第6話 明日のテレビとは

「やりすぎやろ! うちの社が取材禁止になったらどないすんねん」

「えーでも監督が言った事なんだから責任持ってもらわないと……」


 通路の途中で説教され、真希は不満そうに文句を言った。


「ええか、スポーツ記者は取材対象の顔を立ててやってかなあかんのや。恥かかせてどうすんねん」


 岸部の説教にも真希は不満そうな顔をし続けている。


「そんなに藤王選手の事が気になるなら本人に聞きに行け。まだ練習してるはずやから」

「はあい……」


 自分が正しい事を確信している真希は不満そうに返事をし、岸部に指示されたように室内練習場に向った。


 真希は歩いていて少し冷静になると、岸部が怒るのも理解出来た。自分が小さな事に拘って大きな目線で仕事をしていないからだ。


 真希はマスコミ志望で就活し、結果的に内定を貰えたのがこの新聞社だけ。元々野球に興味があった訳ではなく、ただ目の前の仕事を必死になってこなしていただけだった。


――私にこの仕事は向いてないのかな……。


 この仕事に就いてから何度目かの弱音を、心の中で吐いた時に真希は室内練習場に着いていた。



 藤王は自分が苛立ちを感じている事に腹が立っていた。


 いつも試合後の打ち込みは雑念なく集中出来ている。試合中に崩れたフォームを細かくチェックしながら打ち込むのだ。だが今日は集中しようとしても、ベンチで迎えた勝利の瞬間が頭の中に蘇ってくる。チームが連敗脱出した事を素直に喜べない。後輩の活躍を喜べない。そんな小さな自分に腹が立つ。四番を外されて安心さえしていたのに嫉妬している自分に。


「やめや」


 藤王はこれ以上打ち込みを続けていても意味はないだろう、と練習を上がる事にした。



 真希は室内練習場の片隅で藤王の打ち込みが終わるのを待っていた。


 少し待っていると、藤王がスタッフに声を掛けて引き上げてきたので近づいて行く。


「あの、ヨンケイスポーツの小野寺と言います。お疲れの所すみませんが、少しだけ取材お願いしても……」


 はっきり聞こえる大きさで声を掛けたのだが、藤王は全く耳に届いていないかのように真希を無視して横を通り過ぎて行く。


「あ、あの……」


 真希はもう一度声を掛けようとしたが、藤王は振り返る事もなく練習場から出て行った。


「もう、何なのよー」


 藤王が消えた扉に、真希の悔しそうな声がむなしく響いた。



 久々の勝利に選手のロッカールームは和やかな空気が流れている。みんな笑顔でこの後の食事や飲み会の予定などを話していた。


「おい、飲みに行くなら今日のヒーローを連れて行こうぜ」

「おお、そうだな」


 提案したベテランの橋本が清田を探すと、もう着替え終わって帰ろうとしているところだった。


「おい清田、ちょっと帰るの待てよ。今日は旨い物食わしてやるぞ、綺麗なお姉さんが居る所にも連れて行ってやる」


 清田は聞こえなかったのか、返事をせずに、荷物を持って立ち去ろうとしている。


「おい待てよ、聞こえないのか」


 無視されたと感じた橋本は清田に近付き肩を掴んだ。振り返った清田は面倒くさそうにため息をついた。


「なんだ、お前その態度は!」


 切れた橋本を蔑むように清田は笑った。


「このチームがなんで最下位か分かりましたわ。連敗からやっと一つ勝っただけで浮かれ騒ぎ。明日に備えて、練習するなり体をケアするなりすりゃあええのに……」


 小馬鹿にしたように、清田は橋本の肩にポンと手を置いた。


「ね、今日は四打席出塁無しの橋本さん」

「きさま……」


 二人の不穏な空気に周りもざわつき始めた。


「どうかしたんですか?」


 丁度練習から戻って来た藤王が、二人のただならぬ様子を見て声を掛けた。


「何でもありませんわ。ちょっとふざけてただけです。ね、橋本さん」


 清田は軽い調子で橋本に同意を求めた。


「何でもねえよ」


 橋本は怒りをそがれて勢いをなくし、二人から離れて行った。


「藤王さん、練習お疲れ様です。俺は失礼して先に上がりますわ」


 清田はそう言うと、藤王の横をすり抜けロッカールームを出て行った。


 通路を歩く清田は、やっぱりこのチームで俺と競い合えるのはあの人だけやなと、藤王の姿を思い浮かべた。


 

