第6話 ハッピーライフ

 かろん。

 今日も入荷された仔牛たちが屠殺場へやってくる。

 と、もちろんそんなことを口にしたら大将に殺されるが。


「よっ!」

「ん」

 いつものルーチンワーク。

 今日も妖族の中立都市にある居酒屋「夜に鳴く鶏亭」はほどほどに混み、ほどほどに騒がしい。


「大将、ビールね。あといつもの」

 だが今日はいつになくハルの機嫌が良い。

「んじゃ、お疲れー」

「乙」

 ハイテンションのままジョッキを合わせ、喉を鳴らしてビールを流し込む。


「ぷっはー、やっぱ仕事上がりにはこの一杯だな、な!アルノ!」

「うざい」

「おいおい酷いな。おじさん悲しいぞー」

「心の底からうざい。その年寄りアピールもクッソうざい」

「なんだー、お前の方が年上だからか?しょうがねぇ、今日はアルノさんを敬っちゃうぞ」

「マジで寄るなクソ人族、本気でうざいわ」

「何だよアルノさーん、殺し殺されの仲じゃないか」

 うざ絡みが本気で面倒くさい。ていうかどんな仲だ。

 ここまで有頂天になっているのは珍しいが、理由を聞くのも癪なのでむっつりと黙り込む。

「おーいアルノさーん、楽しく飲もうぜ。今日も激しく殺しあったことだし!」

 そんなことで楽しく飲むのはこいつらだけだろう。

 アルノは百年、ハルは五十年以上戦場で殺し合いばかりしているので完全に理性が壊れてしまっている。

 まあ、魔族であるアルノや記憶のない転移者であるハルが、そもそもこの世界の人族や妖族の持つ理性を習得しているのかどうかは怪しいところだが。


「いや何てーの、今日のお前の戦法凄かったな。空城の計をこの世界で目の当たりにするとは思わなかったぜ」

「自慢か。その計もお前の能力で見破られたけどな」

「いやいや、突入直前まで気付かなかったって。確かにパーソナルはわからんからなー、まさか魔族の力量に近い獣を本陣に用意しておくなんて思わなかったわ」

「ふん。全く、あと少しでお前の首を掻いてやれたものを」

「危ねぇなアルノは。ほら、もっと楽しく殺し合いの話しようぜ」

「今日の貴様は獣しか殺してないだろうが」

「うん、まあな。あ、そうそうあの獣ありがとな。美味しくいただいたわ」

「は?おい……食ったのか」

「ん?ああ、食ったぞ」

「……何で生きてる」

「え?ああそういうことか。俺は毒にも耐性あるからな。不死……かどうかはわからんが、どうやら毒では殺せないっぽいな」


 まあ一緒に食った兵士は死にまくったけどな、あっはっは。


 と大笑いしているハルはどこからどう見ても異常者でしかない。

 いや、別段どれだけ兵が死のうと戦局や補充に影響が出ない限りはアルノも大して気にしないが。


 アルノは元々力が絶対である魔族において最上位の吸血鬼だし、ハルはこの世界の人間、ヴェセルのような昔馴染み以外には何ら思い入れのない異界人だ。特に今の人族からは不快な思いしかさせられてないことから、何人死のうと一切痛痒を感じないだろう。実際、人族の中にあるハルはヴェセルや馴染みの人間以外には一切表情を動かさない。

