第12話 誇り高き男、デビット

 大阪スタジアムでの名古屋スネークス戦。


 五回表、二対一でタイマーズがリード、ツーアウト一塁。先発投手にとって後一人で、勝利投手の権利が得られる大事な場面だ。


 特にピンチと言う訳ではないこの場面で異変が起こる。


「あ、監督……」


 松下が止める間も無く、野川はベンチから飛び出してマウンドに向った。


「あれ? 監督がマウンドに行きますよ」

「ほんまや。なんでこんな場面で……」


 記者席の真希と岸部は、驚いてグラウンドの様子を見つめていた。


 マウンドに着いた野川は、先発投手の林(はやし)に一言二言何か話しかける。余程我慢出来ない事を言われたのか、林の顔が興奮して見る見る赤くなる。野川は林に構わず、マウンドを降りると審判に選手交代を告げベンチに引き上げてしまった。


「またミラクル采配ってやつですか」

「おお、また桂木やで。今日はリリーフか」


 真希と岸部は連勝を始めた当初よりは驚いてはいない。他の記者も同様な反応をしている。


 タイマーズは連勝し続けているが、その主な要因は野川の采配だ。そのセオリーを無視した采配を、世間ではミラクル采配と呼んで持て囃している。ただ、ミラクル采配が始まってから、元々口数が少ない野川が尚更選手達と話さなくなった。その事で選手内では不満を持つ者も多くいた。


 桂木がリリーフカーから降り、マウンドに歩み寄ると明らかに不満そうな林が出迎え、ボールを手渡しながら言った。


「これでまた最多賞に近づいたな」

「え? いや……」


 桂木の弁解も聞かずに、林はすたすたとベンチに引き上げてしまった。


 林はベンチに戻ると野川とは目を合わさず、グラブをベンチシートに投げ付け奥の通路に消えて行った。


 慌てた松下が追いかける。林のフォローに行ったのだ。


 ――すまん、松下……。


 野川は心の中で松下に詫びた。


 野川が選手達と会話しないのには訳があった。


 明日のテレビによる非常識な采配はこれからも続くのだ。非常識な采配を理解して貰うには、野川自身が非常識でなければならない。出来るだけ思いつきで采配を振るっているように、オカルト的な幸運が続いているように、そう見せる為に野川自身も理論的であってはならないのだ。


 チームを守る為に野川も苦心していた。



 その後もタイマーズの快進撃は続き、連勝はプロ野球記録を更新する二十試合に達した。


 野川監督の「ミラクル采配」は、流行語大賞確実と噂される程世間の話題となっている。スポーツニュースだけでなくワイドショーでも取り上げられ、監督がノーコメントを貫いているのを良い事に、「監督は魂を売り悪魔と契約した」など都市伝説まで出てくるようになった。



 関東ドームでの東京シャインズ戦。


 グランドでタイマーズの選手が試合前の練習をしている。ベンチ前で選手の動きをチェックしている野川と松下にシャインズの選手が一人近付いて来た。大柄なその選手はシャインズのエース、デビットだった。


「何の用だ。お前今日の先発だろ? 試合前に相手チームの所に来ていて良いのか」


 デビットに気が付いた松下が声を掛ける。


「オー、松下さん、私は監督さんに話があって来ましタ。問題ないネ」


 デビットは悪びれずにそう言った。


「お前が問題なくてもこっちは大有りなんだよ」

「松下さんの意見は聞いてなイ。監督さんはどうデスカ?」


 デビットは松下など相手にしないと言ったように見下して笑う。


「良いじゃねえか、松下。なんだ? 聞いてやるよ」


 野川はデビットの方を見ず、視線は選手達の練習を追っていた。


 野川がデビットの話を聞く気になったのには訳が有る。今日の試合、タイマーズは引き分けるのだ。明日のテレビを使い出してから初めての勝てない試合だ。得点は〇対〇、守りは投手継投とミラクル采配でなんとか〇点で抑えたが、打つ方はデビットに手も足も出ずに押さえ込まれるのだ。


