第8話 カレンの憂鬱

「お嬢様、お早うございます」


 魔王軍前線司令官であるアルノことアルノヴィーチェの朝は、メイドかつ眷属であるカレンの挨拶から始まる。


「うう……もう朝?」

「はい、お召し替えを」

「もうちょっと待って……あと五時間……」

「単位をお間違えですよ」

 人族の怪奇譚で吸血鬼に似た化物の話があると聞いたが、それによればその吸血鬼に似た妖怪は陽光が苦手な夜行性らしい。

 が、彼女の主はむろんそのような稚拙な童話に登場するような低レベルな魔族ではない。

 それでも何故か朝に弱いということだけは似ているようだ。


「ならあと五日……」

「減ってません」

 なので朝はなかなか目が覚めない。

 こんなことで軍事作戦中は大丈夫なのか、と心配したこともあったが血の気の多い主は戦争となると朝にも強くなる。

 ならば常在戦場の覚悟でいて欲しいものだ、とひっそりため息をつくも、まあある程度は弱点もあった方が女の子としては可愛げがあって良いだろう。返り血を浴びてわっるい顔して笑っているより、こうしてベッドでもぞもぞしている方が可愛らしいに決まっている。

 だが、


「あと五年……」

「お嬢様からすれば阿摩羅の時間かも知れませんが」

「あと五十年……」

「戦争が終わってしまいそうですね」

「戦争?!」

 この言葉でがば、と起きて舌舐めずりするのだからまったくもって魔族だ。


 魔族は人族と違って単一種ではなく、肌が褐色で敏捷性に優れるフルグ民、毛深く膂力のあるノッテ民、額から生える一本角の色形を優美さの基準とし魔力の強いロヒ民、魔族の割に器用なフルドラ民などがいる。人口こそ少ないがそれぞれの民族特性を活かし、魔王様に忠誠を誓って国を成立させている。

 そんな中で、民としてではなく個として民族扱いなのが吸血鬼であり、どの民とも言えない絶対的力を持つアルノヴィーチェを魔王がそう名付けたものだ。その特性は各種族の完全な上位互換であり、見た目は魔王や人族に近く膂力はノッテを圧倒し魔法はロヒを凌駕、フルグが捉えきれない速度で戦場を縦横無尽に駆け巡る。


 アルノは特徴的な白い肌、赤い目に加え、種族固有の性質を二つ持つ。


 まずは血を好むこと。触れるだけで吸収可能なので生き血を啜るという悪趣味なことはしないが、魔王様が観察したところ血液が含む生命活動に必要な要素を吸い取っているのであって、血そのものを吸っている訳ではないらしい。全力で吸えば吸われた相手は見た目は変わらないのに生命活動を維持できなくなり、まるで糸の切れた操り人形のように突然倒れてしまう。

 もう一つは実際に血を啜ることで自らの眷属を作ること。カレンはフルドラ民であるが、この特性によりアルノの眷属となった。これも魔王様によれば、最初の特性の反転作用のようなもので自らの生命情報を相手に流し込んでいるそうだ。

 つまり正確に言えば、血を啜るのではなく血を混ぜ合わせているということで、眷属は主である吸血鬼アルノヴィーチェと半分同化し、絶対の忠誠を尽くす。アルノの血を入れられることで劣化版吸血鬼のような存在となるため、カレンは器用なフルドラの特性で主の生活に貢献しつつ、民族を超えるアルノの絶対性に近い力を持つことになった。


 これには相性も関係あるようで、試した中で適合したのはカレンだけだったとのことだが、一体何人に試したのかは恐ろしくて聞いていない。

 例え同族であっても他者の命を何とも思わない主だから、相当数を壊したのだろう。それは、お試しとばかりに吸血しまくる主に魔王様が「お前……魔族は無限ではないんだぞ」と呆れ半分でやめさせたという逸話でわかる。


 ともあれ、アルノは魔王様に次ぐ力を持つ単一固有種であり、カレンの絶対的主であり、血の気の多い魔王軍司令官であり、司令官でありながら脳筋であり、ハルの永遠のライバルである。

 そう表現すると、

「ハルなんてライバルじゃないわ。次こそ首を切り落としてあげるんだから」

 と、どこからどう見ても魔族で言えば二桁年齢、人族で言えば十代前半の美少女が言うのだから、まったくもって吸血鬼というのは恐ろしい存在だ。

「ですがお嬢様、そう仰ってはや五十年、未だハル様との結着はついていないようですが」

「それは……あれよ、熟成するのを待ってるのよ。ちょうど良い時期ってのがあるんだから」

「ハル様はメレルか何かですか」

「それは違うわカレン。メレルは追熟するでしょ、私はハルを活かしたまま熟成させてるんだから、そうね……チィとかコリンかしら」

「なるほど。お嬢様はハル様を相当お気に召しているのですね」

「はあっ?!」

 うんうんと頷きながら言えば、アルノは紅茶のカップをはしたなくガチャン、と音を立ててソーサーにぶつけた。


「馬鹿言わないでよ。どうして私が」

「甘い果物がお好きじゃないですか。チィもコリンも、どちらもお嬢様の好物です」

「そんなことだけで判断できないでしょ」

「飲み交わした日は上機嫌ですし」

「そ……そんなこと、ない……と思う」

「なぜ自信なさげなのです」

 そう尋ねれば、むうと口を尖らせる。

 その先についたクッキーの欠片をそっと拭いながら、カレンは敢えて大きくため息をついてみせる。

「吸血鬼の真祖ともあろうお方が、何とも奥手でいらっしゃいますね」

「何よ、真祖と言っても私とカレンしかいないじゃない」

「たった二人でも吸血鬼の一族です。そもそもお嬢様が真祖とか言い出したのでは」

「う。まあ、それはそれとして」

「話の逸らし方がこれほど下手な人、初めて見ました」

「うるさいわね」


 カレンに眷属を作る特性はないが、アルノほど効率的でないにしても血液から生命要素を吸い取る吸血行為は出来るし、そもそも食事の補助として行っている。それを以てアルノがカレンを自らと同一民族と認め、民族の祖である真祖と言い出したのだ。

