第31話 進展
「なぜ押されておるのか」
苛立った公爵の声に、コルテロ伯は首を竦めて恐縮の意を表す。
「敵単体の膂力があまりにも……加えて、以前のように好き放題暴れるだけでなく集団行動を最適化しようとする動きも見られております。それと、勇者どもがどうにも消極的で、戦場に出ることを嫌がる者も多く」
背筋を丸めて小さくなる、その小物じみた態度に公爵はますます苛立った声をあげた。
「何のために近衛から抽出したと思っているのだ、督戦させよ」
抽出どころではなく一個中隊除いて丸ごと送り込んだレベルであり、そのおかげで王都の守備も王族の警護もずたぼろ、王室派の私兵でなんとか穴埋めしている状況である。
それも、もう一方の戦線である西方でハルが諸王国を貼りつかせている「おかげ」であって、そうでもなければ幾らなんでも正反対にほぼ全軍を出兵させるなんてできっこない。
だとすると、そう出来てしまうのはそれこそハルの「せい」でもある訳で、阿諛追従しか能のない伯爵としては心中であの化物めと八つ当たりしつつも弁解する他ない。
「その近衛ですが……」
「なんだ」
「その、勇者に毒された者がおりまして、日がな意味不明なことを叫ぶ者や平和だの話し合いだのを言う輩が出ております」
「は?」
ボーエン公爵は思わず眼前の小男をまじまじと見る。
それなりの家名と決して逆らわない従順さを買って軍務大臣に就けてやったからか、風采の上がらない小役人と言った風貌は変わらないものの身につけているものは多少なりとも価値の高いものになっている。
が、こちらがウンザリしてしまいそうな卑屈っぽい姿勢や表情は変わらず、王城での御前会議でも一人だけ場違い感の大きい貴族だ。だが従順かつ指示をその通りに実行することは変わらないし、嘘をつけるほど胆力のある人間ではない。
「何だと?」
とは言え、さすがに今の発言を真実と思うことはできなかった。
「そのう……勇者に毒されて奇矯な振る舞いをする者が出ておりまして、いえ、もちろん一部の者ですが」
「……奇矯?」
貴族の抱える私兵と異なり、近衛は国と王家に対してのみ忠誠を捧げることを誓い、同じ国軍とは言っても歩兵や輜重兵などの支援部隊とも別格扱いのエリートである。従卒を除けば全員が貴種であって、教養もそれなりに兼ね備えているはずだ。
それが、
「は……意味不明な呪言のようなものを叫びながら魔法を使う練習を始めたり、誠意を持って向き合うことが話し合いの第一歩だと勉強会のようなものを始めたりと……」
クラリときた。
市井の小賢しい連中ならわからないでもない。
が、軍の、それも近衛が戦争中に平和を口にするなど、あってはならないことだった。
「末端の兵士は意気軒昂であります」
「……だろうな、奴らは戦果と報酬が目当てなのだから」
「騎士階級もさほど影響は受けておらぬようですが、その、高位の貴族階級に所属する者ほど影響が強く……」
「もう王都の暮らしが恋しくなったか、愚か者どもめ」
「は。そのため、出撃の回数そのものが減っており、先週などは防衛すらせずエル・ラメラを魔族軍に奪還されたと」
そこまで聞いて公爵の中で何かが切れる音がした。
「馬鹿者!防衛すらせんとは何事か!」
もはやそれは軍ではない。そしてそもそも軍にそんな呆れたことをさせず正常に動かすことが軍務大臣たる目の前の小男の役目であるはずだ。
それなのに恥ずかしげもなく職務懈怠を公爵の前で述べるとは。
「貴様は黙って見ていたのか!何のための大臣職だと思っているのだ!」
「も、申し訳ございません!で、ですが勇者どもはエル・ラメラは元々魔族の土地であったと強弁いたしたようでして……」
「は?何を言っておるのだ。あそこは元来我ら王国の領土であろう」
「一昨年は魔族が占有しておりましたので、そのことを言っているのかと」
懐からハンカチを取り出して冷や汗を拭いながらのコルテロ伯に、公爵はぽかんとする。
伯爵は俯き加減に時折ちらと上目遣いに様子を伺うが、公爵にはまったく動く気配がない。
仕方なく恐る恐る小さな声で、
「も、もちろん取った取られたの繰り返しなので、元を正せば人族の領土であることは教育してあったのですが」
