第7話 ミラクル采配
「岸部さん、大変です!」
連敗がストップした翌日の試合前。昨日と同じように、真希が記者室に飛び込んで来た。
「なんや、毎日々々」
「先発が桂木投手なんです!」
「なんやて!」
岸部は驚いてスタメン表を真希の手から掴み取った。
「桂木は中一日やぞ、ホンマ何考えてるんやろ野川さんは……」
椅子に座りスタメン表を見て困惑する岸部の横に真希は座った。
「監督のコメントは取れたか?」
「いえ、取材を受け付けてくれませんでした。でも、試合後のインタビューで聞いてみます」
「やはりそうか、今無理やったら試合後も無理や。球団から連絡があって監督は当分取材を受けへんそうや」
「えっ? そんな……」
真希は咄嗟に昨日の事を思い出し不安になった。
「もしかして、昨日私が監督を怒らせたからですか?」
「いや、俺もそう思ったけど違うみたいや。他社も同じ扱いらしい」
「そうなんですか。じゃあ何故……」
「さあな、昨日の清田と言い今日の桂木と言い、今までの監督からは考えられへんよ」
岸部が言うように誰の目にも野川らしからぬ選手起用に映り、その意図を理解出来る者はいなかった。
試合開始直前のグランドで、守備に就いたタイマーズナインに藤王がベンチから檄を飛ばしている。今日もスタメンから外れていたが、出場している時と同じようにモチベーションを高めていた。
松下はそんな藤王を見て安心した。突然四番を外されても気持ちは切らしていないと感じたからだ。松下は藤王より、マウンドで投球練習している桂木が心配だった。
――なぜ監督は桂木を中一日で起用したんだ? シーズン終盤の勝負所なら分からなくもないが、まだ四十試合以上残っている。今の段階で無理をさせる必要があるのだろうか。
――昨日の清田の先発も本当を言えば反対だった。だが短期的に、チームに活を入れる為だと思えばまだ理解出来る。しかし今回の桂木は……。
松下は隣で腕を組んで座っている野川をチラリと横目で見た。
――特に自棄になっている感じもない。むしろ落ち着いているように見える。
――野川さんを信じよう。きっと何か考えがあっての事だ。腰巾着だの信者だの、陰で色々言われているようだがそれで結構だ。俺は信じる道を突き進んで行く。野川さんのサポートを、あの人の全てを引き出す為の手伝いが出来れば、俺はそれで満足なんだ。
松下は心の迷いを振り切った。
マウンドで投球練習をする桂木は、先程野川に監督室まで呼び出された事を思い出していた。
「桂木です」
試合前に野川から呼び出された桂木が監督室のドアをノックする。すると、中から「入れ」と野川の声が聞こえた。
桂木が中に入ると野川はデスクに座りメンバー表を書いていた。
「話があるとお聞きしたのですが」
「お前、今日先発だ」
「ええっ!」
突然の通告に桂木は驚いた。次の登板予定はまだ四日先で、今日登板する為の調整など何もしていないからだ。
「どうした、無理なのか?」
「いえ、そんな事はありません。行けと言われれば先発でも抑えでも、いつでも行きます」
桂木の返事を、野川は当然のように表情を変えずに聞いた。
「お前優勝したいか?」
「えっ?」
突然そう聞かれて桂木は戸惑った。野川は冗談を言っている風でもなく真顔だったからだ。
――どういう意味なんだ? 言葉通りに取っても良いのか?
――今シーズンの残り試合は後三分の一程度。まだ四十試合以上有ると言っても、今のチーム状況では真面目に優勝を語るなんて人に笑われるぞ……。
「あの……今シーズンの話ですか?」
桂木は野川の意図が分からず、恐る恐る訊ねた。
「当り前だろ! 今シーズンが終わってないのに来シーズンの話をしてどうするんだ」
「で、ですよね……」
――監督は本気で言っているのか……。
こうなれば桂木も、優勝出来ると信じているかは別にして話を合わせるしかない。
「もちろん、優勝したいです」
桂木の返事を聞き、野川は少し間を空けて、小さく溜息を吐いてから口を開いた。
「もし、お前の投手生命が短くなったとしてもか?」
野川は変わらず真剣な表情で話している。桂木も野川の言葉の意味を真剣に考えた。
――何なんだこの問いかけは?
――今日、中一日で先発しろと言う事と投手生命が短くなると言う事を合わせて考えると、監督は優勝する為に俺を酷使するつもりなのだろうか? 逆に監督は俺を酷使すれば今シーズンに優勝出来ると考えているのだろうか? だとすれば俺も覚悟を決めなきゃいけないな……。
「もし監督が、俺が投げる事で優勝出来るとお考えなら、肩が壊れようとも喜んで投げます」
ここまで話して、桂木は野川の表情を窺う。特に変化は無く、無表情で黙って聞いている。
「ただ……犬死にするのは嫌です。本気で監督が優勝出来るとお考えならです」
桂木は自分の本心を素直に告げた。
「……お前がその気なら俺は優勝出来ると考えている。これからの試合は無理を言うが、俺を信じてくれ」
そう言って野川は頭を下げた。
桂木は野川が冗談を言うのを聞いた事が無い。野川が本当に優勝を出来ると考えているのだと思った。
「頭を上げてください監督。お気持ちは良く分かりました。これから毎日投げる気でいますから、遠慮なく使ってください」
桂木はプロ野球選手にしては細身の体で、端正な顔と合わせてひ弱な印象を与えるが、内面は強気な漢気溢れる性格だ。伝説の男、野川から頭を下げられて、腰が引ける男では無かった。
――俺がチームを引っ張って奇跡の優勝に導くんだ。
投球練習も終わり、初球を投げ込む前に、桂木は心の中で自分に言い聞かせた。
一回表、いきなりマウンドの上で桂木は苦しんでいた。
桂木はワンアウトも取れずに満塁のピンチを迎えている。打ち込まれた訳ではない。フォアボールやエラーが絡みノーヒットで塁を埋められたのだ。
――中一日の影響と言い訳はしたくない。監督は俺に期待して起用したんだ。だったらエースとして、それに応えなきゃいけない。
マウンド上で桂木は一点も許さないと気合を入れた。
一方、ベンチの野川はピンチに全く動じていなかった。ノーアウト満塁で相手の四番を迎えているのに、平然と立ち上がりサインを送る。
「か、監督、そのサインは……」
野川の出すサインを見て松下が声を上げた。
グラウンドの選手達も驚いている。その中でも桂木が一番驚いていた。
――どうして? 有り得ないだろ。
桂木は自分の見間違いかと思い、もう一度サインを要求する。
しかし、返って来たのは同じサインだった。
――監督は俺を信じてくれと言っていた……。ここはやるしかないか……。
桂木は納得し切れない感情を押し殺した。
『一回表からタイマーズはピンチを迎えました。マウンドの桂木はこのピンチをどう切り抜けるのか』
片山の実況と同時に桂木がセットポジションに構える。
「ええっ!」
その瞬間、記者席がざわめき、岸部と真希が同時に驚きの声を上げる。キャッチャーが立ち上がり、桂木が敬遠投球を始めたからだ。
打者は一球もバットを振ること無く、フォアボールで一塁に歩く。労せずして、三塁ランナーは押し出しでホームに帰って来た。
『敬遠です! ノーアウト満塁からの敬遠です。タイマーズ、無条件で一点献上しました!』
片山も、野川の有り得ない采配に興奮して実況のトーンが上がる。
スタンドは敵味方関係なくどよめいていた。
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