第15話 応援してくれる人々

「マスターこんばんは!」

「おう、真希ちゃんいらっしゃい!」


 真希が選んだのは、自宅に近い中華料理店だった。十席のカウンターとその後ろに四人掛けのテーブル席が二つ、個人経営の小さな店だ。店内に居る数人の客の注文なのか、マスターは中華なべを振り一生懸命料理を作っていた。


「こんばんは」


 暖簾をくぐり、長身の藤王が少し頭を下げ気味に店に入る。


「あっ! 真希ちゃん、その人藤王ちゃうん?」

「そうですよ。約束通り美味しい物頼みますよ」


 藤王の大ファンであるマスターは、真希がスポーツ新聞の記者と知って連れてくるように頼んでいたのだ。


「マスター、鍋の料理焦げるで」


 カウンターの客が、驚いて手が止まったマスターに注意する。


「それどころやないで、藤王さんが来てるんやで!」

「おお、ほんまや!」


 周りの客も藤王に気が付きちょっとした騒ぎになった。



「藤王さんが野川さんに続く、二代目ミスタータイマーズと呼ばれる日が来るのが楽しみやで」


 カウンター一杯の料理を作り終わり、一息入れたマスターがビールを一杯あおりながら嬉しそうに言った。


「いや、俺は監督と比べられるほどの選手やないです」


 そう自嘲気味に話す藤王は、デビットの勝負以来弱気になっていた。


「そんな事ないって、あんたは野川さんの若い頃そっくりやで」

「マスターは野川監督の現役時代を知っているんですか?」

「当たり前やがな、真希ちゃん。もう四十年以上はファンやってるんやで」

「四十年以上! 長いですね」

「野川さんはな、本当にチャンスに強いバッターやった。ここぞと言う時には必ず結果を出してくれたんや。まあ、あかん時もあったけど、凡退したとしてもみんな仕方が無いと思えたんや。野川さんが駄目なら他に誰が出ても同じやってな」


 藤王はマスターの言葉を聞き、清田の言った四番の定義を思い出していた。


――やはり監督は誰から見ても間違いなく四番やったんや。


「それにあの人はタイマーズを愛してくれたんや。地元出身やないけど、ずっとタイマーズ一筋で、インタビューで言う事は常にチームの事やった」

「そんなにチーム一筋の人だったんですか」


 真希はマスターの言葉を意外に感じた。いつも無愛想な野川にそんな感情が有るとは思えず、もっと自己中心的な人物だと思っていたからだ。


「藤王さん、今はフリーエージェントとかあるけど、いつまでもタイマーズに残ってチームを支えてくれへんか。お願いや。俺はあんたに野川さんのような選手になって欲しいんや」


 マスターはそう言うと藤王に頭を下げた。


「いや、そんな、マスター頭を上げてください。俺はそんな事頼まれる資格なんてないんです。俺は監督みたいな四番になれる気が全くせえへんのです」

「藤王さん……」


 真希は藤王のネガティブな言い方が気になった。


「藤王さん、なんでそう思ってるか分からんけど、元気出してよ。人間良い時と悪い時はあるんやから。あの野川さんにもスランプはあったんやで」


 マスターが温かな眼差しで藤王を励ます。


「えっ? 監督にスランプが……」

「そうや、何か月も打てない時期があってな……」

「あっ、それ、俺も覚えてるわ。久しぶりにサヨナラヒット打った時のヒーローインタビューは感動したよな」


 店内に居た初老の男性客がマスターに同調する。


「そうそう、あの時、野川さんはこんな事言うてたんやで。『何カ月間打てない期間があって本当に苦しかった。でも、その間、多くのファンから励ましを頂いた。その声に支えられて頑張れたんだ』ってね。

 藤王さん、俺らファンはあの頃と変わって無いで。野川さんを応援するように、俺らはあんたを応援してるし、信じてる。あんたなら絶対に野川さんみたいね四番になれる!」


「ええ事言うで、マスター! 俺らも同じ気持ちや!」


 中年の男性客からも声が掛かる。それをきっかけに店内の客が次々と藤王を励まし、応援する。


「ありがとうございます! 俺、もっともっと頑張ります。皆さんの期待に応えられるように」

「大丈夫や、あんたなら絶対に出来るで」


 マスターは、立ち上がって頭を下げた藤王の手を取り、感激して涙さえ浮かべている。そんな二人の姿を真希は微笑ましく見ていた。


――以前の私なら、二人のやり取りを醒めた目で見て白けていただろう。でも、今は少しマスター達の気持ちが分かる。私も藤王さんを応援して、仕事に打ち込めるようになってきた。

――ここまで愛して応援する物がある事はきっと幸せなんだ。私も、もっと、もっと、マスターに負けないぐらい藤王さんを応援して、仕事に打ち込もう。


 その後も藤王と真希は賑やかに楽しく食事を頂いた。



「料金無料にして貰ったけどええんかな」

「良いと思いますよ。マスターはサイン貰って、ツーショットの写真撮って上機嫌でしたから」


 二人は店を出て真希のマンションに車で向っていた。


 真希は行きと比べて、藤王の表情が和やかになっていると感じた。行きとは違い楽しい雰囲気で会話が出来ている。


「あのマスター面白い人やな」

「そうですね。まさに大阪のおじさんって感じです。

 それに皆さん、すごく応援してくれましたね。藤王さんは絶対に野川監督みたいな四番になれるか……責任重大ですね」

「今日はあの店に連れて行ってくれてありがとう。実は最近自信を失ってたんや……」


 藤王はデビットと深夜に対戦した時の事を真希に話した。


「そんな事があったんですか……」

「ああ、全然相手にもならんレベルで、四番どころかレギュラーすら無理やと心が折れかけてたんや。でも、あの店で勇気を貰えた。自分を信じて頑張るわ」


 監督に近づく道はまだ見えない。でも、自分を信じて応援してくれる人達の為に諦めず頑張ろうと藤王は思った。


「そうですよ! それでこそ、藤王さんです! デビット選手がわざわざ藤王さんと対決の舞台を作ったのも、可能性を感じているからですよ」

「そうか、ほんま、そうやな」


 真希は藤王の言葉に元気が出てきたようで、嬉しかった。


「あ、ここです」


 真希のマンションに着き、藤王は車を止めた。


 真希は車が停まった後も降りようとせず、何か迷っているようだった。


「あの……」

「何?」

「ファンの皆さんだけじゃないですから……」


 藤王は真希が何を言いたいのか理解出来ないでいた。


「あの……私も応援していますから。藤王さんは絶対にチームを支える四番になれます。私はそう信じています」


 藤王は意外な告白に、一瞬言葉が出なかった。


「……あ、ありがとう……」

「今日はありがとうございました! それじゃあ」


 真希はドアを開けて逃げるように出て行った。


 出て行く直前に見えた真希の少し照れたような顔が、藤王の心に深く残った。



 真希はエントランスでエレベーターを待つ間、自分の顔が赤く火照っている事を感じた。


――絶対、変に思われたよ。


 真希は告白をした女子高生のように居ても立ってもいられない気持ちになっている。もう自分でも藤王を異性として意識している事に気が付いていた。

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