第32話 宇宙人はなぜ侵略しないのか

 アルノは「夜に鳴く鶏亭」に顔を出していた。


 かろん。


 カウンターに座り白酒を口にするアルノの耳に、いつものカウベルの音が届く。

 だが、それはどことなく重苦しく聞こえた。


「……やあアル。いや、アルノか」

「久しぶりね、えーと……なんだっけ」

「神丞だよ」

「そ」

 それきり黙り込む勇者カミジョウに、アルノもまた興味を失ったかのように黙ってお猪口を口に運ぶ。

 だが、素っ気ないようでいてその実アルノは内心興味津々だった。

 なぜなら、

「何で……」

 隣まで来ているというのに、勇者は立ったままで腰を下ろそうとしない。ようやく絞り出した言葉も、それきり続かなかった。

 先日の馴れ馴れしさは何だったんだと言いたくなるくらいの距離感。

 ちら、と勇者カミジョウの表情を盗み見たアルノは、カレンに良い報告ができそうだと踏んだ。


「大将、いつものとモン貝ちょうだい」

 男装、というより男の振りをする必要が一切なくなったアルノは、しなやかな指を徳利の口に添わせ、

「で、どうしたのよ。座ったら?」

 気軽に言うが、対するカミジョウは硬い表情のまま動かない。奥歯を噛み締め眉を寄せると、

「どうしてだ。どうしてそんな普通にしていられるんだ」

 何かを堪えるように声を出す。

 すぐそこで大将が料理を作っているし、背後には他の客が楽しんでいる。そんな雰囲気だからこそ何とか感情を押し殺しているということがよくわかる表情だ。

 その反応を見られただけでも、アルノは充分に満足できた。

 だが、もっとぶつけて来て欲しい。

 こういった生の感情をぶつけられることは、アルノにとって決して不快なことではないのだから。特に勇者たちからのそれは。

「何の話?」

「何の話だって?何の?それを君が言うのか、ついさっき俺の仲間を殺した君が」

「戦争やってんのよ、当たり前でしょう」

 何言ってんだこいつ、と言わんばかりの顔を向ける。

「自分たちが平和を説けば相手も無手で応じてくれるとでも思ったの?バカでしょ」

 側から見ればメスガキが煽ってるようにしか見えない。実際、ちら、と見た大将がやれやれと言わんばかりの顔をした。いつものことなので何を口にするでもないが。


「戦争だからって……人を殺して何とも思わないのか」


 そりゃあ、生まれた頃から殺し合いしているのだ。生まれてすぐは魔族と、百年前からは人族と。

 何人殺したかなんて覚えていないし、同じくらいハルに魔族を殺されている。種族間で戦争やっているのだから当たり前の話だ。もはや何かを感じることなんてある訳ない、あったら戦争やってない。

 人族ではどうあれ、魔族では戦争遂行者は魔王とアルノ、戦争実行者はアルノと兵なのだ。遂行者と実行者が同じか近いのだから、敵を殺すことも身方を殺されることも覚悟してやってるに決まっている。

 いや、そもそも生まれてすぐ襲いかかって来た魔族を殺した時にも、爽快感と生きている実感を抱きこそすれ、それ以外の感傷などなかったなと思い返す。


「もうあいつらは笑うことはない。あいつらの声を聞くことはできない。何も悪いことなんてしていないのに、無理やり召喚されて戦わされて……あいつらが君に一体何をしたって言うんだ」


 とは言え。

 ヴェセルやカレンが冗談で殺戮狂扱いしてくるが、殺すことそのものに快感を覚えている訳ではない。

 襲ってくれば返り討ちにするし、気に食わなくても殺すが。

 けれど、殺すために殺す、ということはしたことがないのだ。

 それは彼女なりの、生と死の認識が魔族と違う人族の、死んだ兵士たちの生への賛美だった。


「帰りたいのに帰れない、だから仕方なく戦場に出て来た奴らばかりだった。まだ魔族を誰一人殺していない奴もいた。そんな奴を……君は躊躇いもなく殺した」


 カウンター向こうから出されたマルリードを、ひょいと口に放り込みながら勇者というのは面白いことを言うな、と興味深く耳を傾ける。

「奴いた、ね。なら魔族を殺した勇者もいたんでしょ」

「それは……だけど戦争なんだ、仕方ないじゃないか!」

「なら私もそうだわ。戦争なんだから仕方ないわね」

「君とは違う。あいつらは仕方なく戦っていた、いや、戦わされていただけだ!でも君は楽しんでいた。自分の悦楽目的で何の罪もない、ただ元の生活に戻りたくて戦ったあいつらを殺した!」

