第30話 変態聖女の提案

 魔族は基本的に脳筋だが、何事にも例外というのはある。


「と言う訳なんだけど」

「……それはつまり、勇者たちが元の世界に還ることは不可能ということでは」

「だよね」

 アルノのかなり端折った適当報告なのに、カレンは大凡の事情を理解して呆れ顔をした。

「そもそもの話として、魔王様に辿り着くための最初で最大の障壁としてお嬢様がいるので……やっぱり詰んでますね、勇者」

 そうなのだ。

 ホウリュウイン?リュウホウイン?だかが言っていたような「四天王」などは魔族におらず、アルノが魔王軍ただ一人の司令官であり最大戦力でもある。

 人族としてはそれなりに強いハルどころか、それを圧倒する彼の師匠でもあるヴェセルを以ってしても赤子のごとくあしらわれて終わるのだ。いくら膂力では彼らを凌駕すると言っても、死線を潜り抜けたハルやヴェセルと違って力任せに剣を振り回すだけの勇者が束になっても敵うはずがない。


「でもね、もっとわからないのは魔王様を倒せば還れると信じているのに、この世界でも私たちと仲良くしようなんて考えでいることなのよ」

 どうよ、と首を傾げながら問う。

 少し伸びた髪が白い頬にさらりとかかり、執務室の大きな窓から差し込む陽光を受けてきらりと光った。

 そんな主の様子を見ながら、手塩にかけて磨き上げてきたお嬢様は魔族であろうと人族であろうと目を奪うくらいに美しくなられた、と自画自賛するカレンだったが現在は執務中、本分を忘れることはない。

「どうよと仰られましても……我ら魔族とも人族とも違う思想なのでしょう。異界人を同じ尺度で測れないことは先日の捕虜を見ても明らかです。そういった教育を受け、そう考えることが自然なのでしょうね」

「まあそうよね。理解不能な別の生物、くらいに考えておけば良いのかしら」

「それが妥当ではないかと。ただ、そうなりますと……」

 顎に手を当ててふと考え込む。


 主の話と捕虜の様子から、勇者カミジョウや勇者ホウリュウインだけでなく彼らは似たり寄ったりな思想を持つのだろう。

 単に個人の主義主張の話ではない以上、種族や命に対する考え方はその世界の常識から大きく逸脱するような革命的思考を持たない限り、住人ごとの意識に大差はないはずだ。


「なに、どうしたのカレン」

 怪訝そうな顔を向ける主に、

「いえ、使えそうだなと思いまして」

「使える?」

「勇者はそれなりに人族、特に勇者軍の中では影響力を持っていることでしょう」

「まあ、勇者だしね」

「以前の勇者軍であればハル様とヴェセル様が統括されていましたから内部工作は不可能でしたが、現在は近衛師団が中心となっており、尚且つ彼らの殆どは貴族または騎士階級です」

 ふむふむ、と頷くアルノだが実際のところどこまで理解しているのかはわかったものではない。

 が、お嬢様はそれで良いのだ、と思いながらカレンは続ける。

「つまり人族社会に思想的影響を与えることのできる階級が中核となっている勇者軍に、平和や博愛を謳う間抜けな勇者たちが転がっているのです」

「うんうん」

 あ、これわかってないわ、と空返事でカップに口をつけるアルノの反応を見て思う。

「しかもハル様とヴェセル様が不在です。お嬢様と同じように何も考えてないバk ……人族に対して友好的または中立的に振る舞えるフルドラ民副長のような人員を見繕って放り込み、勇者思想を蔓延させ交戦意欲を薄くすることは可能なのではないでしょうか」

 なので思わず本音が漏れそうになった。

「あれ?何か今私のことバカにした?」

「気のせいでございます」

「え、でも私とフルドラ副長を同列に……」

「気のせいでございます」

「しかもバカとか言いかけ」

「クッキーのお代わりはいかがですか」

「いただくわ」

 お嬢様ちょろい。

 それはそれで眷属としては不安になるのだが、まあどれだけ脳筋で騙されやすくても実力で何とでもなる吸血鬼なので問題はないだろう。実際、戦場ではハルにあれだけ騙され嵌められ罠にかけられても、楽しかったとか言いながら帰ってくるのだから。

 クッキーを差し出してお茶のお代わりを淹れながらカレンは主の決断を待つ。


「要するに勇者軍から骨抜きにして、人族全体を軟弱にしてしまえってことね」

「さすがお嬢様、その通りでございます」

「……なんかバカにされてる気がする」

「気のせいでございます。チーズケーキもありますよ」

「ありがとう」

 研究熱心な珍しい魔族のカレンは、人族の料理なども研究していた。そのおかげか彼女の作る菓子類は絶品であり、「夜に鳴く鶏亭」ではこういった甘味という人族の叡智を味わえないアルノを、充分に満足させるものだ。