公爵の目だけが動き、未確認物体でも眺めるかのような目つきになる。もしかしたら「何か音を発している物体がある」程度の認識になってしまっているのかもしれない。
「えー、そのぅ、勇者の中には好戦的な者もおりますが、戦うばかりでは何も変わらない、まずは議論のテーブルに着くことから始めるためにもこちらから手を差し伸べるべきだという意見が近衛の中にも浸透しておりまして」
ちらり。
ボーエン公爵に動きはない。執務机を拳で叩いた状態からぴくとも動かないままだ。
「使者を立てて交渉の場を設けるためには、こちらが手出ししないことを行動で示すべきだとのことで……無論、それは開戦前に行うべきことであり今となっては無駄であることも、魔族がそんな交渉に応じないことも教えてはありますが。そういった勇者の主流や近衛の賛同者が消極的になったため、軍の被害も甚大なものと」
「もうよい」
「は?」
「もうよい、と言ったのだ、下がれ」
汗をぬぐいながら頭を下げて出て行くコルテロ伯を冷めた目で見ながらため息をつく。
西方東方の戦況と王城の政情、それぞれの状況をまとめて最善策を考えなければならない。そこにあの伯爵は邪魔だ。状況報告だけなら他の者でも出来る。
伯爵と軍務大臣という地位だからこそ出来ることを聞きたかったのだが、あいつは何も考えていないだろう。働かない無能なら勤勉な無能よりマシだろうと思ったのだが、なかなかどうして怠惰な無能が努力しようとし始めると厄介なものになる。
引き上げるのが早過ぎたか、あるいは上に引き上げ過ぎたか。
いずれにしてもあの無能な伯爵はどうでも良い。今考えなければならないのは戦況と政情だ。
王室派が優勢なのは変わっていない。これは良い。国王一家を支えているのは王室派貴族であり、賜る権益の大きさからも離反する動きはまったくない。
融和派筆頭のカノ王女の縁談も内々に進んでいるし、そもそもあの王女がいかに賢しかろうと十五の小娘が一人でどうこうできるほど王城は甘くない。
学友である聖女アリアテーゼがついているが、教会自体は王室派に阿って何らかのおこぼれに預かりたい俗な聖職者が多い。上層部である選定官クラスになるとさすがにまだ二名しか籠絡できていないが、最も影響力のある祭祀官や司教クラスには浸透している。聖女も軽々には動けないだろう。
問題は戦況の方だ。
軍事と政治は別のものではないため、いかに王城で権勢を誇ろうと軍事の失敗は確実に影響を及ぼす。魔王軍との戦争が続く東方セーガル河戦域と無関係な西方諸王国が、公爵の扇動で邦国連合を組んだのが良い例だ。
魔王戦線は多少の兵の損耗はあってもほぼ影響がないと言える戦争であるのに、その戦線が膠着したくらいであれらの国の指導者はああやって軽々に動く。諸王国程度の弱兵寡兵など対魔王戦線で長年実戦経験を重ねてきた王国軍の敵ではないが、想定したよりも王国軍が弱かった。いや、近衛師団の弱体化が予想以上だったと言った方が良いか。
現在では勇者「軍」と軍勢に名称を被せた近衛だが、そもそもあれは軍と呼べるようなものではない。公爵始め王室派の貴族も王族も、近衛隊士本人たちも正式に「勇者軍」となってその気でいるのだが、実態としてはただの貴族子弟の寄せ集めに過ぎない。
むろん、相応に腕は立つ。
が、それ以上に求められているのが王城での立ち居振る舞いであったり騎士道精神であったりする時点でお察しだ。
そんな近衛が中心となったところでセーガル河戦域が安定するはずもないのだが、戦地を経験したことのない貴族たちに理解できる訳もなく、ただハルの作った軍に似せた名前を被せ兵力を増強するだけで満足してしまっていた。
そしてこの近衛師団が勇者軍の中核となって召喚された勇者たちに接触したのが、精神性を重視する性質と相俟ってより一層まずい事態を招いてしまったのだ。
自分と無関係であれば誰が何人死のうと知ったことではない、というハルやヴェセルと違い、彼らは情や絆を重視する。完全なプラグマティストが作った制度を、情実で運用するほど馬鹿げたことはない。ロマンティストの作った制度をプラグマティストが現実的に運用するならまだわかるが、その逆は必ず破綻するのだ。
その結果、公爵が頭を抱え込む戦況となっている。
西方はそもそも期待していない。諸王国なぞどのみち併呑するつもりだったから、ハルという戦術兵器が使えるうちに使い倒してしまおうという腹づもりだった。
