第36話 最終決戦(4)

 審判の右腕が上がり、試合再開。


 桂木はキャッチャーのサインにうなずき、セットポジションに構える。


 ランナーを目で牽制するが動く気配は無い。ここは集中して打者勝負だ。


 桂木は前を向き、第一球を投げ込んだ。


「ボール」


 外角高めにストレートが外れる。


――肩は重いが、我慢すれば一人くらいは投げられるだろう。

――初球は手を出して欲しい釣り球だったが、打者に見送られた。四球狙いでツーストライクまでは甘い球しか手を出さないのだろう。


 桂木はサインにうなずき、二球目を投げ込む。


「ストライク」


 二球目は外角低めギリギリにストレートが決まる。一球ストライクが入った事で配球も楽になる。


「ボール」


 三球目。ここで追い込みたかったが、外のスライダーが僅かに外れボールとなる。


「ファール」


 四球目はやや甘めに入ったスライダーが一塁側へのファールになる。


 5球目。満塁なのでフルカウントにはしたくない。


 ここまで全て外角に配球した。桂木は渾身のストレートを目が慣れていない内角ギリギリに投げ込んだ。


「よし!」


 自分でも思わず声を上げるベストの投球だ。


「ボール」


 一瞬マウンドから降りかけた桂木の足が止まる。キャッチャーが抗議してくれているが判定は覆る事はない。


 球が良過ぎたのだ。余りに際どく伸びの有るストレートだったので、打者も手が出なかった。ボールの判定は紙一重のレベルだ。


 桂木はマウンドに戻り大きく深呼吸した。


――こんな時こそ冷静になれ。

 

――修羅場は何度も潜り抜けて来た。


――俺は出来る。この打者を打ち取れる。


 桂木は自分に言い聞かせた。


 マウンドで全身全霊を込めて投球する桂木を、祈るような気持ちで見つめている人がいた。


 野川美月だ。


 普段球場で観戦する事はないのだが、父のようすが気になり球場に足を運んでいたのだ。


 桂木が今マウンドに立っている事で、美月に野川を恨む気持ちは無い。野川も桂木も覚悟を持って投げていると美月にも分かっていたからだ。


――どうにか無事で投げ終えて欲しい。


 美月はそう祈った。


 桂木は最後の一球のサインが決まり、セットポジションになった。


 二回捕手のサインに首を振った後、決まった球種はフォークボールだった。


 ボールになる可能性の高いフォークは一点もやれない満塁の、しかもフルカウントから投げる球としてはリスクが高い。だが、だからこそ配球を読みにくい球種で決まれば三振率も高い。ギャンブルだが桂木はフォークを選択した。


 痛みをこらえて桂木が投げたボールが一直線に捕手のミット目指して伸びていく。


 タイミングを合わせてフルスイングしたバットが捕らえたかと思われた瞬間、ボールは急激に沈み捕手のミットに収まった。


「ストライク、バッターアウト!」


 審判の手が大きく上がる。


『三振! 三振です! 桂木がこのピンチを三振で切り抜けました!』


 実況席から片山の絶叫が聞こえた時、スタンドからも歓喜の大声援が響いた。


「ナイスピッチ!」


 藤王が追い越しざまに、ベンチに戻る桂木に声を掛け二人はグラブタッチした。


「桂木さん、ナイスピッチです」


 外野から追い付いた清田が桂木に声を掛ける。


「俺はやる事やったし、後は逆転頼むぞ」

「もちろんですわ。任してください」


 調子よく返事をした清田だが、ここまでデビットには全く手も足も出ない状態だった。


――次の攻撃は一番から。三番の俺が何とかしないと負けてしまう。


 清田の顔が緊張で強張った。


 桂木が打者を三振に切って取った瞬間、記者席にも一瞬安堵の空気が流れた。


「桂木投手はよく抑えましたが、この一点は重いですね」

「ほんまやな。まだヒットが二本にフォアボールが三つだけ。デビットが今まで投げた中でも一番の出来やからな」


 岸部が真希の言葉にうなずいた。


 安堵の空気が流れた室内も、一点入った事実を思い出し、また重い空気が流れた。


「とにかくランナーを一人でも出して藤王につなぐしかないやろうな……」


 岸部の言葉に真希も頷いた。


――九回裏のタイマーズの攻撃は一番から。もう一度藤王さんの打席が見たい。


 真希は記者としての気持ちだけではなく、藤王の努力を間近に見てきた者として願った。



 九回裏タイマーズの攻撃。


『いよいよ優勝が決まる最終回。ここを〇点で抑えてシャインズの優勝となるか、一点差を逆転してタイマーズの優勝となるか、最後の攻撃。マウンドはタイマーズの前に高い壁となって立ちはだかるデビットです』

『タイマーズは一人でも多くランナーを出して藤王に回したいですね』


 実況席にも最終回の緊張感が流れる。


 スタンドも最終回とあって、応援が熱を帯びる。


 クッチャクッチャとガムを噛みながらマウンドに立つデビット。その表情に疲れは見えず、余裕さえ感じられた。


 先頭打者が打席に入る。デビットはサインに首を振ることがなく、全てストレートで三球三振に討ち取った。


 三振に討ち取った球は、この試合一番の球速で今までは力を抜いていたのかと思わせる程だ。


 野川は内心焦っていた。


――手の打ちようがない。このままでは負けてチームは売却されてしまう。


 次の打者の橋本が打席に立つ。


 先程と同じように、粘りに粘ってフォアボールを選んで出塁する。自分にはそれしかないと橋本は考えていた。


 一球目、またストレートだ。


 橋本はそのストレートを見送って呆然とした。先程の打席とは段違いに伸びがある。


 確かに球数が百球程度で疲れはないのかも知れないが、最終回でこの球を投げられては打者としては辛い。これでは先程のように粘るのは至難の業だ。


 二球目、またもストレート。


 橋本もストレートのタイミングで待っていたがそれでも振り遅れた。


 橋本は短めに持ったバットをさらに短く持ち、当てる事だけを考えた。


 三球目、最後もストレート。


 バットがボールの下を通過し、三球三振に倒れた。屈辱と言う以外の何物でもなかった。


 橋本は絶望感を胸にベンチに引き上げる。


「気を付けろ、今までで一番速いぞ」


 橋本はバッターボックスに向う清田に、すれ違いざまにアドバイスする。だが、そう言いながらも、気を付けたからと言ってどうにかなるとは思えなかった。


『追い詰められましたタイマーズ、最後の打者になるのか三番清田! なんとか意地を見せて欲しい』


 片山の声も悲壮感が漂ってくる。それ程までに圧倒的なピッチングをされていた。


 スタンドは最後まで席を立つ人も無く、精一杯の声援を送っている。


 記者席ではもう試合終了にそなえて、それぞれが取材準備を始めている。


――お願い清田さん。何とか藤王さんにつないで。


 慌しい周りの目をはばからず、真希は両手を合わせて祈っていた。

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