第21話 影の努力

 デイゲームの試合前、大阪スタジアム内の関係者用の食堂で、桂木は食事を取っていた。


 今日から本拠地で名古屋スネークスとの二連戦。すでに野川からは今日の先発起用を告げられている。正直、疲れで余り食欲はないのだが、食べないと持たないので無理やり詰め込むように食べていた。


「試合前の腹ごしらえですか」


 気が付くと目の前の席に清田がコーヒー片手に立っていた。


「ああ、お前も食事か?」

「いや、俺は運動前には食べない方なんで」


 そう言うと清田は目の前の席に座った。桂木が気にせず食べ続けても、清田は様子を伺いながらも何も言わずコーヒーを飲んでいる。


「何だよ気味が悪いな。何か言いたい事があるなら言えよ」


 桂木に促され、清田は少し考えてから口を開いた。


「……一昨日、俺に対して、高卒ルーキーやし良くやってるって言うてた事、どう言う意味ですか?」

「どう言う意味って……」

「俺が高卒やから今の成績でも上出来で、もし藤王さんの立場やったら四番失格って事ですか?」


 桂木は食事の手を止め清田の顔を見た。冗談で言っているのでは無く、思い詰めた表情をしている。


――あの時、怒って出て行った理由はこれか。俺の不用意な一言が清田のプライドを傷付けたのか。


 これは誤解を解かないと、と桂木は思った。


「高卒だからって言うのは余計な一言だったな。言葉の綾だ、悪かったよ。俺はお前がちゃんと努力しているのを知っているから良くやっていると言いたかったんだ」

「俺が努力……」

「お前、プロになってから休んでいないだろ?」

「な、なんで……」


 桂木の意外な言葉に清田は驚いた。


「お前が休みに通っているジムな、俺の知り合いがやっている所なんだ」

「ええっ! そやったんですか……」


 清田は桂木の言葉に驚いた。


 清田は、努力と言うのは人の見えない所でする物だと考えている。だが、その美学と反し、努力を認めて貰いたいと言う欲求も心の隅には持っている。自分の努力を知る人がいて、それを認めて貰えた事は清田には新鮮な出来事だった。


 清田は小学生の時に藤王を超えると誓って以来、それまで以上に努力を重ねた。だが、清田の進んだ野球エリートの道は信頼関係とは程遠い、虐めや足の引っ張り合いなどが日常茶飯事の過酷な環境だった。自分が努力して実力を付ける事より、他人の邪魔をして自分より下にする。そう言う姑息な人間を黙らせるには飛び抜けた実力しかない。


 清田はさらに努力を続け、高校時代には誰もが認める四番打者になっていた。


 孤独ではあったが清田は満足だった。実力で誰もが認める四番となったのだ。プロでも同じように実力で認めさせれば良い。


 だが、実際には行き詰まってしまった。まだまだ清田には足りない物が多かったのだ。それは自分でも良く分かっている。誰も認めていないのに座らされる仮の四番の座。それが清田にとっては一番苦しかった。桂木が認めてくれた陰の努力。それは清田が今一番欲しかった言葉だったのかも知れない。


 清田は神妙な面持ちでうつむいていたかと思うと、突然立ち上がり頭を下げた。


「すんません! そうとは知らずに御礼も言わんと失礼な事して」


 桂木は清田の意外な一面を見て驚いた。


――なんだ、こいつ年相応に、結構素直で可愛い所も有るんじゃないか。


「いいよ、俺の言い方も悪かったんだし気にすんな。それよりたまには休めよ、疲れてる所為もあるだろ、調子が悪いのは」

「いや、それは……藤王さんが」

「藤王さん?」

「藤王さんが休まへんのに俺が休む訳にはいかへんのです」

「へーそうなんだ」


 桂木は、まだ十代のやんちゃそうな清田をまじまじと見詰めた。


――こいつ、このチームで誰を見習うべきかちゃんと分かっているんだ。


 桂木は清田の事を見直し、チームの将来に明るい物を感じて嬉しくなった。


「清田」

「はい?」

「ここまで来たら優勝するぞ。俺は後四試合全部投げるつもりだから、打つ方は任せたぞ。お前は四番なんだから」

「は、はい!」


 エースの桂木が自分の事を四番と言ってくれた。この言葉は清田にとって何より嬉しかった。


「任してください! やりますよ、俺。四番やから」


 清田の表情から深刻さが消え、本来の強気な一面が覗いていた。



 松下はベンチの前で試合前の練習を眺めながら、スタメン表を見て考え込んでいた。


――もう何試合目だろう、こうやって考えるのは。

――いつも疑問に思う度に、監督には監督の思惑があってのスタメンであり采配だと自分に言い聞かせ、ここまで何も言わずに来たが……。


「あ、あの……監督」


 松下は堪え切れずに、横で練習の指示を飛ばしている野川に恐る恐る声を掛けた。


「何だ?」

「い、いや……あの……」


 自分で声を掛けたのに、松下は要件を言う前に口ごもる。


 長い付き合いなので、野川には松下が何を言いたいのか分かっていた。


――松下は文句も言わず、本当に良くやってくれている。明日のテレビを使った采配で、選手達の不満が表に出るのを抑えているのは松下だ。

――俺はそれに甘え、何も気付かない振りをして采配を続けている。


「桂木は何球を目処に投げさせますか?」


 野川は、松下が自分に遠慮している事が手に取るように分かった。


――本当はなぜ先発させるのかと聞きたいのだろう。だが、俺に遠慮してこんな遠回しな聞き方をしいるんだ。


「流れ次第だな。いつでも行けるようにリリーフは用意させてくれ」

「分かりました」


 野川は今日も完投させるつもりだとは言えなかった。だが結果はそうなるのだが。

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