第5話 魔族と人族

 かろん。

 いつものカウベルが響く。


「よ」

「ん」

 いつものやり取りの後、カウンターに並んだ二人は常になくげっそりした表情をしていた。

 注文する元気もなく、ちらりと大将に目をやれば黙って頷いて奥へ入っていったのでジャルナの準備でもしてくれるのだろう。もはや大将の嫁で間違い無いだろう、ということで二人して勝手に嫁さんと呼ぶようになったウェイトレスがビールを運んできたので、注文は正しく通っているようだ。


「お前な……ほんっと、お前なぁ……」

「いやすまん、今回のは俺が悪かった。マジで」

 ジョッキを持ち上げる気力すら残っていないアルノがテーブルに置いたままジョッキをずらすと、軽くそれに当てたハルが平謝りに謝罪する。

 お通しで出てきたマルリードという木の実の酢漬けを口に放り込み、もぐもぐと咀嚼しながらジロリ、と下げた頭を見遣った。


 勇者軍参謀であるハルは異世界からの転移者だ。いつ、なぜ、どのようにして来たのか詳細はわからない。本人も覚えてはいない。それこそ女神にでも直接問い質すしかないのだろう。

 異世界での経験は覚えているようだが、家族や恋人がいたのか、どのような半生だったのかなどの記憶はない。

 アルノにはよくわからないのだが、フラッシュバルブ記憶がないからエピソード記憶が符号化されて意味記憶としてしか残っていないのではないか、といつか言っていた。

 意味不明ではあったが、つまるところ自分の経験か知識か曖昧なものを地図でも眺めているかのように俯瞰して記憶はできているということらしい。


 そして彼は最初の頃、「俺にもチートが」とありもしない能力とやらを探そうと躍起になっていたらしいが結局そんなものはありもせず、拾われた王国軍にて武術を身につけそのまま軍属となった。

 だが、異世界の意味記憶を持っていることと恐らく不老不死であろうことを除けばごく平凡な兵士でしかない彼にも、実はチート能力と呼ぶべきものはあった。


「お前の能力って、ほんっと微妙だな」

「いやマジで今回は悪かったけどさぁ……微妙とか言うなよ、悲しくなるだろ」

「この時期、セーガルに川霧が発生しやすいことなんてわかってるだろう。何年この辺りで戦っていると思ってるんだ」

「それな。いやわかってはいたよ、今日だって天気見てヤバイなとは思ったんだ」

「わかってたんなら軍を動かすな。私だって霧が晴れるまで暴れずに我慢しようとしていたのだから」

「はい、ほんとすみませんでした」

 いつもの罵声にはならないアルノも、今日はさすがに疲れていた。体力的には化物クラスだから問題はない、というより今日はほぼ戦ってすらいないのだから疲れているはずはないのだが、何というか精神的に。


「こんな訳のわからん戦闘、魔王様に報告したくないわ」

「だよな。俺も戦闘詳報揉み消そうと思ったらヴェセルに殴られた」

「……あのごつい杖でか」

「あのごっつい杖で、だ。マジ目から火花出た」

 ビールを飲んで多少は元気が出たのか、先ほどよりは張りのある声だが言っている内容は何とも情けない。

「いやだってさ、読めちゃうじゃんか。で、先頭にいたはずが最後尾になってるとは思わないじゃんか。そしたら目の前にいるのはお前らだと思うじゃん?」

「じゃんじゃんやかましいわこのボケが」

「それでも念のため探れって指示出したわけよ」

「当然だな。そこまでは」

「いくら濃霧でも本当に手探りするとは思わなかった」

「お前ら勇者軍は阿呆か。アホの巣窟か」




 次の会戦前の戦場視察でしかなかったのだ、お互いに。

 故に少数で索敵をしていたところ、不運にも濃霧でかち合ってしまった。

 が、さらに不幸だったのはあまりの濃霧で前後左右もわからず、お互いに接触した兵が自軍の兵だと勘違いしたことと、これまた不運なことに人族も魔族も体格にさほど違いがないことだ。

 目で見えていれば、黄色の人族とアルノのような真っ白か褐色の二極端な魔族では、そうとはっきりわかる。


 もちろん、見えていたとしても軽装歩兵や弓兵ならまだしも騎兵のように兜を被って甲冑を纏えば、特徴的な魔族の角や尻尾が見えないのだが兵装が違うから間違えることはない。