 カレンの人族研究の成果にもぐもぐしながらご満悦な吸血鬼の真祖は、魔王様が人族を利用するのだと言っていたのは間違いじゃないなー、とのんびり思った。

 だから、殲滅ではなく服従させられるならその方が良い。

「まふぁふぇるわ、カレン」


 それはカノ王女と聖女アリアが西方司令部を襲撃する二週間前。

 人族の運命はこうしてあっさりとチーズケーキと、それを頬張ったハムスターみたいな司令官によって決定されてしまったのだった。












「ていうか休戦期終わってるんだけど。帰らなくて良いのか、お前ら」

「ひどいですハル様。私は邪魔なんですか」

「いや、そんなことは言って」

「邪魔なんですか」

「アリアがいてくれて嬉しいよ。よしよし、いつまでだっていていいんだからな」

 諸王国と睨み合う西方司令部では、泣き真似にあっさり陥とされ聖女の頭を撫でるハルに、ヴェセルが呆れた目線を投げかけていた。


「王女殿下、聖女殿はますます何というか……」

「翁よ、それ以上はいけない」

「いやですがそろそろ年齢を弁え……さぁって!この書類もあと少しで終わりですな!」

 十七歳と言えば、貴族であれば早い娘なら結婚している。平民だって二十三から二十五歳くらいで結婚するのだから、十七歳は十分に成人した女性であると考えて良いだろう。

 いい加減歳を考えろと言いたくなったが、ハルにとってアリアはいくつになっても戦場で救い出した幼子であるということを逆手にとり、子供染みた言動で我儘を推し通すその手法はまさにヴェセルが教えたことだったりする。

 その引け目と、到底聖女とは思えない殺気を籠めた視線を受け、どうせ終わらない仕事で徹夜続きになるのはハルだ、とさっさと自分の仕事を終わらせることに集中するふりをした。

「まああれはただのファザコン?いやブラコン聖女だからな、翁やカレン殿の思惑の邪魔にはならんだろう」

「それはまあ、そうじゃが……って今聖女殿にえらい言い様ではなかったですかな?」

 肩を落とすヴェセルの視線の先では、書類に目を通そうとするハルの膝に乗った聖女が、構ってとばかりにちょっかいを出し続けている。

 それは確かに王女の言う通り男女の甘いものというより、単純に父親に甘える娘の姿だ。いや本当にそうだろうか?何だか首に腕を巻きつけて頰にキスしているが。

 あれ?それって本当にファザコンの娘がやること?

 と己の判断に自信を失いかけるヴェセルだった。


「それに、どうしたってアリアには認めてもらわねばならんだろう?ハルがアリアの意向を無視してまでアルノヴィーチェ殿と一緒になりたいと思うものか?」

「さて、どうですかな。どちらかを選ぶということはしなさそうじゃから、弱り切っておろおろするハルが見られる可能性が……うむ、これは面白い!」

 途中でそんなハルの姿を思い浮かべ、嬉々とした顔で言い切るヴェセルに今度は王女が呆れ顔をする。

「翁はまだまだくたばりそうにないな」

「何を申されるのじゃ、殿下。老い先短い老人のささやかな楽しみというだけで、邪心はないですぞ」

 いや今思いっきり面白いとか叫んだじゃん、邪心しかないじゃん、とは王女は口にしなかった。言っても詮無いことを口にするほど無駄なことはないからだ。

 結局、この中で最も大人なのは、最も幼いカノ王女だった。






「どうも背後にアルノ、いやカレンさんの気配がする」

「それじゃな」

 一仕事終えた四人、正確にはハルにべったりして邪魔しかしなかったアリアと、そのアリアを猫可愛がりしかしていなかったハルを除く、つまるところヴェセルと王女の二人だけが仕事に切りをつけて、応接セットで向かい合う。

 これも正確に言えば向かい合っているのは並んだハル、ヴェセルに正対するカノ王女だけだ。

 聖女アリアテーゼは腰を下ろしたハルの後ろから背もたれ越しに抱きついて「ハル様ハル様、ああハル様の匂い久しぶり幸せ」と、ヴェセルが青い顔して聞いていないふりをするようなセリフをぶつぶつ呟いている。