その間に人族にとって最も重要な対魔王戦線で成果を上げれば併呑後の人心掌握にも有効であったはずなのだが、まさかその構想を勇者たちに邪魔されるとは思っても見なかった。
大きくため息をつくと公爵は卓上のベルを鳴らす。
ノックの後、入室してきた従者に王室派選定官への手紙を渡すと公爵は重い腰をあげた。
こうなった以上、勇者たちへの再教育か更なる戦力増強か、あるいは王室派の戦略を根底から覆すようだがハルの再配置しかない。
だが、その責任を取るのはまっぴらごめんだった。
故に公爵は踏ん反り返ってはいても最終決定は下さない。
やれやれ、と腹のおかげで見えない足をゆっくり進め、公爵は謁見の場へと向かった。
国王の裁可が下された数日後。
公爵はまたしても頭を抱える自体に直面していた。
「なぜだ……なぜ王妹殿下が西方にいたのだ」
「春の休戦期でしたので、南方への視察と布教強化ということで聖女殿と同行されていたようです。途中、西方辺境伯への慰労ということで寄り道をされたと」
「そんなわかりきったことはどうでも良い!」
怒鳴られたコルテロ伯は、相変わらず顔色悪い様子で肩を竦めた。事実を追述するだけなら阿呆でもできる。こんな無能がなぜ軍務大臣なのだ、とゴリ押しした自分を棚上げして公爵は唸った。
「休戦期が明けても聖女がいなかったことに誰も気づかなかったのか。あれほど目立つ存在であるというのに」
「誰も、と仰いますと……」
「貴様ら軍は何をしていたのか、と聞いている。あの化物が参謀として居座っていた時に、頻繁に敵の情勢を報告してくる部隊があったろう」
ハルとヴェセルは、私兵が集めてくる情報の副産物として王国内の政情や西方および南方諸王国の動静を掴むことがあったが、彼らに直接関係ないのでそのまま王宮へ報告してあったのだ。
ハルの私兵たちにとっては片手間で得た情報でしかないので、どうでも良いとばかりに投げ与えられていたものだったが、ハルと共に西方へ移動してからはぱったりと情報が途絶えた。
当然のことながら貴族間の情報を探る公爵家の家令が軍事情報にまで手を出しているはずはないし、コルテロ伯も軍にそのような部門を置いているわけがなかったからだ。
「王女殿下誘拐未遂を口実に領内立ち入りを実行した結果、西方諸王国は完全にしてやられたではないか。国務大臣が嬉々として条約交渉に向かったわ」
イライラとしながら公爵は政敵のにやけ面を思い浮かべる。
同じ王室派とはいえ、その中での勢力争いは当然のように存在する。その最大の敵である侯爵が外交を司る国務大臣を務めていることは調整と妥協の産物であると言え、今になって悔やまれる譲歩だった。
「は……西方は無傷であったようで」
「知っておるわ!王妹殿下の誇らしげな顔が浮かんで……くそがっ!」
机をどん、と叩く公爵の瞼に手柄掴み取りとなった国務大臣の得意げな顔と並び、平民のくせに軍の重鎮として居座るヴェセル翁と小生意気な天才王女の顔が浮かぶ。
西方巡撫で滞在していたカノ王女を拐かそうとした無頼漢を捕縛したら、西方諸王国の手の者だった。
その無礼と罪を問うために領内での共犯者追捕とそのための捜査を要求したところ蹴られた。
敬愛する王女殿下の御身の安全を図るため、また許されざる不敬を咎めるために已む無く侵攻、手加減しつつも圧倒してくる王国西方軍を恐れた諸王国は無血開城を選択。
こんなシナリオを描いたのは絶対にあの二人だ。
聖女は確かに才女ではあるが、自ら血生臭いことに首を突っ込む真似はしない。祖父のように頼る、教主の教えがあるからだ。
異界からの化物は戦場でこそ活躍するが、公爵が政治の舞台に立つようになる前から厭世的な雰囲気で面倒なことをしたがらない。
だからあの二人が策謀の中心であることは間違いない。王家と軍、国民と為政者、王国と他国の緩やかな関係性を望む融和派は、あの二人を除けば木っ端どもだけだ。
自らの見たいものだけを見て、敵への牽制を怠った。
そう歯噛みする公爵を前に、無能な官吏でしかないコルテロ伯は下がるタイミングを見失っておろおろする他なかった。
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