第7話 ヴェセルの嘆息

 戦争も百年続けばひとつの活動として国の体制に組み込まれる。

 徴兵を戦場から離れた地域中心で行っていることもあり、王国は戦争で人が死ぬということについての緊迫感が薄れているのかも知れない。


「フィードバーグ翁、ぜひご検討頂きたい」

 魔王軍と対峙する要塞はセーガル河畔で対岸を睨んでいる。

 王国を中心とした連合軍はそこより人族領域側へ進んだ交易都市に要塞への補給を采配する勇者軍拠点を置いているが、他都市に比べれば戦場に近いと言え領域の村々がこっちの所有になったりあっちの所有になったりするのが日常茶飯事。それなのに人的物的被害はさほど大きくないものだから、やっぱり戦争意識は非常に低い。

 更に戦域を離れた諸地域は言わずもがな。

 王都に至っては、貴族の中には戦争しているという認識をつい忘れてしまうような輩すらいる。


 フィードバーグ・ヴェセルは叩き上げの生粋の軍人であるが、生来の知識欲と向上心で様々なことを学んできた。魔法もそのひとつだが、彼の得意とするところは広範に渡っており上流階級の教養と呼ばれる範囲は全て網羅している。

 故に王妹カノ王女の教育役であったし、未だにこういった依頼が多い。




「さて……儂ももう歳ですからな。今更お役に立てると思えなんだが」

「とんでもない、翁の知識は王都の誰が及ぶものでなく、我が主人ボーエン公爵家の家庭教師としても遜色ないというもの」

 遜色ない、とは一体何と比べての話やら。

 やや鼻白むヴェセルだが、正面に座って熱弁を奮うのは公爵家の遣いだ。皮肉だけ言って返す訳にも行かないだろうと思うと余計に面倒くさいが仕方ない。

「とは言え勇者軍参謀付作戦補佐としての仕事もございますでな。予断を許さぬ時期ゆえ……」

「その件でしたら陛下の御勅許は賜っております」

 こいつ目上の発言を食いよった、食いよったで、と軽く内心で突っ込む。

 確かに先ほどから卿でなく翁と呼ばれているように、その知識と経験で尊敬を集めているとは言えヴェセルは貴族ではない。公爵令息の家庭教師という重責を依頼するにも関わらずこんな若いのを遣いに出したことからも、軽く見られているのは確かだろう。

 が、それでもただのじゃじゃ馬脳筋娘だった王女を俊才と称されるまで育て上げた力量は王都の貴族間では有名すぎるほど有名で、こうして自らの子女を鍛えて欲しいと依頼に来る輩が後を断たないのだ。

 むろん、彼らの目的はそれだけではない。

 王室派に対する融和派筆頭である王女を育てたヴェセル、というところに意味があるし今回は特に王室派のボーエン公爵からの依頼ということでもう一つの目的の方がより顕著だ。