 勇者というものはそう考えるのか、と白酒のおかわりを頼みながらアルノは思った。

 ハルやヴェセルは徹底した現実主義者だから別としても、今まで戦ってきた人族でここまで甘い考えを持った者はいなかった。とすれば、カレンがヴェセルや人族の王女、聖女たちと謀ったと言う毒は免疫のない人族にはよほど効くことだろう。

 ここ数ヶ月、策を浸透させるために平和な異世界生活とやらを堪能させるべきというカレンの言に従いじっと耐えてきたアルノに、そろそろ詰めの段階だとGOサインを出したカレンは、戦場にいないにも関わらずよく把握しているものだ。

 全くもって有能な眷属である。


「あんたたちはチート能力とやらを持っているんでしょう」

「それが何なんだ」

「まあ戦場でもちらっと見たけれど」

 お猪口の底で揺らぐ酒を見る。

「カミジョウ、あんたは剣技?」

「そうだよ。それがどうしたと」

「私があんたと戦わなくても、見ていただけでわかったのよ?それはつまり」

 アルノはカミジョウの背後に視線をやり、そこで言葉を止めた。

 目つきが戦場で初めて出会った頃のハルに似ていた、そんな男が近づいてきていたからだ。

 片眉を上げて答えを促す。

「お前が何人もの魔族を剣で殺すところを彼女は見ていた、そう言いたいんだよ」

「霧亜……」


 カミジョウの後ろから近づいてきた男は、カミジョウと同様、青と白の勇者装束を身に着けている。赤と黒を基調とした近衛師団の制服の色違いだからわかりやすい。

 それにしてもキリア、どこかで聞いたような名だ。

 制服は勇者軍のものだから間違いなく勇者の一人であろうが、最近激化したセーガル河戦域では見ていない。もちろん、今日殺した勇者たちの中にいた訳でもない。

 うーん、とお猪口片手に首を傾げていると、

「久しぶりです、アルノ司令官。隣、いいですかね」

「え、ああ、うん」

 相変わらず立ったままのカミジョウを挟んで反対側に腰を下ろすと、片手を上げて大将の嫁にビールを注文した。

「霧亜お前、酒なんか……」

「構わないだろ、ここは地球でも日本でもない」

 顔を顰めるカミジョウに目を向けず言い切ると、改めて体ごとアルノに向き直った。

 短く刈った黒髪に黒い目、ハルと同じ特徴のその男からはカミジョウや他の勇者と少し違う印象を受ける。

 カミジョウなどは茶色い前髪の片側だけをヘアピンで止め、後ろも結んでいるし、他の勇者も男のくせに似たりよったりだ。カチューシャで前髪を上げるくらいなら切ってしまえば良かろうに、と戦場では邪魔にしかならない風体がアルノをイラつかせる一因でもある。

 だが、キリアと呼ばれた勇者はだいぶくたびれた勇者の制服、刈り込んだ髪、絶えず警戒している目、妖族の街では決して抜けないが腰に吊るした剣も鞘を見ただけでもだいぶ使い込まれているようだ。

 へぇ、と面白そうに唇の端を上げるアルノに、

「アルノ司令官、お忘れと思いますが以前捕虜として捕まっていた法龍院霧亜です。改めてその節はお世話になりました」

「ホウリュウイン……ああ!あの奇っ怪な呪言を唱えてた奴ね」

 ぽん、と手を打ったアルノに苦笑いを返すと、

「まあその、あの頃は何とか力を得ようと必死だったもので……忘れて頂けると助かります。そもそも今思えばこの世界の法則を学ぶことの方が先でした訳ですし」

 確かにそうだ。

 この世界のルールを知らないが故に、勝手にキリア・ホウリュウインとか名乗って彼自身が知らぬ間とは言えカレンを怒らせたのだから。


「でも、随分変わったんじゃない」

 しげしげと眺める。

 捕虜にしていた頃は、他の勇者と大して変わらないと思っていたが、半年ほどで随分見違えたではないか。とても他の勇者と同い年には思えないほどだ。

 そのことを告げると、

「捕虜交換で解放されてからは、他の戦線を回ったり僻地へ開拓の手伝いに行ったりしてましたから」

「おい霧亜、まだ俺の話が終わってない!」

 いつの間にか二人の間に割り込んできたカミジョウが声を荒げる。

 だが、キリアは落ち着いたもので、

「まずは何か頼んだらどうだ神丞。それにここは妖族の街だ、荒ぶったところで思い通りになんかならないぞ」

 その言葉にゆっくりと店内を見渡し、最後に大将を目を合わせたカミジョウはしぶしぶキリアの隣に腰を下ろす。短く、アルコールの入っていないものを、と頼むと早速アルノを睨みつけた。

