第23話 桂木が投げない日

 デイゲームで行われる、大阪スタジアムでの対名古屋スネークス戦。連日超満員のスタンドはごく一部を除き、タイマーズのファンで埋め尽くされていた。



「あれ、今日はもう上がりか?」


 試合前の練習が終わり、藤王がアンダーシャツを着替える為にロッカールームに入ると桂木が私服に着替えて出て行く所だった。


「そうなんですよ。監督が、今日は使わないから帰って休めって」


 桂木は少し拍子抜けしたように言った。


「そうか、良かったな。最近連投やったから心配してたんや。今日は俺らに任せてしっかり休めよ」


 藤王はそう言って笑ったが、桂木は知っている。今日も藤王はスタメンではなく、途中出場の保障もないベンチスタートな事を。


 だが桂木は別の事も知っている。藤王が毎日スタメンで出場出来るように、試合前から十分な準備をしている事を。試合中もいつでも出られるように常に準備をしている事を。


 チームが連勝を開始してからここまで一度も試合に出ていなくても、藤王は常に傍観者ではなく当事者であった。


「藤王さんにそう言ってもらえると安心だ。任せましたよ」

「ああ、任せろや」


 桂木は藤王にポンと背中を叩かれ、ロッカールームを後にした。


――先に帰る事に少し後ろめたさもあったが、藤王さんの言葉で吹っ切れた。今日はみんなに任せてゆっくり休もう。


 桂木は軽い足取りで寮に帰った。



 試合は接戦となっていた。


 両チーム共にチャンスは作れど決定打に欠き、二対三でリードを許した状態で、九回裏タイマーズ最後の攻撃となっている。


 明日からのシャインズとの二連戦を考えれば、絶対落とす事の出来ない試合でリードを許している。だが、野川に慌てた様子は全くない。ここまでの明日のテレビの実績が野川に安心感を与えているのだ。


 ツーアウトながらランナー二塁三塁。一打サヨナラのチャンスで打者は四番清田。


 最近は調子を落としているが、明日のテレビではこの場面で右中間を破るサヨナラタイムリーを放ち、久しぶりのヒーローとなる予定だ。


 野川はそれをベンチから腕を組んで眺めていれば良いだけだった。


 バッターボックスに向う清田は、ヒーローになるチャンスなのに緊張していた。


 いつもの清田ならこんな場面で緊張などせず、活躍のチャンスとばかりに興奮するのだが今日は様子が違った。まだ誰にも打ち明けていないが、昨日のフェンスに激突した時に左肩を痛めていたのだ。投げる右腕は大丈夫なので守備には影響は少ないが、バットスイングするとしびれるように痛む。ここまでの打席も思い切ったスイングは出来ないでいた。


――監督に怪我を報告して交代してもらうべきか……。


 清田はちらりとベンチを見て、そんな弱気な考えが頭を過ぎった。


――もし監督に報告したら代打は誰が出てくるか……。


 頭に浮かんだのは藤王の姿だった。


――藤王さんなら必ず打つ。


 清田には確信めいた思いがあった。だが、打つと確信すればこそ、代わって貰う訳には行かなかった。


 今日の試合の重要性は清田にも十分に分かっている。ここで凡退して負けてしまうと優勝への条件が厳しくなるのだ。


 自分に優勝しようと言った桂木の顔が浮かんできた。


――俺が打てば良い。ただそれだけの事だ。


 悩んだ結果、清田の出した答えは自分が打つ事だった。チームの勝利と自分のプライドを天秤に懸けて、結果プライドを選択したのだ。


 清田は一回のスイングに全てを賭ける為、慎重に好球を待った。


 ツーボールツーストライクとなった五球目。三振を取りに来たフォークボールが抜けて高めに入って来た。


――来た!


 力一杯振り抜いた清田のバットがボールを捉えてはじき返す。ボールは外野へと飛んで行き、前進守備をとっていたセンターの後方に飛ぶ。


 全ての視線が注がれる中、懸命に走るセンター。ボールはその頭上を越えて行くかに見えた。


 誰もがサヨナラ安打になったと思った瞬間、センターがダイブして地面スレスレで打球を捕った。


「アウト!」


 センターの捕球を確認した審判の右腕が高々と上がる。


 清田は一塁を回った所で呆然と立ち尽くしていた。


 インパクトの瞬間に左肩に激痛が走り、清田はスイングに力を乗せ切れなかったのだ。


――俺の所為や。重要な試合を落としてしまった。


 スネークスのナインがベンチに引き上げてもまだ、清田は立ち尽くしたままだった。


「ま、負けましたね……」


 記者席の真希が信じられないように呟いた。


 他の記者達も騒然としていて慌しく動き回っている。


「ぼけっとすんな。取材に行くぞ」

「あ、はい」


 岸部に促がされ真希は席を立つ。


 真希はタイマーズの敗戦が信じられなかった。


――なぜ、桂木投手をベンチから外して負けたのだろう? それがどうしても腑に落ちない。

――何をしても勝てない試合だったから休養させる為にベンチから外したのか?

――とにかく監督に会って話を聞きたい。


 真希はベンチに向った。


 野川もまた、目の前で起こった事が理解出来ずにベンチで立ちつくしていた。


――なぜだ……なぜ明日のテレビと違う結果になった……。


 何度も自分の中で問い掛け、途中の采配に間違いが無かったか思い巡らせていた。


「監督、大丈夫ですか?」


 野川の様子を心配した松下が声を掛けた。


「あ、ああ、大丈夫だ……」


――ここで考えていても仕方が無い、家に帰ってもう一度確認しよう。


 野川はようやく動き出した。


 その時、真希は野川に会おうと通路を急いでいた。


「監督!」


 通路の向こうに野川を見つけ、真希は大声で呼び止めた。


 突然の大声に野川は反射的に振り返る。


 真希が見たその顔には焦りや動揺が浮かび、明らかに非常事態な事が分かった。


 真希の姿を確認した野川は、何も言葉を発する事無くまた前を向くと監督室へと急いだ。


 真希もそれ以上は野川を追う事はしなかった。野川の様子から、今日の結果が明日のテレビの通りで無い事が理解出来たからだ。


――どうして、一体何が起こったの……。


「小野寺! ボーとしとらんと取材に回らんか!」


 呆然とする真希に、岸部の怒鳴り声が飛んだ。

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