第29話 真希の想い

 藤王は黙ったままだったが、真希は何も言わずに見守り続けた。


「俺、どうすれば良かったんやろう……」


 しばらくして、ようやく藤王が重い口を開いた。


「俺にとっての野球は、監督が全てなんや。監督の後を追えば監督のようになれると信じてやって来た。でも、監督の指示に従ったら、四番にふさわしくないと言われ……なら俺はどうすればええんや……」

「藤王さん……」


 真希は落ち込む藤王に掛ける言葉が見つからなかった。


「俺は四番失格なんか……」

「それは違います!」


 真希は藤王の弱音を払い飛ばすようにきっぱりと言い切った。藤王は驚いたように真希を見つめる。


「私、小学生の頃に作った学級新聞が凄く楽しくて、『大人になったら、みんなに喜んで貰える記事を書きたい』ってマスコミに憧れていたんです」


 真希は突然自分の昔話などして引かれるかもと思いながらも、どうしても藤王に気持ちを伝えたいと話し続けた。


「就職活動でたくさんの出版社や新聞社を受けて、ようやく受かったのが、今のヨンケイスポーツでした」


 藤王は真希の話を真剣に聞いている。


「やっと受かった会社なのに、私はスポーツに興味を持てず、目標ややる気を見失っていました……」


 真希は藤王の目を見つめ淡々と話す。


「でもね、最近仕事が凄く楽しくなったんです。藤王さんの努力を見ていたい、みんなに伝えたいと思ったから」

「小野寺さん……」

「あなたは何一つ間違ってはいない。私は誰より藤王さんの事を知っています」


「あなた以上の努力をしている人はいない」


「あなた以上にチームやファンに愛されている人もいない」


「あなた以上の四番なんてこの世にいません」


 真希は真っ直ぐに目を見つめて、藤王の心に刻み付けるように、一言一言ゆっくりと心を込めて言った。


「今のままの自分を信じてください。私は今のままの藤王さんが……」


 真希は藤王の手を握った


「一生懸命な藤王さんが大好きです」


 二人は見つめ合い、どちらからともなくキスをした。


 

 翌日、ベッドの上で目を覚ました真希はとなりに居るはずの藤王が居ない事に気が付いた。


「あれ……藤王さん……」


 寝惚け眼で一人、ベッドの上に座っていると、昨晩の事が夢だったかのように思えてくる。


「いや、でも……」


 だが、真希の体には藤王の腕に抱かれた確かな感触が残っている。


 寝室を出てキッチンに行くと、テーブルの上に「ありがとう」と一言書置きが残っていた。


「藤王さん」


 真希は今日、自宅待機を命ぜられていた事を伝えていたので、藤王は起こさないように気を配って部屋を出て行ったのだ。そんな心遣いが藤王らしいと、真希は微笑んだ。


 その時、テーブルの上にあったスマホが鳴った。


 手に取ると、岸部からだった。


「監督がどうしてもお前を連れて来いって言ってはるんや。タクシー飛ばしてすぐに来い」


――どう言う事だろうか?


 事情が良く分からなかったが、とにかく真希はすぐに用意をして球場へと急いだ。



 まだ選手達の集合時間前の大阪スタジアム。いつも通り一番乗りを果たした藤王は、ユニフォームに着替えて室内練習場に向かっていた。寝不足ではあったが、心と体に残る真希のぬくもりで気力は充実している。


「藤王」


 通路で呼び止められ、藤王は振り返る。そこには、着いたばかりなのか私服姿の野川が立っていた。


「あ、おはようございます」


 こんな時間に来ることはない野川を目の前にして、藤王は少し驚いた。


「今日は四番スタメンでお前を使うから」


 野川がぼそりと、表情を変えずに言う。


「えっ? 俺が四番ですか?」

「なんだ、嫌なのか?」


 野川にそう聞かれた瞬間、藤王の胸に真希の顔が浮かんで来た。


「いえ、大丈夫です。俺、期待に応えてみせます」


 昨晩、真希に会うまでは返事に戸惑ったかもしれない。だが、今の藤王ははっきりとそう言った。自分を信じてくれる人の存在が、藤王を強くさせたのだ。


「良い顔してるな」


 野川は藤王の表情を見てニヤリと笑う。


「相手の先発はデビットだから、当然接戦になるだろう。四番の力が試される試合だ。頼んだぞ」

「はい!」


 自分勝手で都合が良い事は、野川も自覚している。


――この試合は普通に行けばチームは負けるだろう。勝つ為にはミラクルな力が必要だ。頼んだぞ、藤王。


 野川は自分の後継者と期待する藤王に、そのミラクルを託す決意をしたのだ。 

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