第30話 野川の決断

「ここまで良くがんばってくれたな。タイマーズが今日優勝争い出来るのはお前のお陰だ。今日は登板させるつもりはないから、ベンチで仲間の頑張りを応援してくれ」


 桂木は球場に着いたとたんに監督室に呼び出され、野川からそう言われた。


「急にどうしたんですか? 俺は大丈夫ですよ、今日も投げられます」


 桂木は驚いて野川に食い下がる。


「ありがとう。お前はエースとして限界まで頑張ってくれた。だが、だからこそお前を潰したくはない。お前の個人トレーナーから電話が入ったんだ。これ以上投げたら投手生命に係わるってな」

「そうなんですか……」


――トレーナーが俺の体を心配して球団に連絡したのか。


 桂木は引くしかなく、監督室を後にした。



 真希は球場に着くと、岸部に指示され監督室に向った。


 コンコンとドアをノックすると、「どうぞ」と野川の声がした。


「失礼します」


 真希が監督室に入ると応接ソファに野川が座っていた。


「よく来てくれた。そこに座ってくれ」


 真希は促されて、野川の前に座った。


「昨日はありがとう。ギリギリだが、目が覚めたよ」


 真希は自分の考えが野川に通じた事を知り安心した。


「失礼なやりかたですみませんでした。ああするしか思いつかなかったので」


 真希がそう言うと、野川は問題ないと言うように、無言で首を振った。


「これを読んでくれ」


 野川は真希に一冊のノートを差し出した。


「これは……」


 野川が受け取るように、目で促す。


 真希が手に取り目を通したそのノートには、球団売却の件から明日のテレビが出来た経緯や使用過程、今までの連勝の裏話が野川の直筆で書かれていた。


「もし今日の試合に負けたらそれを記事にしてくれ」

「えっ?!」


 驚く真希に野川は続けた。


「だが二つだけ約束して欲しい。一つは球団が売却されないように反対キャンペーンを広げてもらいたい」

「反対キャンペーンですか……」

「俺がこんな馬鹿な事をしでかしたのも球団に売却の危機があったからだ。俺はどんなに馬鹿で卑怯者に書いて貰ってもいい。ただ、球団が売却されるのはなんとか阻止して貰いたいんだ」


――負けるかどうか分からないと言う事は、監督は明日のテレビを見ていないんだ。その上でもしもの時も球団を守りたいと考えているのか。


 真希は野川の球団を思う気持ちの強さに感動した。


「私にどれだけの事が出来るか分かりませんが、精一杯努力します」

「ありがとう。もう一つは選手とコーチ達の事だ。彼らは誰一人として明日のテレビの事を知っている人間はいない。自分達の力の限り正々堂々戦ったんだ。彼らは責めないで欲しい」


 その事は真希も十分分かっていた。記事にするとしても選手を責める事はないだろう。


「分かりました。約束します」

「最後に、勝った場合の事だ」


 勝った場合は、球団は売却されない、だから明日のテレビの事を公表する必要はないのだ。


「勝った場合は好きにしてくれ」

「えっ? と、言いますと……」

「記者に知ってしまった事を黙っていろとは言えない。二つの条件を守ってくれるなら記事にしても構わないって事だ。俺だけ悪者にしてくれれば良いから」


 真希は少し考えて「分かりました」とだけ返事をして監督室を後にした。


 今すぐにどうするかの判断は出来ない。試合結果が出てから考えようと保留にした。



 真希が監督室を出て岸部の下へ戻ろうと通路を歩いていると、試合前の練習を終えた藤王が歩いて来た。


「あっ」


 二人は顔を見合わせ同時に小さく声を上げた。


「来れたんや」

「ええ、監督から許しが出たんで……」


 照れがあって二人は会話が続かない。


「あっ、そうや、俺、今日はスタメンで四番なんや」

「えっ、本当ですか! おめでとうございます」


 真希は少し驚いた後、すぐに満面の笑みで喜んだ。


「ありがとう」


 短い一言だったが、真希には藤王の気持ちが十分に伝わった。


「私、見ています。藤王さんの打席を瞬きもしないくらいに」


 二人はしばらく見つめあった。


「じゃあ、行くわ」

「はい」


 真希はロッカールームに向かう藤王の後姿を見つめ続けた。

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