「戦況次第でしょうなあ。まあ検討しておきますが、さて参考までにお聞きしたいことが」

「何なりと」

「全体を満遍なく教えて欲しいという依頼を、儂が全てお断りしているのはご存知か」

「もちろんです」

「では、公爵閣下はご子息に対して魔法、戦術、外交、経済、農業、工業、歴史、典礼、紋章、算術いずれをお望みですかな」

「は……えぇと、それは魔法で、と」

「魔法操作、魔法学概論、精神魔法、精製魔法、解析魔法、医療魔法のどちらを?」

「……いえ、その件につきましてはオグレ様との面接にて適正を鑑みて翁にご判断頂きたい、と」

 そんなこと自分に言われても、と言いたげな表情を隠すこともしないのは若さゆえの経験不足だろうか。

 いや、単に舐めてかかったからだろうとヴェセルは判断した。


「なるほど。魔法操作の適正は?」

「杉の上枝ほどかと」

「わかりました、では王都の知り合いに紹介状をお書きしましょう」

「は?いえ、我が主人はフィードバーグ翁をこそ、と」

 慌てて言い募る遣いを片手を挙げて押し止めると、

「杉、樫、桧そして黒檜(ねずこ)。概論や総論を終えた後に各論あるいは実践魔法へ移行する際に用いられる基準はご存知でしょうな」

 もちろん、と大きく頷く。

「では、研究のための解析魔法は樫の下枝以上、医療魔法は樫の上枝以上、軍務の精神魔法は桧の中枝以上、というのもご理解しておられますな?」

「は……いえ、その」

 急に顔色が悪くなり、落ち着かなげに視線がうろつく。

 いかにも貴族、しかも公爵家に仕えることでその威光を傘にきただけの使用人だな、とヴェセルは半ば呆れたが顔色には出さずに言葉を続ける。

「貴族の方はそれら階級を無視することもありますから、ご存知ないのも無理はありませんが。儂は教える以上、意味のある先例は踏襲しようと思っておりましてな」

「は、はぁ……」

「杉で可能なのは基礎魔法のみ。そして魔法操作適正は天性のもので後天的に伸ばすことはできない。であるならば、基礎魔法を教えるだけでこれほどの高額を受け取ることは申し訳ない」

「いえ、ですが……」

「ですが、何ですかな?」

 言っている内容は辛辣ながらも口調は穏やかなまま尋ねるヴェセルだが、遣いはその年輪を重ねた圧に抗し得ないのだろう。

 あ、とか、その、とか無意味な言葉を繰り返してキョドりだす。

 やはり公爵の意図はもう一つの意味の方だ。そしてこの遣いはそれをおそらく理解していない。彼にとってはつまるところ、王族を鍛えたヴェセルを雇ったという声誉を主人が欲している、その公爵家の表面的な遣いを成功させたいというだけだ。

 何やら出会ったばかりのハルを思い出して可笑しくなってきたヴェセルは、そろそろ勘弁してやるかと思った。


「まあ、あなたも手ぶらで帰っては公爵閣下に叱られましょう。故に紹介状を書きましょうぞ。なに、王都でもそれなりに名の知れた教師で貴族にも教えておるのでご安心召されよ」

「あ、そ、そうですか、ご厚意に感謝します」

 そうしてヴェセルの紹介状を大事に抱えた遣いは王都へ帰って行った。




 と、そういったいつもの遣り取りがあったのが二週間前のこと。






「またか、懲りん奴らじゃのう……」

 交易都市の勇者軍拠点で、三通の手紙を前にヴェセルのため息が漏れる。


 公爵は先代王の弟であり、つまり王室と軍の亀裂を決定的にした王と歩調を合わせた人物である。ヴェセルの引き抜きは家庭教師に欲しいという言い訳を用いて、軍への歩み寄りを図る融和派王族であるカノ王女と近い彼をハルから引き離すことが目的なのは明白だった。

 だが、いかに勲功あれど所詮は平民である、とヴェセルを侮った公爵が年若い遣いを出したように、王都の貴族連中はどうやらヴェセルが公爵家の遣いを追い返した先日の件を、平民が自分の値を釣り上げようとして断っているのだという程度に思っているのだろう。何度断ってもこうして誘引してくるのだ。


 やれやれ、とまず一通目の伯爵家からの誘いの手紙を放り投げ、二通目を手に取る。

 ハルと共に育てた諜報部隊からの報告だ。

「これは西方か……王都よりも戦場と遠いからのう」

 だから西方担当からの報告はヴェセルをより一層呆れさせるものが多くなる。


 戦争が魔法はじめ様々な技術を発展させ、社会の流れに組み込まれることを悪いとは言わない。事実、彼が戦場に立ち始めた頃には有効な対抗策すらなかった魔王軍司令官の精神魔法、その物真似程度の魔法技術は勇者軍でも使えるようになってきているのだ。

 それが解析魔法と精神魔法である。

 だが、いくらこの先研究が進んだとしても魔法操作は先天的なもの。膂力だけでなく魔力も劣る人族では、奇跡でも起きない限りはさすがに人族の魔法操作階級では図りきれない、アルノほどの威力に到達することは無理だろうが、ハルの戦術の幅が広がる程度に役立てられれば良い。


 だが、流石にここ数年の人族の堕落っぷりは目に余るものがある。

 ハルはそんな人族に対して改善の意欲を失い、この世界のどこにも身の置き場がない自分の、唯一の立場である勇者軍参謀を保持できれば良いという程度にしか考えていない。たまにアルノと飲んで憂さを晴らす、人族も戦争も、その先がどうなろうと知ったことではないという態度だ。

