第9話 真希の提案
練習後、インタビューを引き受けてくれた藤王は、スポンサーメーカー製のジャージ姿で、ミーティング室で待つ真希の前に現れた。
藤王の姿は野暮ったく、お洒落に気を使っている様子はまるでない。一言で印象を言うなら『野球オタク』だと真希は思った。
「練習お疲れ様でした。突然お願いしたのに、快く引き受けて頂いてありがとうございます」
「いや……俺なんかで良ければいつでも大丈夫です」
真希が笑顔で礼を言うと、藤王は恐縮したように、大きな体を小さくして自分も頭を下げた。
今日の藤王は真希が驚く程謙虚だった。先日室内練習場で無視されたのは気が付かなかっただけなのかと真希は思った。
藤王はエリート街道を歩んで来た選手ではない。高校時代は無名で育成選手入団。二十歳の年に選手登録され、二年前からレギュラーに定着し、八年目、二十五歳の今年から四番を任された。
――無名からチームの四番にまで成長するのは並大抵の努力ではなかっただろう。他の事には目もくれず、謙虚に、地道に、野球漬けの毎日を送って来たんだろうな。
真希はそう藤王のプロ生活を想像した。
「打撃練習では快音を響かせていましたね。調子は良さそうですか?」
「いや、練習の球と試合の活きた球とは違いますから……調子が良ければ試合に出てるやろうし」
「そうなんですか。こうやって休みの日まで練習して調子を上げているのですね……」
スタメン落ちしている所為か、藤王の表情が暗いように真希は思えた。
「藤王さんは育成選手からレギュラーを勝ち取り、今年から四番打者を任されるまでに成長しましたが、ここまでのプロ生活を振り返って、ご自分をどう評価されますか?」
「うーん……四番を任されたという実感は自分にはないです。数字も出てないですから。レギュラーも同じです。実際今は控えですし」
「そうですか……」
――困ったな、結構ネガティブな考え方するタイプなのね……。
――自分の出番が無くなった途端に、チームが連勝し始めた悔しさとか聞きたかったけど、難しいかな……。でも、ここは聞いておかないと……。
「チームは九連勝中と好調ですが、その間はベンチから見ていてどう感じましたか?」
「……そうですね……」
藤王はそう言うと考え込んでしまう。とりあえず気分を悪くしたような感じは無かったので、真希はホッとした。
「ずっと最下位でチームの調子が悪かったので、本当に良かったと思います。まだまだ試合は残っているので、上位に上がれるように頑張るだけです」
藤王は自分の気持ちは話さず、チームの事を無難な言葉で話すのみだった。
――本心を聞きたかったけど、これ以上は無理かな……。違う目線の記事にしてみるか……。
真希は藤王に気分よく話して貰えるように、野球の以外の事を質問しようと考えた。
「ちょっと野球とは離れますが、藤王さんは休みの日はどのように過ごされているのですか? 何か気分転換にする事とかは?」
「えっ……休みですか」
質問を意外に感じたのか、藤王は少し驚いたような顔をした後に考え込んだ。
「休みの日も毎日練習しているし、空いた時間は寝る位しか……」
「そうなんですか? 趣味とかは?」
真希が少し呆れたように質問するが、藤王は困ったように笑うだけだった。
――見た目の印象通り、この人は野球馬鹿なんだ。趣味が野球ってやつなのね……。
正直あまり野球に興味が無い真希は、どうしてそこまで夢中になれるのか知りたくなった。
「本当に野球が好きなんですね。そこまで野球漬けの日々を送って苦しく感じたりはしないんですか?」
「……監督に……」
藤王は少し考えて口を開いた。
「野球が好きというより、俺は監督のような選手になりたいんです! その為やったら、いくら努力しても苦しいとは思わへん。いや、自分で努力していると感じる事も無いんです」
そう言う藤王の目には強い信念が感じられた。
「監督のような選手ですか……」
真希は現役時代の野川の事を良く知らない。野川を崇拝し、近くで仕事が出来る事を喜びにする上司や同僚を、真希は理解出来ずにいた。だが、憧れの存在を目指して、一途に努力している藤王を見て羨ましくなった。自分もあれ位目標を持って仕事に打ち込めたらと。
「野川監督は藤王さんにとって、どんな存在なんですか?」
「……」
真希は一途に打ち込める秘訣を知りたくて質問したが、藤王は考え込んで黙ってしまった。
「言葉では言えません」
しばらくして藤王はぼそりと口を開いた。
「目標と呼べる程手の届く存在でもないし、神様みたいな曖昧な存在でもない。監督のようになりたいと思って打ち方も真似したり、毎日毎日バットを振り続けてきたり……」
藤王は思いが弾けたように話し続けた。
「でも分からへんのです。どうしたら監督のようになれるのか。もし、監督と同じ成績を上げたとしても、俺にあの存在感が出せるとは思われへん……」
そう言って藤王は暗い表情で黙ってしまった。
――藤王さんの想いは本当に真剣なんだ。真剣だからこそ、悩むし苦しいんだろうな……。
「大丈夫ですよ」
「え?」
藤王は真希の言葉に驚いた。
「藤王さんはきっとなれます。野川監督のような選手に。だって監督も、藤王はこの先十年チームを背負う選手だって言っていましたから」
「ほんまですか……」
真希は藤王を応援したくなっていた。この人が四番として成長する姿を追い掛けて、自分も記者として成長したい。そう思えた。
「でも、俺が試合に出なくなってからチームが勝ちだしたからな……」
「それは……」
――確かにその事を考えると分が悪い。野川監督も藤王さんを使い辛いだろう。レギュラーに復帰する為には、何かアピールの仕方を考えないと……。
「そうだ! 二軍の試合ですよ。一軍登録されていても二軍の試合には出られるでしょ? 直訴して可能な試合に出場し、結果を残してアピールしましょうよ」
「二軍の試合か……」
「二軍でも良い結果を残せば使わない訳にはいかなくなりますよ。藤王さんならきっと出来ます!」
真希はもう自分のアイデアが必ず成功するかのように、藤王の手を握り喜んだ。ただ能天気にアイデアが出た事を喜んでいるのでは無く、真希には勝算もあった。
――結果を残しても使わないのなら、私が紙面でアピールすれば良い。そして今日の打撃なら必ず結果を出せる筈。
真希は藤王の二軍の試合を見るのが楽しみになってきた。
「そうやな。ありがとう、やってみるよ」
真希の顔を見ていると藤王もなんだか成功しそうな気になって来る。出番が無く焦り始めていた気持ちが軽くなった気がした。
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