 たった一人の民ではあるが、孤独だったアルノにとってようやく出来た血族である、だからこそカレンには気安いしカレンもまた圧倒的存在である主相手にずけずけとした物言いもできるのだ。

 絶対の存在であるからこそ孤独であり、だからこそ仲間を求める。そんなどこか寂しがり屋な主を大切に思うからこそ、カレンはハルという存在に一抹の希望を見出していた。


 吸血鬼は単体種であるから、他に事例と呼べるものがなく寿命はわかっていない。だが恐らく、魔王様と同じレベルで不老不死ではないかと考えられている。そしてそれは真祖として、単一にして絶対種であるところのアルノだけの話であって眷属であるカレンには適用されない。

 つまり、カレンとて魔族の常としてそれ相応に長い寿命を持ってはいるが、最期まで付き合うことはできないのだ。

 かと言って魔王様以外の魔族で釣り合えるような相手もいない。その力も寿命も、だ。

 こんな性格で案外寂しがり屋の主を残して逝くのは、どうにも気がかりでならない。まだまだ先の話ではあるのだが、主とその長い生を共にしてくれる誰か、その相手を見つけてからでないと死ぬに死ねないと思っている。


 アルノから話を聞くだけで、カレンはハルに会ったことはない。

 けれども、ハルの話をする時の主の表情やハルとの飲みに出かける時の隠しきれていないうきうきっぷりを見れば、少なくともただの殺しあう相手ではないということはわかる。

 それが男女の恋愛感情であろうと喧嘩相手……それこそ彼らの場合は文字通り命がけの喧嘩ではあるが、どのような関係であろうと構わない。

 大事なのはハルもまたアルノと同じ特性を持っているということだ。

 アルノが生きてきたのはまだ二百年ほどだが、この先三百年、五百年、千年と周りが居なくなる中で生きていくのは辛すぎる。

 思い出話が出来る相手がいないのだ。たとえ喧嘩相手であっても、「あの時こうだった」と記憶を共有できる相手がいるのは主の慰めになるだろう。

 記録と記憶は違うのだから。


 そんな訳でカレンはハルに多いに期待しているのだが、

「この戦法でハルを殺せるかしら。ふふ、明日が楽しみね」

 どうにも殺伐とし過ぎている。

 何が不安って、何かの弾みで本当に殺してしまうのではないか、ということだ。

 ハルの指揮官能力と防御全振りの不死特性は主から散々聞かされているからやすやすと討ち取られるようなことはないだろうが、如何せんこの主のことだ。アルノ自身の不死が、ハルのような絶対防御によるものではなく単に老衰しないということであることを忘れ、攻撃全振りの間接的不死特性頼みで特攻をかまし相打ちよろしく殺されてしまわないかが不安で仕方ない。


「何とかハルの鼻を明かしてやりたいわね……ねぇカレン、あいつの驚愕の顔を見る方法は何かないかしら」


 子供か。

 いや、子供だった。

 比較対象がいないから何とも言えないが、恐らく吸血鬼で二百歳というのはまだ子供なのだろう。

 目の前の楽しみにしか興味を持っていない。

 具体的には、ハルに一泡ふかせることだ。


「ただ戦ってるだけじゃ、一進一退で埒があかないのよね。あいつが思ってもいないような戦いを仕掛けたいんだけど」

「はあ……あ、それでしたら」

 主の魔王軍内での立場や評価に影響させず、ハルとの攻防を楽しませる。アルノとハル、どちらも殺さないようにだ。

 とすれば、膂力や魔力といった力づくでの楽しみ方ではなく、お互いをもっと好敵手と認識し永遠に戦いを楽しみたいと思わせれば良い。

 が、脳筋な主にそれを考えさせるのは難しい。

 ならば自分がその手段を提供してやれば良いではないか。その後の二人の関係は、まあなるようになるだろう。


 と、ある意味無責任に未来を放り捨てると、カレンはアルノが広げた大陸地図の一点を指し示す。

「え?ここを攻めろってこと?」

「重要地点ですから陥とすことができれば、ハル様が動揺することは間違いないでしょう。もちろん普通なら不可能ですから狙うことすら考えませんが、お嬢様が精鋭を率いれば不可能ではないのでは」

「ふーむ……でも維持できなくない?」

「破壊するだけで人族に痛撃できるのですから、維持できなくとも良いのです。お嬢様はハル様を驚かせ、一本取ってやりたいだけでしょう?」

「うむむ、なんか私が単細胞みたいに聞こえて納得できないんだけど」

「気のせいです」

「ねぇ、カレンは本当に私の眷属よね?バカにしてるってことはないわよね?」

「気のせいです」

「どっちが?!何が気のせいなの?」


 先のことはともかく、今はまずこの愛らしく仕えるに値する主の無聊を慰めよう、そう思ってカレンは心中で軽く笑った。

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