第33話 勇者たちの事情1
キラキラネームなどと口当たりの良い単語に言い換えても、DQNネームであることを覆い隠せる訳ではない。
別にヤンキーでも何でもなかったはずの両親なのに、なぜ自分に霧亜などというDQNネームをつけたのか、彼が中学校で初めて感じた自身の存在に関する疑問はそれだった。
弟は「翔太」であり全くもって普通の名前だから、小学校でも中学校でも、そして社会人になっても子供や孫ができても、名前負けなどという自身を表す記号についての劣等感を覚えることはないだろう。
中学二年の時に聞いたことがある。
母親には、小学校で名前の由来を聞いてくるという宿題で教えたでしょう、とはぐらかされてしまったが何となくそれで察してしまった。
まったく、一時テンション上がっただけでこんな名前を負わされる子供のことも考えて欲しいものだ。生まれてからずっと自身を表す記号として呼び続けられる名前は、ごく一般的な名前の人間では想像できないほどに本人の人格を決定づけるものなのだから。
小学校は良かった。
小学生くらいなら個々の能力差が槍玉に上がるのは体力や運動神経くらいで、学力や容姿はさほど大きく差がつかない。
しかも幸いなことに人並レベルではあった。
が、中学になると個体差を意識し始める。
それが学力であれば努力で何とかなるが、この年頃では容姿が最もクローズアップされてしまう。思春期だから仕方ないと言われればそれまでだが、DQNネームというハンデを背負っているとスタートラインがそもそも異なるのだから不公平だ。
不細工ならば不本意ながら弄られる役割を演じられただろう。
名前以上のインパクトがあればカースト上位に位置できたろう。
だが、普通というのは辛いものだ。
結果、彼は斜め上に吹っ切れた。
どうせ名前によるイメージは先入観として剥がせるものではない、なら自分を名前に寄せてしまえ、と妙な割り切りをしてしまったのだ。
つまり、中二病である。
両親も痛々しいものを見る目をしつつ、まあ年頃だからと受け流した。もしかしたら、命名した責任を感じて好きなようにさせてくれていたのかも知れない。
自分がどれだけ痛いことをしているかの自覚もなしに過ごした彼は、高校入試の辺りでさすがに我に返った。
いや、我に返らざるを得なかった。
交通事故。
入試直前で家族を失った彼は、親戚に引き取られた。突然他人と家族になるという環境で、まさか中二病を引き摺る訳にもいかなかったのだ。
父の兄である伯父一家とは、時折夏に田舎で顔を合わせる程度の認識だった。
暖かく迎え入れてくれたし、県どころか地方が全く異なる公立高校の入試対策も手続も出来なかった彼を、費用のかかる私立高校へ入れてくれた。困らない程度の小遣いもくれたし、距離感も気を遣ってくれていた。
だから実の家族を失った割には比較的幸せであったと言えるのだろうが、高校生になってから私生活が他人の環境の中に入るのは精神的になかなか辛いものがある。
どれだけ過ごそうと「自分の家」であるという認識は持てないだろうということがわかってしまったから。
幼ければ溶け込めたろう。
伯父と伯母を父母と呼べたのかも知れない。
けれど高校生ともなるともはやアイデンティティは確立されてしまっている。今までの自我を成立させた家庭環境という背景を、完全に忘れ去ることは難しい。
むしろ気を遣ってもらっているからこその針の筵となった私生活、地元の話題にまったくついていけない高校生活、イントネーションも地元ルールもよくわからない教室、そんな中で潰されるほどではなかったが安寧の日々でもなかったことは確かだ。
こうして夢見る中二病だった彼は、僅か二、三ヶ月で覇気のないプラグマティストになった。
だから教室ごと異世界に跳ばされた直後、混乱したり興奮したりするクライスメイトの中で、彼だけはごく自然に受け容れ元の世界に戻る希望を持たなかった。
いや、この世界で生きることこそが希望だった。
良くしてくれた伯父、伯母に心配を掛けてしまうことは申し訳なく思ったが、実の子を失うほどのショックにはならないだろう。半年もすれば彼がいなかった頃の生活を思い出し、数年もすれば記憶の片隅に残る程度になると思う。
