第31話 決戦前
真希が出て行った後の監督室で、野川は松下から受け取った「辞職願」を破きバッグに入れた。野川は破いた「辞職願」の代わりに「松下へ」と書かれた手紙をバッグから取り出した。
「監督!」
その手紙を野川が机に置いた時、ノックもせずに清田が飛び込んできた。
「なんだ騒々しい」
「何で藤王さんが四番で俺が三番なんですか! 連勝を支えてきた俺より、四十試合以上まともに打席に立っていない藤王さんの方が上やと言うんですか!」
――今日の打順を聞いてやって来たのか。
――……面白い奴だ。
野川はフッと笑みを浮かべた。こういう性格が野川は嫌いではない。
「清田よ……お前は今年一年徹底的に体を鍛える必要があった。チームの事情とは言え一軍に上げたのは悪かった」
野川は清田に対して小さく頭を下げた。
「オフは徹底して走り込め。才能だけでは超えられない壁が必ず来る。お前がそれを乗り越えた時、チームも藤王もさらに輝き出す……」
「なっ、なにを……」
清田は野川の予想外の対応に、飛び込んで来た勢いをそがれてしまった。
「期待してるぞ」
野川は清田の肩をポンと叩くとドアへ向かった。
「いや……あのちょっと……」
止めようとする清田に構わず、野川は出て行ってしまった。
「くそ! そんな言葉でごまかされへんで」
清田は野川が出て行ったドアに向って悪態をついた。
「どないしたんや、嬉しそうな顔して。監督怒ってなかったんか?」
試合前の取材を終え、記者席に戻った岸部に言われて、真希は自分がにやけているのに気が付いた。
「そうなんですよ、ずっと平謝りしたら怒られませんでした」
真希は藤王との事は言えず、話を合わせた。
「そうか、ほっとしたわ。しかし、お前も運が良いな。一年目でこんな歴史的な試合を生で観られるなんて」
「そうですね」
――本当にそうだ。プロ野球担当になって一年目でこんな試合を取材出来るなんて。
――藤王さんもこんな重要な試合で真価を問われる四番だ。藤王さんならきっと活躍する。私も負けないように人々が感動するような記事を書かないと。
真希は一瞬たりとも目が離せないと気を引き締め直した。
巽は特別観覧席で試合前の練習を眺めていた。
こんな大事な試合なのにオーナーである黒木は来ていない。黒木の本心は球団を売却したくて堪らない。だから優勝する瞬間なんて見たくもないのだ。
――監督、頼む。今日も勝ってチームを守ってくれ、お願いや。
巽はグラウンドに向って手を合わせた。
『関西タイマーズ対東京シャインズの最終戦。勝った方が優勝と言う大一番を、超満員の大阪スタジアムから実況片山、解説はタイマーズOBの大元さんでお送りします』
最終戦の開始直前、大阪スタジアムは異様な熱気に包まれていた。試合開始前だと言うのに、両軍の応援団はすでにマックスのテンションで鳴り物の応援を続けている。それに影響されてか実況の片山も興奮気味だ。
『今日の試合前の段階で、両チームが同率で首位。今日の試合で勝った方が優勝です。大元さんは、今日の試合はどちらが有利とお考えですか?』
『タイマーズはここまで驚異的な追い込みで最下位から優勝を窺う位置まで上がって来ました。勢いはタイマーズの方があると思います。ただ、今日のシャインズの先発はデビットですからね。連勝中も唯一勝てなかった相手ですから、正直厳しい戦いになると思いますよ』
地元の放送でタイマーズ向けの解説を要求されているのだが、正直者の大元はヨイショも出来ずに正確な現状を解説した。
『そうですね、四十連勝と言う驚異的な記録を打ち立てたタイマーズですが、このデビット投手だけには勝てていませんからね。連勝中三度の対決で三度とも0対0の引き分けで一点も取れていません』
片山が大元の解説を数字で後押しする。実際全ての関係者も、今日のタイマーズが厳しい戦いになると予想していた。
『もう一つ、今日のスタメンについてお聞きします。野川監督は、スタメン出場が四十六試合ぶりの藤王をいきなり四番で起用してきました。しかも昨日は久しぶりの代打で起用したのに、打たせず送りバントさせた藤王を四番ですからね。どう言う考えなのでしょうか?』
『どうと聞かれても困りますね。野川監督のミラクル采配としか言えませんよ。ただ、そう言う意味で今日は藤王選手に注目したいですね』
大元は片山の質問に苦笑いで答えるしかなかった。普通に考えたら理解出来る選手起用ではないのだ。
『なるほど、今日の世紀の一戦は藤王選手の活躍に期待しましょう! 試合開始が待ち遠しいです』
球場全体が、世紀の試合を今や遅しと待ちうけていた。
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