 戦場ではもちろん、街中でも拠点でも、仲間以外には喜怒哀楽をあまり表さないため冷徹無比な参謀として、そして戦争道具としては優秀な駒扱いされているのだ。

 彼がこの世界で楽しみとしているのは、ヴェセルとの軽口以外にはここ「夜に鳴く鶏亭」でアルノと無駄な口喧嘩をしている時くらいだ。


 とは言え、今そのことは関係ない。

 このままのテンションで行くつもりだったらさっさと席を払いたいところだが、一抹の興味は持ったので仕方なく尋ねる。

「で、いい加減話せ。何がそんなに楽しいんだ」

 已む無く、本当に心の底から渋々ですと表情にも口調に明確に意思表示したアルノに、

「あ、聞く?聞いちゃう?」

「うっざ。ほんとうっざ」

「しょうがないなー。教えちゃおっかな」

「あーマジ面倒くせぇなこのクソ中年親父」

「まったく、アルノは口悪いな。まあしょうがない、そんなに知りたいなら俺のハッピーライフ計画、その輝かしい端緒となる秘密を教えてあげよう」

 そう言いながらジョッキを煽って空にする。


 空になったジョッキを掲げて追加を頼むと、こほん、と咳払いをして向き直った。

「では発表します」

「あーはいはい」

 頬杖をついてあらぬ方を見遣ったアルノは、心底どうでも良いという空返事をするが、浮かれきったハルには何の打撃にもならなかったようだ。


「ドゥルルルルルル」

「あ?なんだそれは」

「ドラムロール」

「は?」

「じゃん!」

「おい」

「何とこの私、勇者軍参謀のハルはこの度お見合いをすることになりました!どんどんぱふぱふひゅーひゅー」


 馬鹿だ。

 馬鹿がいる。

 それも若者ではなく中年だ。

 正確に言えば若く見える実年齢九十のジジイだ。

 見苦しいことこの上もない。


「で」

「で?」

「どこの誰とだ」

「あ、知りたい?もーう、アルノもお年頃だからなー」

 こいつ今すぐぶち殺したい。

 それはもう、原型を留めない肉塊にしてやりたい。

 拳を握りしめてぷるぷる震えるアルノだが、ここは妖族の街、中立地帯であり尚且つアルノとハルを相手取ってぼこり倒し、放り出してくる大将のいる店だ。迂闊なことをすれば酷い目に合う。

 辛うじて苛つきを抑えると、

「いいから。はよ言え。色ボケクソジジイ」

 やってられん、とアルノもビールを飲み干す。


 どうせどこぞの貴族だろう。

 共に人生を歩めないことをわかっていて、それでも充てがうということは余程軍部にコネが欲しいのか、或いはどうにもならないほどの醜女なのか。まさか女の方から彼との仲介を親に頼むなんて酔狂な令嬢はいないだろう。

 そう思ったアルノの予想は、斜め上空にすっ飛ぶ勢いで逸らされることになる。

「なんと、エルフの王女なんだよ!」

「……は?」

 にやにやしているハルに対し、アルノの方は真っ青になって驚愕の表情を浮かべる。

「やー、ホントにエルフっていたのな」

「いやお前、今なんて」

「だから、エルフの王女だって」

 あ、これ知らんやつだ。

 こいつ何も知らないで喜んでやがる。

 そう悟ったアルノは深呼吸して気持ちを整えると、この後の阿鼻叫喚を予測して通りがかった大将の嫁に白酒で最も強いもの、できれば最高に辛いやつをと頼む。

 彼女も耳にはしていたようで、深く頷くと何かを決意した表情で裏へ入って行った。


 その姿を見てアルノも覚悟を決める。

「よし、まず確認するぞ」

「え、何だよ」

「良いから、これから私のする質問に答えろ。祝杯はそれからだ、いいな」

「まあいいけど」

 疑問符を浮かべながら質問を待つハルに、アルノはまず問いかける。

「この話はどこから出た」

「王室」

「……なるほど。では次だ、この件はヴェセルに相談したか」

「いや、聞いてからすぐにここへ来たから、まだ誰にも話してないな」

「ふむ。では最後だ。お前、エルフってどんな種族か知ってるか」

「え?国から出たことないしずっと戦場だったから、軍と戦術に関する勉強しかしてないけど……エルフって言ったらあれじゃねぇの、こう、森に住んでて全員が美男美女で永遠に若い感じの」

「あー。ついでに聞くぞ。お前、最後に女を……だ、抱いたのいつだ」

「え、ちょ、それ聞くのかよ。てか何でどもるんだよ。そうだなぁ、えっと、もう二十年くらい前かも」

「そうか」

 それなら恐らく、歳を取らないハルが気味悪がられ「始めた」頃だろう。それ以前にも軍や宮廷内では化物扱いされていただろうが、市井にはさほど広まっていない頃のはず。娼館などには出入りできたことだろう。


「……そうか」

「え、なんで二回言った?」

 可哀想な目でハルを見るアルノ。奥では大将も嫁さんも似たような目つきで、やけ酒の準備をしている。

「何なに?どうしたんだ」

 何やら妙な雰囲気に、絶頂だったテンションもやや下がり始める。

 不安げにきょろきょろと自分を見つめる視線を気にするハルに、アルノはふうっと大きく息をして、

「ハル」

 ぽん、と肩に手を置き憐れみの目を向ける。

 これからアルノが行うのは死刑宣告だ。

 できれば戦場で、正々堂々と戦って殺したかった。

 こんな情けない状況で、自らの手を汚さなければならないとは。

「あのな、ハル」




「エルフは雌雄同性だ」


「は?」


「しかもそれはタイミングによって切り替わるのではなく、常に雌雄が同一個体に同居している状態だ」

「え?」

「故に……王女もいかついヒゲ面だ」

「……あ」

「更に言えば、あれらは数が少ない。内系交配を避けるために外から雄を取ることが多い、やつらは自ら子を産む雌であることを好むからな。種馬として迎えられた異種族の男は役割を終えたら、食われる。それはもう文字通りの意味で、物理的に」

「う」

「ヴェセルなら知っていたろう。恐らくお前ら人族の王室は見返りにエルフの出兵でも頼んだんじゃないか?或いは世界樹の葉か。いずれにしてもお前は騙されて出荷される仔牛扱いということだ」