 だが、目の前に差し出した指先すら見えないの濃霧の中では、静音行動している兵たちではお互いを敵だと認識できない。

 そしてそんな状態で会敵したと思いたくない彼らは、触れた先が近くにいた戦友であると考えたくなってしまうものである。




「いやー、敵か味方かまでわかるような能力だったら良かったんだがな」

「そこまで行ったら万能すぎるだろう。お前にはその程度の微妙な能力でも分不相応だ」

「酷ぇな。まあ今回は完全に俺が悪いから甘んじて受けるけどさ。あ、大将、本日の魚と野菜の煮物ね」

 アルノと話して多少は気分が晴れたか、ジョッキを煽ってぷはーっと息を吐き出す。

 相変わらず酔えるほどの度数ではないが、アルコールは気分を軽くする。

「身体能力も人並みな俺が参謀なんて地位にいるのも、この能力のおかげだけどな、もうちょっとくらい融通利かせてくれりゃあ魔王軍を完封できるのに」

「されてたまるか。まあ敵に回すとやっかいな能力であることは認める。実際、どこにどの程度の戦力を配置しているかお前には全てバレている訳だから、布陣と戦法の選択には毎度悩まされる。逆にお前のそれさえなければ今頃は人族など吹き飛ばされてるだろう」


 数値化などという便利なものではないが、どんな強みがあってどれくらい強いのか、といった雰囲気がわかるのだ。あの辺に布陣してる兵たちは重包囲が得意そうだ、勇者軍の軽騎兵をあの数で押し包める程度には強い、などのように。

 これは単体の人に対しても発揮されるから、先日アルノによって首と胴がさよならした勇者の女癖の悪さもひと目で理解できていた。

 なぜなら兵種適性が勇者ではなく芸人だったから。だから従軍民間人の女性はなるべく近づけないようにしたのだが、街中での勇者の行動を制することはできないし、逆に町娘がお近づきになろうとすることを制限することもできなかった。

 その結果が前線に近い都市であるのに一大ハーレムが現出する、という頭の痛い状況になったのだが。


「でもなぁ、パーソナルデータが明示化される訳じゃないし、何となくわかるって程度だから今日みたいなこともあるさ。はっはっは!」

「笑い事じゃない。何やらひそひそごそごそやってるなと思って霧が晴れたら、敵味方の兵士がお互い触りあって仰天、なんてバカげたことの何がおかしいんだ貴様は」

「いや本当にな。あれびっくりしたな」

「それで済ますな」

「しょうがないだろ、たまたまどっちも軽歩兵で、しかもほぼ同じ強さだったんじゃ俺の能力では混同するんだから」


 そう、質量ともに同一レベルの軽歩兵だったので、ハルにはそれが敵か味方か判別できなかったのだ。

 というより、味方だと思ってしまった。

 双方が隠密行動だったが故の悲劇でもある。霧が晴れてみたら手を伸ばしてペタペタ触れて確認していた相手が敵同士だったのだから、混乱の極みだった。すぐに我に返って戦うならともかく、驚愕が先に立ってしまってあたふたと相手から逃げるように離れるしかできず、現場は大混乱。

 ハルとアルノも兵を損なわずに撤収するだけで精一杯だった。


「問題はどう報告するかだよな……アルノ、お前どう書いた?」

「私はもう完全に開き直ったぞ。ありのままに報告した」

「マジか、それで許してくれるんだから魔王って器がデカイよな」

「そうでもないぞ」

「え、そうなのか」


 ジョッキを開けると、今日はそんな気分なのかアルノの分と一緒に自分も白酒を頼む。今日は銘柄指定してみたいな、と思っていたアルノはまあ次でいいやとやはり小さく気遣いするハルに珍しく遠慮した。