 野川はすでに球場を出て、家に向かい急いで車を走らせていた。


 試合後に電話をしたら、美月からテレビで観た明日の試合の事で話があるからすぐに帰って来て欲しいと言われたのだ。



「ただいま」

「お帰り、お父さん。いきなりで悪いけど、これ見てよ」


 家に帰るなり、美月が待ち構えていたように玄関まで飛んできてノートを見せてきた。野川は手に取ったノートを開きながらリビングに向う。美月はテレビを見てスタメンや采配のポイントなど細かに書き写してくれており、結果はタイマーズが勝利していた。


「さすが、俺の子供だな。ポイントが上手くまとまっていて、これで明日の采配も大丈夫だ」


 野川はソファに座り、満足そうに頷いてノートを閉じた。


「なに満足してるんよ! ちゃんと見てくれた? こんなでたらめな采配許されへんよ。それに先発が桂木さんやん! まだ中一日しか経ってへんのに」


 美月は平然としている野川の態度が気に入らずに怒っていた。


 美月の言う事は野川にも分かっている。桂木は昨日完投していて、早くても中四日は空けて投げさせるのが、現代の野球では一般的だ。その他、セオリーからすればおよそ考えられない采配も書かれていた。


「でたらめだから良いんだよ。これでこそチームを救える」

「どう言う事よ」

「よく聞けよ。このテレビは明日、実際に起こる試合を放送しているんだ。関係のない人間が観てもそれはただ一日早く試合を見られるだけだが、采配を振るう俺が見ると事情が変わってくる……」


 野川は昨日から考えて来た事が現実となり、得意げな表情を浮かべて説明する。


「例えば、次の打者がホームランを打つと分かっている。お前が監督ならどうする?」


 野川の質問に美月は少し考えた。


「……そりゃあ敬遠でもさせると思う」

「そう! その敬遠した結果がテレビの試合だ」


 思惑通りの美月の答えに、野川は喜んだ。


「悪い結果は俺が采配で回避する。明日の結果が変わる。変わった結果がテレビに映し出される。それでも悪けりゃさらに他の采配で回避する。また、明日の結果が変わりテレビに映し出される。これを最良になるまで繰り返された結果が、最終的に明日のテレビに映し出される。采配を変える事が出来る俺が明日のテレビを観る事で、悪い結果を最良の結果に変える事が出来るんだ」

「そんな……じゃあ明日は、桂木さんが投げないと勝てないって事? 藤王さんが出場すると勝てないって事? お父さんが作りたかったチームはそんなチームなん?」

「それは……」


 野川は言葉に詰まった。美月の言う通りだからだ。


「もう手伝いたくないよ、こんなんお父さんの野球やない。きっと記者の人から質問されるよ。どうすんの?」


 美月は泣きそうな声で野川に訴えた。


 美月にとって父野川は誇らしい存在だ。野川の野球哲学に共感し、それを守る為ならどんな苦労をしてでもサポートするつもりだった。だが、今回の事に関しては素直に協力する気にはなれなかった。


 野川は困った。美月にチェックしてもらわないとテレビを有効には使えないからだ。


「確かにお前の言う通り、俺の目指す野球じゃない。でもチームを守る為にはこれしかないんだ。お前に手伝って貰わないとチームが売られてしまうんだよ。頼む」


 今まで頼み事などした事の無い父が、頭を下げて頼んでいる。美月はこれ以上口を挟む事は出来なかった。



「もう一本くれ」


 結局、橋本は飲みには行かず、自宅で妻の手料理を肴にビールを飲んでいる。だが、いくら飲んでも頭が冴えるばかりで酔う事が出来ないでいた。


――いつからだろうか。


 橋本は妻が持ってきてくれたビールを手酌で注ぎながら考えていた。


――いつから俺はチームや自分を高める事より、引退後の心配や来期の契約の事ばかり考えるようになったのか……。

――若い頃は違った。いつも引っ張ってくれる野川さんの背中があったから、努力するのが当たり前だったのに。今は俺が引っ張って行かなきゃならねえのに……。


 橋本はグイッとコップのビールを飲み干し、立ち上がった。


「あれ? あなた、どこに行くの?」


 食事の途中なのに立ち上がった橋本を見て妻が不思議そうに尋ねた。


「ちょっとな」


 橋本はバットを握り庭に出た。家を買ったばかりの頃は毎日欠かさず素振りをしていた庭だ。


 軽く体をほぐして橋本は素振りを始める。


――しかし、情けねえよな。あんな若造(ガキ)に言われなきゃ気付かねえなんて。


 橋本は心地の良い汗を流しながら、自然に笑みが浮かぶのを感じた。

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