 魔族から慈しみの目を向けられる。

 一瞬、周りから音が消えた。


「嘘だるぉおおおおおおおおおお!」


 そして魂の叫びが響いた。












「くっそ、くっそ、ふざけやがって……全員ぶっ殺してやる……」

 呪詛のように王族への怒りを吐き散らすハルに、さすがにアルノもいつものような軽口は叩けなかった。

 幾ら何でも仕打ちがむごすぎる。背景がよくわからないからもしかしたら、冗談でしたー、で済ませるつもりなのかも知れないがそれにしたってこれはない。まだしも魔豚と交合せよと言われる方がマシというレベルだ。

「ふざけんな、マジざっけんなよ……何で俺がこんな目に」


 何も言えねぇ。


 アルノは今度は心底から同情した。

 異世界から突然飛ばされて来て、右も左もわからない中で命懸けで戦い、軍の中核として指揮をとって魔族最上位の単体種である吸血鬼を相手取り、それでも人族の維持に貢献してきた挙句エルフに売られるとは。

「あーまじ滅ぼす。絶対滅ぼす。王族皆殺す」

 とは言え、まさか王族もハルがエルフについて本当に何も知らないままだとは思っていないだろう。

 だから恐らくは通常の種馬ではなく、それなりの種馬として扱われる約束になっているだろうし、そのことを伝えた上で出荷する予定だったのだと思う。


 そう言ったのだが、呪詛を延々と履き続けるハルには何の慰めにもならなかった。


「そうだとしても、髭面と交わえって言ってんのは変わらないだろ」

「いや、髭は剃る約束になっていたかも知れんぞ」

「で朝チュンしたら髭面かよ、冗談じゃねぇ」

「いやお前も髭面だが」

「俺は男!しかも毎朝ちゃんと剃ってる!しょうがねぇだろ夕方にはこうなるんだよ」

「だが夜には髭面なんだろう?今までお前に抱かれた女の気持ちを理解するに良い機会ではないのか」

「男で髭面なのと、女で髭面なのでは違うっつってんだよ!」

 まあそりゃそうだ。

 だいぶ落ち着いたようだが、こうまで戦い以外のことに無頓着だとさすがにアルノも気になった。




 だがしかし。

 だがしかし、だ。

 エルフは森や山岳に隠れ住み、文明や技術から離れているのだから言ってみれば「野生」なのだ。あの浮かれようからすればハルは相当美化して考えていたようだが、そんな種族が華奢で美しい訳がない。部族を守るため、あるいは狩猟のために技術がない故に素手もしくは簡易な原始的武器で野獣と戦うのだ。

 そりゃ、ガタイが良い方が有利に決まっている。

 また、たとえ魔法を使う種族であったとしても、この世界の魔法についてはハルだってよく理解しているはずだ。水を出したり体をきれいにしたり、一体どんな理屈でそんな夢みたいなことが出来るというのか。

 ということはつまり、大して清潔でもないし、生肉もしくは加工しても干肉程度が中心の食文化だから体臭も凄い。

 きついとか臭いとかではなく、凄い。

 だが、それだけに膂力とハンティング能力は凄まじく、ノッテ民クラスの膂力とフルド民クラスの敏捷性、あのガタイでどうやって動いているのだとアルノが不思議に思ったほどの能力を有している。

 それに加えて呪法と呼ばれる、魔法とは異なる体系の得体の知れない力がある。人族からすれば怪物染みた能力であろう。

 隠れ住むと言っても外の世界と完全な没交渉という訳ではないから、そのことに目をつけたアルノも一度は魔族領北東の山岳地帯に住むエルフを戦力として用いようと考えたことがあった。


 結果としては、「ドン引きした」とだけ言っておく。




「しかしお前、この世界の常識を知らなさ過ぎじゃないか。もう六十年近くいるんだから、知る機会はあっただろう」

「なかったんだよ」

「え」

「連れて来られていきなり森林に投げ出され、運良く行軍中の王軍に拾われた中年が生きてくために軍属になって死ぬ気で戦場に出る。どこで一般常識教わるんだよ」

「あー……いや、それこそヴェセルなどに聞けばよかっただろう」

「この世界のエルフはどうですか、ってか?存在を知らないことを聞くって、難易度高くね?」

 仰る通りだった。


 だから生き残るために必要な技術ばかりを高めに高めて来たのだ。

 確かにアルノに比べれば非力だし人族の範疇を超えるようなものではないが、それでも勇者軍内でハルに武術でも剣術でも勝てる猛者はそう多くはないだろう。

 力がない代わり、努力してきたのがハルという人族だった。

 その合間に戦術や戦法の勉強をし、軍における輜重や兵糧確保のための物資ごとの産地や輸送を学び、確かに余計なことを考える余裕はなかった。


「あー……マジで何で俺、こんな目に合ってんだよ」

「最初に拾われたのが軍だったのが運のツキだったな。軍と運、ぷぷっ」

「おいテメェ」


 自分で言って笑うアルノに、力なく抗議するハル。

 目の前にすっと差し出された大将の心遣いであるタム海老の兜焼きの香りが、やけに目に染みる夜だった。

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