「ここでお前の愚痴聞いてるだけだとさ、大きいミスにはものすごく厳しいけど小さいミスには割と寛容じゃね?」

「まあその評価は当たっている。ただし」

 最後に残っていたビールをぐい、と煽る。

「人を困らせて喜ぶという悪癖がある」

「ん?」

「それと、自分のミスは絶対に認めない」

「……それはつまり、自分に厳しいという意味ではなく」

「自分に甘いという意味の方で、だ」

「お、おう」

 自分の唯一の上官に対して何とも微妙な評価だな、と思うがハルにはやはり人族の王室よりよほどマシじゃないかという気もした。

「特に私に対する弄りがドイヒー」

「おいお前大丈夫か、なんか言葉がめちゃくちゃになってんぞ。あれ?まさか酔ってる?」

「いや酔ってはいない。魔王様の話になるとちょっとな……思い出して頭が腰痛になったり胃が頭痛になったりで」

「いややっぱおかしいってお前、大丈夫かよ」

 慌てたハルの前にジャルナの揚げとハムが差し出される。


 今日は疲れてるようだからサービスだ、という無表情な大将の気遣いに感謝してジャルナをつまみつつ、細くて小さい美少年のなりして肉食系のアルノにハムの皿を差し出した。

「お前も割と苦労してんのな。まあ食えよ」

「あ、ああすまんな。いや実際、人族で苦労しているお前ほどではないのだろうが」

「まあ俺んとこはなぁ……あれはもうどうしようもないだろ。救えんかも知れんね」

「いやお前の国だろう。そんな投げやりで良いのか」

「んー、あんまり母国って感じはしてないんだよな。転生前の世界もエピソード記憶がないせいか、生まれ育った場所って感じもないし、国に所属してるって意識は薄いな」

「魔族には国という所属意識はないが、人族は王を中心に国単位で物事を考えるのだろう」

「そうは言っても、国と呼べるほどデカイのはうちの王国だけだし。あとは都市国家レベルでしかないし従属してるから、人族という単位で所属意識を持ってる感じじゃねぇかな。完全に併合されてないってことは、それなりに地元意識はあるかも知れないけど」

「そんなものか。なら人族は王室を中心にした族の集まりなのだな」

 今日の白酒はいつもよりさっぱりしていてキレがある。どうやら大将の嫁が別銘柄を選んでくれたようだ。

 さすがだと思いながら今日みたいな傷の舐め合いには白酒だな、と一丁前の飲兵衛みたいなことを考えて口に運ぶアルノ。


「だな。勇者軍でもあまり出身地による違いや差別意識はないし」

「ほー。ん?その割に貴族だの平民だので苦労してないか、お前」

「そこよ」

 ハルも白酒がいつもと違うことに気づいたようだ。口に含んですぐに驚きの表情になり、まじまじとお猪口を見る。

「うまいなこれ」

「だな」

「それで何だっけ、えーと、そうそう、国同士の諍いがなくても人族ってのはどこかで自分は特別だって意識を持ちたいんだろうな」

「くくく……それはお前の実体験か」

 おかしそうにお猪口を口につけたまま笑うアルノに、ハルは苦い顔をした。

「チート能力?とやらを探していた時期があったのだろう。それも同じではないか」

 そう笑うとより一層ハルは苦みばしった表情になるが、事実ではあるので言い返すことはしなかった。

「俺のことはいいんだよ、で、そんな承認欲求が高まった末に選民思想に行き着いたって感じだな。お前じゃないけど、人族ってのはほんと愚かだよ」

「私はよく知らんが、王族ってのはそんなに凄い能力の持ち主なのか?なら戦場に出てくれば相手してやるというのに」

 アルノの問いは純粋な疑問だった。

 ハルが戦場に立つ前だから相当以前の話だが、王族の一人が軍を率いて対峙したことがある。アルノどころか小隊長の突撃で瓦解し、末端の兵にその首を討ち取られた弱者という記憶しかない。


「王族なんてただの人だよ、それも傅かれることに慣れきって堕落した、人族で最弱の存在と言っても良いかもな」

「なんだそれは。そんな弱者にお前は使われているのか」

 アルノが俄かに気色ばむ。

 ハルの口から実際に王族が弱者であると聞かされると、好敵手と認めている人間が貶められているようで気分が悪い。

 とん、とお猪口を置くと腰を上げ、

「よし、今から王都行って王族全員処してくる」

「ちょ、待て待て待て!シャレにならん」

「冗談で言っているつもりはないぞ。奴らの首を王都の城門に晒してやるから、そのあとで心置きなく戦おう」

「いや待てって!何でお前はそう脳筋なんだ……人族ってのはそういった象徴というか、精神的支柱がないと社会体制を維持できないんだよ」

「クソのような社会だな」

「しょうがねぇだろ、魔族ほど個々で力を持ってる訳じゃねぇんだから」

「ふむ。ではいつになったらお前は何のしがらみもなく私と戦えるんだ」

「おいその戦いってまさか一騎打ちじゃねぇだろうな」

「構わんぞ。一騎打ちでも軍団同士でも」

「構えよ。お前と一騎打ちなんて勝負にならんわ」

 壊れないサンドバッグになるだけじゃねぇか、とハルは心中でため息をついた。


 珍しく罵倒のない「夜に鳴く鶏亭」での一夜は、静かに更けて行く。

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