第19話 不協和音

「おいおい、俺に監督批判させる気?」


 真希の様子を見て、悪戯っ子のように笑いながら、わざと大きな声で桂木は言った。


「とんでもない! そんな気は全くないです!」

「冗談だよ」


 慌てる真希を見て楽しそうに桂木は笑った。


「俺は全然不満はないよ。当然疲れているし、コンディションも保ちにくい。でも信用されて投げられるなんて幸せだよ。優等生発言している訳じゃなくてね」

「そうなんですか!」


――これだけ酷使されても尚モチベーションを維持しているなんて凄い。やはり野川監督のカリスマ性が選手を奮い立たせるのだろうか。


 真紀は桂木の気持ちに感心した。


「俺よりも……」


 桂木は打ち込みをしている藤王を見た。


「藤王さんは辛いだろうな。調子が良く見えるので余計にね」


 真希も藤王を見た。


――藤王さんは辛いんだろうか……。

――二軍では好成績を残しているが、一軍では代打にも使って貰えない。不満はある筈だが、監督に対しては愚痴一つ聞いた事がない。私が信用されていないだけかもしれないが。


「藤王さん、選手の間では不満を言ったりするんですか?」

「いや、言わないね、不満も愚痴も。自分の事でチームの和を乱したりしない。むしろ、調子が悪い人に声を掛けたりしているくらいだ」


 桂木の視線の先には雑念など微塵も感じさせない、集中した打撃を続ける藤王がいる。


「そんな藤王さんが、みんな好きなんだよ。若手もベテランもね。今は連勝しているけど、チーはバラバラだ。早く藤王さんが四番に戻って欲しい。あの人が中心にいて勝つ事こそチームが一番盛り上がれるんだ」


 真希は藤王がチームメイトから信頼されていると知り嬉しかった。しかもエースの桂木が言ってくれたのだ。


「ありがとうございます」


 真希は思わず桂木にお辞儀して礼を言った。


「あれ? どうして君が、俺にお礼を言うのかな」

「あっ! いや、それは……」


 意地悪く笑う桂木に言われ、真希はハッと気が付き動揺して真っ赤になった。


「藤王さんは恋愛事(そういうこと)に鈍いから積極的に行かなきゃだめだよ」


 桂木は笑いながら、アップをする為に離れて行った。


――積極的にって言われてもどうすりゃ良いのよ、毎日試合か練習なのに。


 真希は桂木の背中に向って心の中で言い返した。



 十月に入り、リーグ戦も大詰めを迎えている。タイマーズの残り試合数も五試合となっていた。連勝も四十近くまで伸びタイマーズは、首位の東京シャインズと一ゲーム差の二位に付けている。直接対決が二試合残っており、今の勢いから考えると十分に逆転優勝が可能である。特にタイマーズは本拠地の試合を雨で流していて、残り試合は全てホームの大阪スタジアムという有利な条件だった。



 対ヨクルトスワンズ戦。大阪スタジアムは超満員で盛り上がっている。 


 奇跡の優勝まで後少し。野川の予告サヨナラホームラン以来遠ざかっている優勝に、ファンの期待も最高潮に達していた。



「あー、また内野ゴロか……」


 チャンスに凡打した清田を見て岸部がため息を吐いた。


「最近活躍してませんよね」


 連敗中のチームを救った救世主も最近はバットが湿りがち。最近十試合は、打率は二割を切ってホームランは無しと、デビュー時の勢いはなくなっていた。だが、その清田を野川監督は四番で使い続けている。藤王が二軍で絶好調なだけに交代させればと言う声も内々では有ったが、連勝と言う結果の前に表立っての批判は皆無だった。


――今の清田選手を出すぐらいなら、藤王さんの方が絶対に活躍するのに……。


 野川監督の意思ではなく、明日のテレビの采配だと分かっていても、真希は不満を感じている。だからと言って、明日のテレビの事を暴露する訳にも行かずジレンマを抱えていた。



――なんでや……。


 清田は焦っていた。


 自分が四番に座ってからチームは連勝を続け、救世主とまで言われている。だが、内心は穏やかではない。デビュー以来成績が下がる一方だったからだ。


「おお、これはこれは、スーパールーキーで四番の清田さん。今日も四タコご苦労様です」


 試合後のロッカールームで外野手の石見が清田に絡んできた。最近、毎試合のように見られる光景だ。


 石見は清田が使われ出すまでレフトのレギュラーだった。だが、連勝が始まって以来、代打以外の出番がない。明日のテレビの采配で藤王の次に出番が少なくなった選手だ。


 他の選手も石見の憂さ晴らしを良しとは考えていなかったが、普段の清田の言動が生意気だった為に、敢えて止めようともしなかった。


 清田は毎回石見を相手にせず、無視し続けた。いつもなら周りの目を気にしてこの程度で引き下がる石見だったが、今日はさらに絡み続ける。


「お前には四番は十年早い。藤王と代われ、目障りだ」

「何やと……」


 藤王の名前を出されては清田も黙って居られなかった。


 いつもの事と気にも留めていなかった周りの選手達も、清田が言い返した事でざわつき始める。


「四番が足を引っ張っているしわ寄せはどこに来ているか分かってんのか? 桂木を見てみろよ、今日も連投だ。お前が打てばもっと登板を減らせるんだよ」

「桂木さんの連投が俺の所為やと言うんか……」


 名前を出された桂木が、やれやれと言わんばかりの表情で二人に近付いて行った。


「石見さん、勘弁してやってくださいよ。清田は高卒ルーキーですし、十分に良くやっていますよ」


 折角仲裁に入ってくれた桂木の言葉だったが、清田には屈辱以外の何物でも無かった。


 清田は自分のバッグを掴むとロッカーを乱暴に閉め、挨拶もせずに出て行った。


「どんな躾されりゃあ、あんな人間になるんだ」


 石見が清田の出て行ったドアに向かい吐き捨てた。


 ロッカールーム内は白けたムードが流れ、とても優勝争いしているチームには見えない。


 野球にはセオリーがあり、この状況ではこの作戦しかないと言う場面も多い。だが野川のミラクル采配はそのセオリーが通じない。打つ場面でバントしたり逆もあったり、勝負する場面で敬遠したり。選手達は試合中、常に先の予測出来ない戦いの中で緊張し疲れ切っている。


 勝っても勝ってもチームに一体感が生まれず、小さな不満の火種は今や所々で顔を出し、ギスギスした空気が流れていた。

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