「アルノ、君は」

「無礼だろ神丞、アルノ様は二百年近く生きている魔族のナンバー2だ」

 ジョッキをぐい、と傾けたキリアが咎めるがアルノは片手をひらひらと振る。

「あー、良いわよ別に。勇者にこの世界を理解することを求めてはいないから」

 そもそも敵同士だ、キリアの感覚の方が特殊だろう。

 本人が良いと言うなら、と引き下がるキリアにも睨みを入れ、出されたジュースに手をつけずカミジョウは続けた。

「俺は確かに魔族を殺した。だが彼らは兵だ。軍人だ。自ら戦いを望み戦場に出てきた奴らだろう。けれどあいつらは違う。戦いを望まず、この世界に無理やり拉致され意思に反して出陣させられた一般人だ」

「あんたたちが一般人かどうかの議論は面倒だからどうでもいいわ。で?結局カミジョウ、あんたは何がしたいの?」

「ああ、それは俺も興味があるな」

 キリアまで乗っかって四つの目がカミジョウを見る。

 ぐ、と一瞬息を飲んだカミジョウだったが、

「少しでも魔族に良心があるのなら、戦いを止めて交渉の席に着いて欲しい」

「嫌だけど?」

 アルノはにべもない。

 回答は当たり前のことだし、そもそも戦闘には結着をつけられても、戦争の結着をつける権限はアルノにはない。


 素っ気なく言い切ったアルノは、もう話すことはないとばかりに酒を含む。

 今日の白酒は大将のおすすめ、ちょっと辛口のきりっとした喉越しだ。これからの季節を思わせてなかなか良い。その季節になる頃には、ハルもこの街へ来られるようになっているだろうかと思っていると、そんなアルノに見切りをつけたのかカミジョウがその矛先をキリアに向けた。

「お前にとっても友達だろう、何とも思わないのかよ」

「悲しいさ。だけど」

 ジョッキを開けると、何でもないように言った。

「戦争そのものをどうこうできないだろ。お前らはずっとこの世界にいるつもりがないんだから。世界を捨てるつもりの異界人が、この世界の戦争に口を出すのかよ」

 正論であった。

 だが、カミジョウに正論は効かなかったようだ。

「魔王を倒さなければ帰れない、ならこの世界にいる限りはできることをやる。それはいけないことなのか」

「良いんじゃないか、それが正しいと思っているなら。だけど、お前たちが正しいと思っていることが、この世界の人にも通用するかどうかは別問題だろ」

 俺にも、と追加のビールを頼みながら付け加える。

 その言葉を聞いたアルノは、こいつは少し面白いと思った。

「ふぅん。あんたは帰る気がないんだ」

 にやり、と笑うアルノに、

「ええ。だから俺はこの世界に介入する権利も、在るがままに生きる権利もある、違いますかね?」

「違わないわね、あんたはこの世界に働きかけても良いわ。もちろん、何もせず生きてもね」

「それはどうも。だがな、神丞、お前らは帰還するための努力しかやっちゃいけないんだよ。帰還のために魔王を倒す、そのために魔族と戦い殺す、それはやってもいい。けど、見捨てるつもりのこの世界の常識やルールに介入する権利はない。当然だが地球や日本の思想を押し付けることもな」

「平和を求めること、平等に生きる権利はどんな世界だって追究することは正しいだろう。何が間違っていると言うんだ、霧亜」

「何もかも間違っている。例えばさあ……お前、宇宙人っていると思うか?」

 唐突に投げられた質問に、カミジョウは一瞬目を見開いて不意を突かれた表情をするが、すぐに眉を顰めて問い返す。

 そんなカミジョウとキリアを、アルノは黙ってお猪口を傾けながら楽しげに見ていた。


「何だよ、その無関係な質問は」

「まあまあ、いいから」

「……誰も知らないんだ、いてもおかしくないと思う」

「胡散臭いけど目撃情報とかあるだろ、あれ、どう思う」

「地球人に理解できない科学力があるなら、地球に来ていてもおかしくはない」

「だよな、でもそれだけの科学力を持ってて地球が侵略されていないのは?簡単に征服できるだろうにしていないのはおかしくないか?だとしたら宇宙人はいないってことになるだろ」

「知るか!大方地球とは異なる思想なんだろう、後進地域を占領するって考え自体がないかも知れない。だから何なんだ!」

 激昂するカミジョウに、届いたビールを飲んでキリアはしれっと返す。


「ほら、お前だって世界の違いと思想の違いを認めてるじゃないか」

 ジョッキを置く音が、カミジョウには大きく聞こえた。

「だから平和だの人権だのがこの世界でも尊重されるべきものかどうか、お前が決めることじゃない」

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