第8話 あり得ない結果
ベンチの野川は球場内の動揺を無表情で受け止めている。
――ここでの敬遠を不思議がるのは当然だ。俺でさえ有り得ないと思うくらいだからな。だが、だからこそ良いんだ。この不可解な敬遠は未来を知る事によって生まれた采配だ。もしそのまま勝負していたら、大量失点していただろう。
野川は腕組みして、無言のままグラウンドを見詰めた。
球場内の困惑した空気が収まっていない中、次の打者が打席に入った。
マウンド上の桂木もまだ気持ちの切り替えが出来ず、どこか浮ついた気持ちで次の打者に第一球を投げ込んだ。
ボールが指を離れた瞬間、桂木は「あっ!」と小さく声を上げた。明らかな失投と感じたからだ。
真っ直ぐど真ん中に伸びていく失投を打者が捉える。
カーンと乾いた音を立てて、打者がはじき返した打球は鋭いライナーでサードを強襲した。
余りの打球の勢いに、三塁手はグラブを差し出すのがやっとだったが、奇跡的にボールがスッポリと収まる。
三塁手はすぐにランナーが飛出していたサードベースを踏み、同じくランナーが飛出していた一塁にボールを投げた。
結果一塁ランナーも戻れず、トリプルプレイが完成した。
球場全体が事態を把握出来ず、一瞬静まり返る。
『ト……トリプルプレイであっと言う間にチェンジです……結局ノーアウト満塁のピンチを一点で切り抜けました』
片山の呆然とした実況の後、守備に就いていたタイマーズの選手が引き上げ出して、ようやくスタンドが歓喜に沸いた。
狐につままれたような不思議な気持ちの桂木は、ベンチに戻る途中にスコアボードを振り返る。一点だけの表示を確認して、とにかく最小限で切り抜けられた事に安堵した。
ベンチで松下は野川の表情を伺ったが特に興奮や驚きは見られなかった。
――まさかこうなる事が分かっていたのか。いやいや、そんな馬鹿な事が有る訳ない。
そう思いながらも、一連の常識外れのプレイは野川が作り出したかのような気がした。
次の回から桂木も立ち直り、試合は五回裏まで進み、〇対一でタイマーズがリードされている展開。
ここでタイマーズにチャンスが巡ってくる。ツーアウト三塁、ヒットが出れば同点の場面だ。だが、ここで打者は八番キャッチャーの上田。上田は足も遅く小細工が使えない上に守備を買われての起用なので、打力はあまり期待できない。
タイマーズとしては上田が打つ以外何も出来ない場面だが、ここで野川が動く。ベンチの最前列で立ち上がりサインを送った。
プレイが始まり、その初球、上田はセーフティバントを三塁前に転がす。三塁手が打球を処理するが、想定外のバントに慌てたのか、一塁へ投げた球はとんでもない暴投になった。
『あー! ツーアウトからのセーフティバントに慌てたか、一塁へ悪送球! タイマーズが同点に追い付きました』
タイマーズは野川が出した、セオリー無視の采配で同点に追い付いた。
回は進んで八回裏。投手戦でスコアは一対一と変わらず。ノーアウトランナー無しの場面で、この日も四番の清田が左打席に入る。今日の試合はここまでノーヒットだが、常にフルスイングで相手投手に脅威を与えていた。
その初球、清田のフルスイングがボールを捉える。
打球は鋭いライナー性の軌道で、そのままライトスタンドに飛び込んだ。
『打ったー! 清田が二試合連続のホームラン! タイマーズ勝ち越しです』
片山の実況に合わせてスタンドも歓声に沸く。
清田は一塁に向う途中、右腕を大きく上げてベンチを見た。その視線の先にあるのは藤王の姿だった。
――見たか、これが俺の実力や。
清田はベンチの藤王に自分の力を誇示した。
ベースを回る清田の姿を見て、野川は満足そうに頷く。
――今日もテレビの通りだ。これで本当に優勝を狙える。チームを守る事が出来る。
ベンチで腕組みする野川は、明日のテレビの通りに進む試合に希望を感じていた。
その後、九回表も予定通り桂木が抑え、タイマーズは連勝した。
次の日もベイストーンズとの試合。野川の采配が冴え、ヒットエンドランや送りバントがことごとく成功し、タイマーズは十二対三で大勝した。
勢いに乗ったタイマーズは、野川の神懸かり的な采配を味方に付け、続く広島サーモンズ、名古屋スネークスの六連戦を全勝し、計九連勝と快進撃を続けた。
九連勝の間、藤王は一度も試合に出る事は無く、逆に四番となった清田は四本塁打を含む十五打点の大活躍だった。地元のスポーツ新聞は、ニューヒーローの登場を野川の神懸かり的な采配と同時に、連日大きな扱いで報じた。
「えっ、今日は練習休みなんですか?」
移動日の大阪スタジアムに取材に訪れた真希は、球団職員から今日の練習は全員休みになったと聞かされた。
「監督の一存で急に決まったんですよ。新聞社にも連絡したんですが、聞いていませんか?」
恐らく会社を出たのと練習中止の連絡が入れ違いになったのだろう。タイミングが悪い事にスマホのバッテリーが切れていて、真希は会社と連絡が取れない状況だった。
――どうしよう……会社に連絡して、岸部さんの指示を仰がないと……怒られるだろうな……。
完全に自分の凡ミスなので誰にも文句を言えず、暗い気持ちになったその時、真希の耳にかすかな打球音が聞こえた。
「あ、誰か練習している人がいるんですか?」
――もしかしたら、誰か出ている選手が居るのかな? なら、取材させて貰って、少しでも仕事が出来たら、岸部さんにも話がし易いな。
「ああ、藤王選手は来ていますね。殆ど毎日なので言い忘れていました」
――えっ、藤王選手か……。
真希は先日室内練習場で無視された事を思い出した。正直わだかまりはあるが、贅沢を言ってられる状況ではない。
――でも、連勝中のチームから蚊帳の外になっている藤王選手なら、その心境とか読者の喜ぶ話が聞けるかも知れない。むしろここは藤王選手でラッキーなのかも。
真希はそう自分を納得させた。
「あの、藤王選手にインタビューをお願い出来ますか?」
「そうですね……本人が了解すれば。あなたも無駄足で帰れないでしょうし」
球団職員の計らいで、真希は室内練習場に通された。中では藤王が打撃練習中だった。
心地よい音を響かせ、藤王はマシンから飛び出してくるボールを打ち返す。室内なので広さが無く、打球の行方は分からないが、真紀の目から見ても遠くへ飛んでいるように思える。
――これだけの打撃をしていてどうしてスランプだったんだろう。
他の事に気を取られる事も無く、一心不乱に打球を打ち返す藤王。その姿は声を掛けるのを憚られる程の迫力があった。
――野川監督も人一倍練習熱心だったと聞いた事がある。監督は藤王選手に自分の現役時代を重ねているんだろうか。
真希は野川監督が惚れ込んでいた事が分かる気がして、しばらくの間藤王の姿に見惚れていた。
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