 それも仕方ない。

 人族唯一の黒檜であるハルは、魔法が使えない。その代わりに特殊な力を与えられているのだろうし、魔法が使えないのに魔力が黒檜である意味だってあるとヴェセルは考えている。

 が、長く共にいるヴェセルはともかく、王都で戦争の何たるかが体感でも知識でも理解できない王族や貴族たちにとってみれば、役には立つが人の枠を超えた化物だ。


 ハルの人となりを知っていた先々代の国王までは良かった。

 共に戦場に立つこともあった武闘派の彼は、ハルを戦友として扱い異世界の化物と捉えることはなかったのだから。

 だが、王太子が病没した後に立太子した次男、先代国王は違った。

 先々代が早々に王太子を決め、後継者たれと彼に厳しい教育を行ったがために、その他の子息には帝王教育が施されなかった。

 兄である王太子の早逝に伴い立太子した彼は、戦争も王の何たるかも知らないままに勇者の膂力と英雄的立場のみを愛し、軍とハルを軽視した。

 その流れが今日にまで至ってしまっている。

 カノ王女は現王の末妹であり、先々代国王である祖父の血を濃く受け継いでいるようだ。


 彼女が王位を継げれば。

 何度そう思ったかわからないが、この国では女性に王位継承権はない。

 六歳から十二歳まで、ヴェセルが教育を施したが理解力に秀でており、英雄一人の力では局所で勝てても戦争には勝てないということも正確に理解した。

 故にハルや軍の価値を認める融和派の筆頭と見なされている。

 惜しむらくは、彼女を除けば権力中枢に近い王族が融和派にいないことだろう。王妹ではあっても十五歳でしかない彼女では、影響力にも限りがある。


 ハルは諦観で魔王軍との戦いにしか興味を持てず、カノ王女は影響力に欠ける。そうなると平民でしかないヴェセルが出来ることは、情報力でハルを補い、軍の支持をカノ王女に集めることくらいだ。

 そのひとつとして、戦略情報以外には目を通すだけのハルに代わって政略情報を確認しているのだが、

「これは不味いのう……」

 西方諜報部隊からの報告、「西方諸王国に連帯の兆しあり」から視線を離し、ぱさりと机に投げ置く。

「ハルの能力には、魔王軍のアルノ殿だからこそ拮抗できていると言うに」

 どこにどんな部隊が配置され、どのような長所と短所があるのか。

 それを距離や遮蔽物に影響されず知ることができるハルの能力は、力ずくで何とかできるアルノの魔力と膂力、そしてそういった力には無条件で従う魔族の種族的特徴があってこそ対抗できるものだ。

 王室派が憂うように、それが人に向けられた場合どうなるか。

 むろん彼一人では何もできないだろうし、そのことを理解しているが故にハルも人族の組織に留まっているのだ。

 だが万が一、ハルが旅団単位でも複数兵科をその指揮下に置いたとしたら、軍集団単位でも蹂躙されてしまう。戦場で、常に兵の配置と戦術の最適解が出せるというのはそれくらいに恐ろしいものだ。王室派はそこまで理解して恐れているわけでないが、ヴェセルにはわかってしまう。

 その力を恐れているのに、排除しようと躍起になってその相手を怒らせる、あるいは呆れさせる。まったくもって、最近の王族派の愚かさにはため息しか出ない。

 そしてその嘆きは、ヴェセルに師事したカノ王女も同様だった。


「参ったのう……」

 呟いたヴェセルは最後の一通に視線を落とす。

 それはカノ王女からの密書であり、書かれていた内容は端的かつ乱暴にまとめるとこうだった。


『何があってもハルを対魔族戦線に留めよ』


 当たり前だ、西方と王国、人族同士の戦いにハルを投入する訳にはいかない。そんなことをすれば西方はただひたすら蹂躙され、代わりにセーガル河戦域は崩壊する。

 聖女を送り込めば何とかなるかも知れないが、損耗を抑えつつ攻撃を最大の防御とできるハルと違い、ただ損耗を抑えるだけではいずれ限界が訪れる。そもそも、何の担保もなく聖女を戦線に送り込むことを主教はじめ聖教が許すとも思えない。


 が、勇者軍参謀付作戦補佐でしかない彼にも限界はある。

 そんな訳で、相変わらず飲みに繰り出しているハルのいない部屋で、ヴェセルは一人ため息をつくしかないのだ。


「本当に、参ったのう」

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