第20話 美月の決意

 清田はロッカールームを出た後も怒りが収まらなかった。


 自分の成績が四番として物足りないのは自覚しているし、非難されても仕方が無い。だが、藤王の方が良いと言われるのは我慢ならなかった。同時に出場していないのになぜ藤王の方が上だと言えるのかと。


 また、清田を肯定的に見ている者にも不満があった。みんな枕詞に「高卒ルーキーにしては」が付き、続いて良くやっているとなるからだ。正に桂木の言い方がその例え通りだった。


――高卒ルーキーを免罪符にする四番なんて、本物やない。俺がなりたい四番はそんなもんやないんや。


 四番と認められるには打つしかない。その焦りが益々重圧となって清田にのし掛かっていた。



 対戦チームが移動日となり、休日となった日。


 高級ホテルの一室で、美月はシャワーを浴び、バスタオルを体に巻いてバスルームから出てきた。


 部屋に入ると、ベッドで桂木が寝息を立てている。美月は起こさないように近づき桂木の顔を見つめた。


――疲れが顔に出ている。

――当たり前だ。タイマーズが連勝しだして以来、義人君は二日に一度は登板している計算になる。


 美月は申し訳ない気持ちになった。


 自分はなぜ桂木がこのような過酷な登板を続けているのか知っている。知っていながらも止められないのだ。


 今日は移動日の休日で、桂木はいつもと変わらず普通のデートを考えていたようだ。だが、美月はわざとホテルに直行するように頼んだ。その方が少しでも桂木を休ませる事が出来ると思ったからだ。


「あ、ごめん。ちょっと寝てしまった」


 桂木が目を覚ました。


「ううん。大丈夫」


 美月はバスタオルを外し、ベッドの桂木の隣に体を滑り込ませた。


「痛っ」


 桂木は美月の頭が自分の右肩に乗った時に、思わず声をあげてしまった。


「ごめん、大丈夫?」

「あ、大丈夫。ちょっと大袈裟に声が出ただけだから」


 桂木の話し方が誤魔化しているように感じた美月は、右肩にそっと触れてみた。


「すごく熱い」

「試合の後はいつもこうだから、大丈夫」


 自分に心配させまいと無理をしている。桂木の様子に美月はそう感じた。


 美月は桂木の頭を胸に優しく抱きしめた。


「ずっとこうしているから、今日はこのまま寝ててもいいよ」


 桂木はうっとりとした表情で目を閉じた。


「ありがとう。すごく気持ちが良いよ」


――今はこうして癒してあげる事しか出来ない。


 美月は自分の無力さが情けなかった。


――でもこれ以上は……。

――これ以上は絶対無理をさせたくない……。


 美月は桂木を強く抱きしめた。



「うーん……」


 明日のテレビで試合のチェックを終えた野川は、その結果を見て唸る。明日の試合も勝利はしたが、先発投手が桂木で、しかも完投してしまったからだ。


――今日の移動日を挟むとは言え、桂木は先発登板で三連投になる。しかも昨日一昨日は、それぞれ七回と九回完投まで投げている。明らかにオーバーワークだ。桂木の過登板は今回だけではない。明日のテレビを使い出してからずっと続いている。


 野川はため息を吐いて、明日のテレビの内容を書き込んだノートを見つめた。


――俺は取り返しの付かない事をしているのかもしれない。桂木の選手生命を俺の身勝手で縮めているのだ。

――桂木だけではない。藤王は一度も代打でさえ出場していない。逆に清田は疲れもあり、調子を落としているのに四番でフル出場。二人の成長を考えるとマイナスにしかなっていない。

――もし今年優勝出来たとしても、来年以降はさらにチーム力が低下する可能性がある。それが本当にタイマーズの為になるのか……。


 野川はノートを破り捨てたい衝動に駆られた。


――このノートを破り捨てて、明日は藤王を使い、桂木を休ませよう……。


 だが、野川はノートを破る事が出来なかった。


――駄目だ。チームを守る為には、明日のテレビを使うしかない。勝つ為には藤王を使わず、桂木を投げさせるしかないんだ……。


「ただいま」


 その時、玄関で美月の声がした。


――午後十時前か。門限など決めてはいないが、心配になる時間までにはちゃんと帰ってくる。本当に親孝行な娘だ。


「ただいま、お父さん。遅くなってごめん。ご飯食べた? 何か作ろうか」

「いや、大丈夫。ちゃんと食べた」


 美月はテーブルの上にあるノートに気づき手に取った。


「……」


 無言でノートを見ている美月の顔色が変わる。


――お父さんが書いたこのノートがテレビに映し出された結果なら、もう確定された明日なので変える事は出来ない。


 美月は怒りと驚きと悲しみの感情が合わさって、逆に無表情な顔でノートを見つめていた。


 野川は美月の表情を見て言いたい事があるのだろうと感じたが、聞く事が出来なかった。


――最近は美月も采配に関して止めるような事も言わなくなった。不満はあるのだろうが、仕方がないと諦めているのだろう。


「明日はデイゲームだしもう寝るよ」


 野川は居たたまれなくなり部屋に引き上げた。


 だが、早々と部屋に入った為に野川は見落としてしまった。美月の表情に確かな決心が浮かんでいた事を。

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