の衝撃発言に、ハルとアルノは同じような言葉しか出ない。

 え、じゃあエピソード記憶がないのはそれが理由?ちょっと待てじゃあ俺ってマジで人族じゃないの?

 とぱくぱくするだけで言葉にならないハルだったが、女神はそれも正確に把握したようでマルリードの酢漬けを噛み砕くと、

「ひょうよ、ん。エリアルが作ったアルノちゃんがあまりにも強すぎてバランス取れなくなっちゃったから、私も作ることにしたの。その間は人族に加護を与えて勇者にしていたんだけど、それもアルノちゃんがちょちょいとやっちゃったでしょう」

「だから仕方なく大急ぎで作ったんだ。だが既に勇者の加護が存在する世界に祝福を受けた勇者を存在させる訳にもいかなくてな、勇者を支援する者として送り込んだ。ただ、慌ててたもんで裸一貫で放り出してしまったことは……うん、正直スマンかった」


 女神と魔王がしれっと言うことに、神のやることだから仕方ない、神のやることだから仕方ない、と念仏のように唱えて堪えるハル。

 実際のところ、超常の存在というよりも現象と言った方が良い神の思考など、いち生物では計り知ることなど出来ない。そもそも次元が違うのだから。


「え、ちょっと待ってパ……魔王様」

 言い直したアルノに魔王が物凄い勢いで振り向く。

「おお!アルノヴィーチェ、パパと言って良いんだぞ。ほら、言ってごらん」

「うっさい、このクソ魔王」

 ぺっと吐き捨てるように言うアルノ。

 一時期、どうしてもと半ば強制されてパパと呼ばされていたが、こんな愉快犯を二度とそう呼びたくはない。

「じゃあやっぱりハルと私はほぼ同じ存在ってことね。最初からこうなると仕組まれて生み出された」

 目元に影を落としながら言うアルノに、女神は微笑んだ。

「それは違うわよアルノちゃん。あなたに対抗できる人族として生み出されたけれど、あくまで戦術的な話。二人がこんな関係になるなんて思わなかったもの」

「そこはお前たち自身が選んだってことだ。ま、面白いから煽りはしたけどな」

「魔王城に行く度に、男はまだかとか言ってきたのはそれね……ほんっと、クソ魔王だわ」

「寂しいなあアルノヴィーチェ。娘を心配する親心じゃないか」

「ハルと言いアルノちゃんと言い、反抗期なのね。まあエリアル、子供はいつか巣立って行くものよ」

「それもそうだなネイト。いつまでも子供じゃないんだなあ。すっかりオンナの顔になっちまって」

「そうね。ハルも男として名実共に一皮剥けたみたいだし。朝勃ち……いえ巣立ちの時なのよ」

「わはははは!ネイトお前、女神が何てこと言ってんだ」

「ふふふふふ、エリアルこそ品がないわよ」

 うんうん、と二人で勝手に納得して頷く様子に、ハルとアルノは青筋を浮かべる。

「ねえハル」

「ああ」

「「こいつらマジでぶん殴る」」






「「サーセンした」」

 頭にコブを作った魔王と女神が、揃って頭を下げる。

 どこかで見た光景だなとハルは思うが、彼が思い出せないのは自分たちがその立場だったからだ。

「まあ……もういいわ。なんだかバカバカしくなってきたし」

「だな、どうせこいつらの考えなんて理解できないし、それに生み出されたことに感謝はしてる」

 ハルの言葉に、ぱっと顔を明るくするネイト。女神だけあって、その笑顔だけで周囲を幸福感に包みそうなほどだ。

 が、もちろんハルには効果がない。

「目的や経緯がどうであれ、こうして生まれなかったらアルノと一緒になれなかったしな」

 若干照れつつも、筋くらいは通しておこうと思う。

「だから、ありがとな……母さん」

「え……ハル!ハルぅー!」

 がばっと抱きついてくる女神をぺしっと叩くが、それで諦めるようなら神やってない、とばかりに付き纏う。

「ハル、もう一度言って、ねえもう一度!ヘイ、ハリーハリー!ワンモアプリーズ!」

「だあっ!ウザい、面倒臭ぇな離れろこのクソ女神!」

「ちょ!この淫乱女神、ハルから離れなさい!」

「わっはっはっは!アルノヴィーチェもすっかり恋する乙女じゃねぇか、いや愉快愉快!」

「あんたも手伝いなさいよクソ魔王!」




「で、ひとつ心配があるんだが」

 唇を尖らせてキスしようと迫ってくる女神の顔を、心底うざそうに押しやってハルが言う。

「アリアはどうなるんだ。本当に眷属にしたのか」

 ひゅっと息を飲む音がした。

 何だ、と思うハルの目に、おずおずと席に戻る女神が映る。

 視線を動かすと魔王も微妙な顔つきだ。

「え、何だよ……お前が祝福したんだろ」

「祝福したと言うか……」

「無理やり祝福を奪い取って言った、かな」

 神妙な顔つきの二人が、はあっとため息をついて気持ちを落ち着かせるためか、テーブルのグラスを同時に煽る。そんな様子に嫌な予感がしたハルは、もしやアリアの祝福には何か問題でもあるのだろうかと不安が募る。

 けれど隣にいるアルノは何やら納得顔だ。アルノに信頼を置いているハルとしては、彼女が冷静であるなら大きな問題ではないのだろうとも思うのだが、ことは自分の娘のように思っている聖女についてだ。とは言えきちんと確認はしておきたい。

「祝福を奪うとか、そんなこと出来るものか?」

「出来る訳ないわね、普通なら。でもあの子、普通じゃないのよね……人族の思いの強さを見誤っていたわ」

 何だかよくわからない。

 結局、アリアはどうなると言うのか。

「大体、ハルが悪いのよ」

「何でだよ」

「甘やかしすぎ。あなたがいない場所でならちゃんと自律した聖女なのに、あなたがいるとただの獣じゃないの」

「いやお前……自分で祝福、いや加護を与えた聖女を獣とか」

 娘の名誉のためにも苦情は入れておく。

 史上最も清純で敬愛される聖女と言われているのに、散々な表現ではないか。

 だが、微妙な表情の二人はそれ以上答えようとしない。仕方なく横にいるアルノに声を掛けた。

「アルノ?」

「うーん……いやまあ。ハルにはちゃんと聖女に見えてると思うんだけどね。いえ、ちゃんとした聖女だとは思うわよ。戦場でも神々しい光は目立ってたし、あれだけの力を持ってるってことは人族の信仰も相当集めてるってことだと思うし」

 何やら煮え切らない返答しかしないアルノを、疑問符を浮かべながら見つめる。

 だがその後ももごもご言うだけで、はかばかしい答えは聞けなかった。

「いや結局、何がどうなったんだよ。アリアは大丈夫ってことで良いのか」

「大丈夫大丈夫、大丈夫な筈……もうここには来られないようにしたし」

「それ、お前にとって大丈夫ってだけだろ。て言うか祝福を得た聖女を女神が締め出すって、何考えてんだ」

 呆れつつハルが言った瞬間、「夜に鳴く鶏亭」のカウベルが激しく鳴り響いた。

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