息苦しい高校生活に戻るのも面倒でしかなかった。ごく平凡な能力だから、ごく平凡な大学へ行ってどこぞの中小企業にでも勤め、ありきたりの家庭を持って人類の記憶に留まることのない一生を終えただろう。
それなら、地球でも異世界でも同じことだ。
順応した、と言われればそう見えるのかも知れない。
が、実際のところは諦めと割り切りだ。
そしてそれには慣れている。
だからこの世界で行きていく方法を慎重に探り情報を得、魔族の捕虜となった際にも魔法に造詣の深い魔族を観察し、解放されてからは世界のことを知るために各地を巡った。まあ、魔族の捕虜であった時に中二病の残滓が現れてしまったのは余録だ。
そうして彼は居場所を定めた。
だから久しぶりに妖族の街へやってきた。
西方諸王国による邦国連合、その加盟国である協商国の伝言を携えて。
私立に通うなんて、と面と向かって言われた訳ではないがそういった空気だけはひしひしと感じていた。
都会では私立の方が上位らしいが、こんな田舎では私立高校は滑り止めか掃き溜めでしなく、公立に落ちたことは彼の人生における最大の痛恨事となるだろう。
年末年始に集まる親族たちも、酔って口を開けば出てくるのはどの高校を出たかの自慢であり、それなりの大学を出ている叔父ですら大学自慢をしているのを見たことがない。
そんな社会で私立に通うことになってしまったのは痛い。
が、幸いなことに隣県の私立より幾分かマシであるし、高校生活を充実させ大学からは都会に出てほとぼりが冷めた頃に帰って来れば良い、と割り切った。高校一年生でそう将来を見据えたのだから、まあ大人びた方であるとは思う。
そう腹を据えれば、高校生活をどう送るべきかは見えてくる。
まずは推薦のための品行方正さと定期テスト対策だ。中間・期末なんて大したことのない範囲とチョロいレベルのテストで大学へ行けるんだから、まったく日本というのは愚かな国だ。
だが、その愚かさこそがありがたい。
親類縁者の集まりで耳にする「お上の喜ぶ通りにしてれば良い」というのはこのことなんだな、と今春大学生となった兄が残してくれた高校生活メモを見ながら思う。
まずクラスメイトを見極めること。
教頭、事務局長と一族の人間が入っているからマシなクラスになっているとは思うが、友人は選ばないといけない。
次に生徒には目立たず先生には目立つ立ち位置を確保すること。
それから秋の生徒会選挙に他薦で立候補する下地を作っておくこと。
幸いなことにバイトが不要なほどの小遣いは貰えているし、高校生活と友人関係を円満に、かつ羨望される程度の家庭環境は揃っている。新たに必要なものがあれば買ってもらえるから、学校生活だけに注力すれば良い。
兄からのアドバイスは、公立と私立の違いを自分なりに吸収すれば問題なく活用できるだろう。
何も考えずに高校生活を楽しみたいが、その先により長く影響する大学への試金石だ、致し方ない。
兄は都会のコネを使うことを選んだのだから、こちらの資産は全て自分が引き継ぐ。まだ知識もなくてよくわからないけれども、とにかく大人の言う通りの「良い高校生」であれば将来が安泰である、それだけ理解していれば問題ない。
そんな大人びた感覚を携えて高校の門を潜った神丞の目に、思わず笑いそうになるDQNネームでありながら、いやに地味なクラスメイトが真っ先に映ったのは必然だったろう。
クラス全体への印象づけは行っておいたが、個人を判断するための接触は他の様子を見てからでないと、目立ちたがりのお調子者になってしまう。だから彼は聞き耳を立てて慎重に情報を集めた。
そうして集めた情報は、彼に行動させるに相応しいものだった。
だから彼は動く。
「よ、直接話すのは初めてだよな」
まず好奇の視線に晒される。
そしてすぐに興味を失われる。
そんな周りの反応に慣れていたし、そうなるよう存在感を消してきたから逆の行動をしてきたクラスメイトに面食らったのは事実だ。
しかもそいつは。
入学直後のオリエンテーリングなのだからまだ誰もがちらちらと互いを様子見している段階にも関わらず班を作れという、いかにもマニュアル通りに進めてます的な担任の指示に対して真っ先に動いてその後の流れを作り、そのまま目立たずけれども微妙に印象を残して引いた奴だ。
あの立ち回りは見事だった。