 誰じゃこの娘を聖女認定したのは、あ、女神か。なるほどハルの言う通りクソ女神じゃな。


 そんな現実逃避をしつつ気持ちを切り替えようと、ハルが放ったテーブルの上の資料を見ながらアルノではなくカレンの仕業であることに同意を示すヴェセル。

「さすが二人が育てた部隊だな、王城へ齎される報告ではこういったことはわからない」

 資料を取り上げた王女がざっと目を通し、

「こうまで見事に内部から切り崩すなど、魔族の仕業らしくないが」

「カレン殿はちと特殊ですな。元から小器用なフルドラ民であることに加え、アルノ殿の眷属化したことで魔族としては突然変異であると考えた方が良い」

「くんかくんか、ああハル様ぁ……」

「俺たちもだいぶ前に考えたが魔族が脳筋すぎてどうにもならなかったからな。魔族が皆カレンさんくらいの思考能力があれば逆に成功できたんだろうが」

「下手に思想が発展するとこうなるのか。まあ、だからと言って思考の進歩を止める訳にはいかないのだが」

「すうー、はぁぁ。すうー、はぁぁ。あ、いけません、ハル様成分を吐いてしてまうなんて。すうー、すうー。すうー……」

「ではこのまま進行させ……ああもう、アリア!その呼吸?吸吸?法は死ぬからいい加減にしておけ、気が散ってかなわん」

 さすがに王女が見咎めて変態聖女を叱りつける。

 王城とセーガル河で離れていたからと言って、変態が過ぎる。変態が過ぎる、というのもどんな言葉なんだと自分で自分に突っ込みたくなるが、全ての元凶は可憐な乙女然としたそこの変態だ。

「嫌です。どうせまたセーガル河戦域に行かなければならないのでしょう。今のうちにハル様成分を思い切り吸収しておくのです」

「どうしてここまで変態になってしまったのじゃろうか」

「いや、翁の教育だろう。他人事みたいな顔するな」

 疲れた顔つきの王女をさすがに憐れに思ったか、ハルがアリアを宥めて王女の隣に座らせる。事の元凶に憐れまれる、という納得いかないことこの上ない仕打ちを受けた王女だが、聖女が再び暴走する前に重要な打ち合わせを終わらせておこうと口を開いた。

「王室派の中心は戦争経済で潤おうことしか考えていない悪どい連中だからな、領土も欲しいがそれより王国の中枢で政策を左右できること、そしてだらだらと小競り合いをする程度に継戦することがより重要だと考えている」

「その腰巾着どもはおこぼれに預かるだけで、そこまでは頭が回っていなさそうだが」

「じゃろうな。ハルを遠ざけたのはハルとアルノ殿では被害が彼らの想定より大きいこと、よしんば勝利したとて政治が融和派の手に渡っては元も子もないことからじゃ」

「故にハルよ、王室派が勇者軍に蔓延する平和主義思想に困惑して継戦困難の引け腰になっている今、お前がさっさとセーガル河に戻ってアルノ殿に押し込まれている戦線を戻し、停戦、できれば終戦に持ち込めれば我らの勝ちだ」

「魔族の狙いが人族の文化や技術であることはカレン殿からも裏付けが取れたしのう、ハルの戦術理論は論外じゃが、文化や農産、治水技術などは提供するのに吝かではない。が……」

「代わりに人族が何を得るのか、って話だよな。ただ提供するだけじゃあ、例えカノの発言力が大きくなったとしても実質敗戦を認めたと見られてあっという間に失墜だ」

 ハルの言葉に、三人はうーむ、と頭を抱える。


 結局のところ停戦までの道筋は見えているものの、最期の一手が見つかっていないのだ。

 魔王が領土的野心を持っていないことは「夜に鳴く鶏亭」でアルノからも聞いているから確かなのだが、文化はまだしも技術を提供するのは魔族の国力を悪戯に増加させるだけだ。ただでさえ単体の力では敵わない相手に、これ以上の力を与えるだけで停戦するのでは話にならない。ただの敗戦だ。

 それならばまだ、領土を割譲するだけで済む方がマシだが、魔族と違って人族の王室派は土地こそ全てと考えているからその手も打てない。

 カノ王女、ヴェセル、ハルが考え込んでいると、きょとんとした顔で小首を傾げた聖女が、

「魔族からは魔術理論を提供して貰えれば宜しいのでは。相互に人質をとることも併せて、人的交流の建前でエル・ラメラの辺りに研究都市のようなものを作りお互いの高位子息を交流させれば、抑止力にもなりますし」

 さらりと言い放つ。

「どうせ現状で奪われている土地です。取り返したハル様、そのバックの融和派である殿下が王国領土として管理するが非武装地帯として提供すると言えば、王室派も文句は言えないでしょう。獲られたのは自分たちなのですから。それにあの辺でしたら住民も魔族に慣れていますし、魔族の研究者や子弟を住み込ませても混乱はないと思いますけど……って、あの、どうしました?」

 三人が目を見開いてこちらを見てくるのに耐えきれず、じり、とソファの端に尻を動かす。


「アリア……」

「お前、ただのハル狂いの変態ではなかったのだな」

「儂の薫陶の賜物じゃろうか」

「「それはない」」


 仮にも聖女、しかも国でもトップクラスの知性と教養を示しているはずなのにこの扱い。

 すべては四人だけの時のアリアのハルに対する言動が原因ではあるのだが、そのことを棚上げにした聖女は理不尽だ、と肩を落とした。

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