第16話 巽の苦悩

 DLAスタジアムでの横浜ベイストーンズ戦。九回裏のマウンドには桂木が立っていた。


 最後の打者がフライを打ち上げ、センターが捕球するのを見届けて、桂木は小さくガッツポーズする。


『センターフライ、ゲームセット! タイマーズ二十八連勝です』


 テレビの実況が試合終了を告げる。


 これで桂木は十六勝目でシャインズのデビットに次ぐ勝利数になった。特にチームが連勝を始めてから十勝目。驚異的なペースで勝利を稼いでいる。



 試合後のロッカールーム。


 アイシングをしていた為に遅れて入って来た桂木は、出入り口で帰ろうとする林と鉢合わせた。


「おお、我がチームのエース桂木君。今日も大活躍だね」

「あ、ありがとうございます」


 林は皮肉たっぷりの言い方で桂木に絡んで行く。桂木も林の意図が分かっているので刺激しないように気を使っている。


「このペースで登板すれば最多勝間違いなしだ。来期の年俸は跳ね上がるぞ。羨ましいねえ」

「いや、どうですかね……」

「あんたが桂木さんくらい優秀な投手やったら、監督も使ってるんやろうな」


 林がなおも桂木に絡んでいると、後ろから遠慮の無い関西弁が飛んで来る。


「清田ぁ……」


 林は振り返る前から関西弁の正体が分かっていた。


「良い度胸してるじゃねえか。俺に喧嘩売るなんて」

「喧嘩なんて売ってませんよ。俺は本当の事を言うただけですわ」


 林に胸倉を掴まれても清田は平然としている。


「おい、やめろ」


 近くに居た橋本が慌てて間に入る。


「今はみんなピリピリしてるんだ。余計な挑発はするな」


 橋本は林と距離を取らせようと、清田を後ろに押しながら叱った。


「林、お前も投手なら桂木の登板回数が異常なのは分かっているだろ。怪我のリスクを背負って投げる桂木に嫌味を言うな」

「……」


 振り返った橋本に説教されて、林は何も言い返せなかった。林も橋本の言う事が正論だと分かっているからだ。


「藤王を見ろよ。一番酷い扱いなのに文句も言わずに二軍の試合にまで出ているんだぞ」


 冷遇されても気持ちを切らさず努力し続ける藤王の名を待ちだして、橋本は林を諭した。


「すみません……」


 この場は橋本の仲裁で林が謝って収まったが、選手達の心には不満の火種は残っていた。



 マシダスタジアムでの広島サーモンズ戦。九回表タイマーズの攻撃。三対三の同点ながらワンアウト一、三塁のチャンスで打者は清田。


『あーショート真正面のゴロ。ダブルプレイか』


 実況の言葉通り、清田が打ったゴロはショートの真正面に飛び、絶好のダブルプレイコースとなった。


『あー! これは大暴投だ、ボールが外野を転がって行く!』


 ショートが二塁に送球した球が大きく逸れ、外野を転々と転がって行った。その間に三塁ランナーのみならず一塁ランナーまで生還し、タイマーズは二点を勝ち越した。


 二塁に進んだ清田は、ブスっとした表情で首をかしげている。


――なんでや……振り遅れた。センター前に弾き飛ばせられると思ったのに。


 清田は試合の結果より、自分の打撃に納得出来ずに不満だった。


『さすが清田。最近調子を落し気味ではありますが、ラッキーボーイは健在です』


 九回裏を〇点に押さえ、タイマーズの連勝は前人未到の三十二まで伸びた。順位も二位になり、首位のシャインズも視界に入っている。もう世間はすっかり秋になっているが、ペナントレースはタイマーズの活躍で俄然熱を帯びてきた。



「頼む、お願いや。わしの顔を立てると思ってなんとか受けてくれんか」


 試合後、遠征先にも関わらず、巽が監督室にたずねて来た。野川に単独インタビューを受けるように説得する為だ。野川は三十二連勝に到達した今日現在まで取材拒否を続けている。


「それは出来ねえな。特に一社だけなんて他の記者が怒っちまう」

「それは分かるけどな、オーナーからの命令なんや。どうもコネの関係があるみたいやねん」


 巽は今日の午後、オーナーである黒木大吾(くろきだいご)と面会した時の事を思い出していた。



 関西電鉄本社ビル。関西電鉄社長であり、タイマーズのオーナーでもある黒木(くろき)に、巽は社長室まで呼び出された。


 前社長が逝去して、若いやり手の現社長に代替わりして以来、巽はここに呼び出されるたびに緊張していた。


 大らかで度量が大きかった前社長と違い、黒木は数字ばかり追い駆けて人間の感情というものを理解しようとしない。年上である巽に対しても、経験など考慮せず横柄な態度で接してくる。


「巽です」


 巽はドアをノックして到着を告げる。


「どうぞ」


 部屋の中から不機嫌そうな返事が返って来る。巽は重い気持ちで中に入った。


 歴史を感じさせる先代からの社長室。質素で豪華さなど無いが、かつては巽にとっても思い入れの有る場所だった。


「何の御用ですか?」


 出迎える事もせず、正面奥にある大きなデスクに座ったままの黒木に、部屋に入ってすぐ巽が問い掛ける。


「そんな離れた場所じゃあ話もし辛いですよ」


 そう言われて、巽は無言でデスクの前まで進む。


「何の御用ですか?」

「最近のタイマーズはどうなっとるんですか?」


 黒木が苛立つように訊ねる。


「どうなっとると言いますと?」

「おかしいでしょ? あんなに連勝し続けるなんて。なんかインチキしてるんとちゃいますか? もしそんなんが世間にばれたら大事ですよ」

「インチキって、相手のある事ですよ。うちを勝たせる為に他のチームも協力してくれてるって言うんですか?」


 そう言われると何も言えず、黒木はチッと舌打ちする。


「まあ、ええわ。今日の用事はそんな事やないんです。野川監督はインタビューを拒否してるらしいですね」

「はあ、そうみたいですな」

「それを何とか、例外で独占インタビュー受けて貰えませんか?」

「ええっ、それは現場の事ですから……」


 巽は野川の性格を考え言葉を濁した。


「だいたい、人気商売がインタビュー拒否なんて駄目でしょ。ファンに失礼やないですか」


 ファンに失礼と言うなら、球団売却が一番そうやろうと言いたかったが、巽は堪えた。


「とりあえず監督に聞いてみます」

「そうか巽さん、よろしく頼みますわ」

「まあ、期待せんと待っててください」


 憮然とした表情でそう言うと巽は社長室を後にした。


――どこかの新聞社に接待でも受けたんやろ……。しかし断ると、もっと無理難題を押し付けてくるかも知れんからな……。


 巽は気分が重くなった。


――オーナーは球団を売りたくて仕方が無いんや……。まあ、赤字やし、そう思うのも仕方ないが……。

――でも、オーナーも大阪育ちで分かってるやろ。タイマーズがどれだけ地元で愛されているか……。

――数字だけやないんや……。地元の為にも、タイマーズを守らなあかんねん……。


 巽は重い気持ちを引きずりながら、本社を後にした。

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