だから可能な限り全員と浅い関係だけで済ませておこうと距離を測っていた霧亜を唸らせた。クラス内には微かに陽キャな印象だけを残して責任は取らない位置を確立してさっと引き、そのくせ担任にはクラス運営に自らが関わる面倒を回避させてくれる有用な生徒だと思わせるものだったからだ。
だが、それがわかったからだろうか、打算だけで近づいてきた彼を霧亜は好ましく思わなかった。
もはや高校三年間を無難にやり過ごそうとしか考えていなかったから、敢えて敵を作るような真似は避けたが好んで近づきたいと思うような相手でもない。
周囲からは友人同士と見られていただろう。
だがそれは、霧亜にとっては面倒事を避けるための虫除けでしかなく、神丞にとっては暗い背景を持つ、この高校では学力が桁違いの都会っ子を友人に持つというメリットを考えた打算からのもの。
いち早く冷静になった二人が発した言葉は、そういった彼らの性質や考えに沿ったものだった。
「どんな立場で、何を義務付けられ対価に何を得られるのか、を明らかにしてくれ」
とこの世界での立ち位置を確立させようとした霧亜に対し、
「元の世界のいつ、どこに、どう戻るのかを教えて欲しい」
と尋ねたのが神丞だった。
最も神丞らしいな、と霧亜が思ったのはその後だ。
情報を引き出した後、委員長が全員で話し合いをさせて欲しいと時間を貰ったのは当然だったろう。そして、保証のない情報では話し合いが結論を見出せないこともまた、当然のことだった。
こんなのおかしい。
人権侵害だ。
言うことを聞く義務なんてない。
賠償させろ。
まあそう思うのが普通だろうと思いながらも、霧亜は話し合いに加わらず周囲の人々を眺めていた。
転移は神に与えられた玉によって行われたらしい。それを前に神官らしき人物がこの世界の概況と召喚について、そして召喚された勇者には特殊な能力が一人に一つだけ与えられると言っている。
実際、そのことについて検証している声も聞こえているし、彼自身もまた自身に与えられた能力を、この世界の人物たちを眺めることで確認をとっていた。
なるほど、世界が違っても人間というのはさほど変わらないものだ。愚にもつかない繰り言や、待遇を嘆く声、そういったどうでも良い言葉の中にも幾つかそれなりの地位にいるからだろうか、有用な情報も混じっている。
集中力を要するから対象となる人間を凝視してしまうし、水の中にいるかのようにこもって聞きづらい。何より明確な文章ではなく断片的な単語が切れ切れに聞こえるだけだから想像したほどの能力ではないが、現状把握には非常に役立った。
だが、滔々と説法のようなものに移行してしまった神官から聞けるものだけでは情報の信用度が低い。
裏付けと彼らが隠している、あるいは聞かせる必要がないと勝手に判断している情報まで得て初めて、身の振り方を検討することができるのだから、今この場で自分たちだけで自分たちの世界の常識をベースに話し合いをしても意味がない。
どうせだから、自分は自分の生き方をしよう。
そう霧亜が決めた時、それまで黙っていた神丞がここぞとばかりに主題を見失っていた会話の切れ目を狙って発言した。
「みんなの考えていることは一通り出たと思う。次はそれをまとめて落とし所を探し、方針を定めるべきじゃないかな。霧亜、どう思う?」
入口付近に立っていた衛兵らしき人物に集中していた彼は、その言葉を聞いてやっぱり、と思った。
まとめているようで建設的な意味は含まれず、責任は誰かに丸投げする。いざという時に信頼できる、と認識させるには十分だろう。なにせ相手は所詮高校生なのだから。
彼らしいと言えば彼らしい。
半ば呆れた霧亜だったが、自立的に動くにはまだ早い。自分たちに与えられた能力がこれだけとは限らないし、この世界独特の能力があるかも知れない。
これから生きていく上で必要な情報をすべて把握するまでは、集団の中に埋もれているのが得策だろう。かと言って、積極的に神丞のために動くつもりもない。
だから彼も倣うことにした。
「そうだな、どう動くかの方針は定めた方が良いんじゃないか」
まったく建設的でない言葉を神丞に打ち返すと、彼は再びクラスメイトから視線を外した。
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