 結果を知って野川はショックを受けた。采配を駆使しても一点すら取れないと言う事実に。


 野川はデビットと話す事で何か切っ掛けを掴みたかったのだ。


「監督さん、なぜ藤王を使わないのデスカ?」

「何?」


 意外な質問に驚き、野川は視線をデビットに向けた。


「私、野川監督を尊敬していル。あなたは十二球団一の監督ダ。その野川監督なら分かっている筈ネ。藤王以外に私を打てる打者が居ない事ヲ」


 先程までの薄ら笑いではなく、デビットは真剣な表情をしている。冗談を言っている顔では無かった。


「藤王と初めて対戦した時の事を忘れはしナイ。奴は大きい、大きいオーラをまとっていタ。いつか必ず大リーグでも稼げる打者になる、使わないのは駄目ダ」


 デビットは誇り高き男だ。ただ勝利すれば良いとは考えず、最高の状態の相手を倒してこそ価値があると考えていた。


「お前は勘違いしてるぜ、デビット。俺はいつでもチームの勝利を一番に考えている。藤王を使わないのは勝てないからだ。それ以外何もねえよ」


 野川は表情をさとられないように、選手達に視線を戻して言った。


――デビットの考えは理解出来る。だが明日のテレビで藤王が起用されないと言う事は、使うとチームにとって良くないからだ。藤王のエラーで負けてしまうとか、誰かに怪我をさせるとか。だからどんなに使いたくても起用するべきではないのだ。


「オー、それは残念デス。なら私から監督に一つだけ言っておきマス。今日の試合、私は一点もタイマーズに与える事はないでショウ」


 そう言い残してデビットは野川達から離れて行った。


「なんだ、あいつ」


 不満顔の松下が、離れて行くデビットの背中に呟いた。


 野川はデビットの予言が実行される事を分かっていたが、チームの為に明日のテレビを信じるんだと自分に言い聞かせた。



 九回表の攻撃、現在〇対〇の同点、明日のテレビ通りに試合は進んでいる。

ワンアウトランナー三塁で八番の打順。もし、この打者が凡退すれば次はピッチャーの打順で当然代打の場面だ。


 グランドを見つめる野川はこの打者の結果を知っている。平凡なセカンドフライでアウトになりツーアウトランナー三塁、点が入らずチャンスが継続する場面だ。


 松下がチラチラと横目で野川を伺っている。次の代打を誰にするのか指示を待っているのだ。


 松下は藤王を使うべきだと考えていた。野川もその松下の考えを分かっている。最近、二軍で藤王が活躍している事は野川の耳にも入っているからだ。


――この試合、結果は〇対〇で引き分ける。当然次の代打は凡退して点が入らない。なら松下の要求通り、藤王を代打に送っても問題がない筈だ。誰を代打に出しても結果は変わらないのだから。


 野川は明日のテレビの采配を優先すべきか悩んでいた。



 藤王はベンチ裏で素振りをしながら出番に備えている。


 モニターで八番打者がセカンドフライを打ち上げた。次は代打の場面だ。


「おい川端、出番だ」


 横で同じく素振りをしていた川端が代打に呼ばれた。藤王に出番は訪れなかった。


――俺は四番どころか代打としても必要とされていない。


 藤王は自分の存在意義まで見失いそうになった。



 野川は結局、明日のテレビの通り采配した。


――もし藤王を代打に送り勝利したとしても、それではテレビの結果が否定されたことになる。そうなると今後の試合はどうなるんだ? もうテレビを使った采配は出来ないかも知れん。それだけは絶対に出来ない。どんな場面でも勝手に藤王を使う訳にはいかないんだ。

――俺は監督失格だ。選手の事よりもチームの存続を優先させてしまっている。

――よそう、今は悩むな。勝つ為に藤王は使えない。それだけの話なんだ。


 野川はもう何度目かの葛藤を胸に仕舞い込んだ。

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