第4話 明日の放送が映るテレビ

 巽は監督室を出て、薄くなった頭を掻きながら重い気持ちで通路を歩いている。


 役目とは言え野川に売却の件を伝えるのは辛かった。巽も野川に夢を見させてもらったファンの一人で、その野川がどれ程チームを大切に想っているか知っていたからだ。


「ん?」


 巽の耳にカキーンという打撃音が聞こえてきた。音は室内練習場の方から聞こえている。


 音に引き寄せられるように、巽が室内練習場に足を向けると、打撃練習用のゲージ内で藤王が一心不乱に打ち込みをしていた。


「やっぱり、藤王か……」


 巽は試合終了後にまで練習する選手は藤王しかいないと分かっていた。


「ホンマに、監督の若い頃とそっくりやな……」


 巽は野川の若い頃を思い出していた。


 野川も試合の前後にこうして打ち込みを続けていたのだ。派手な活躍の裏にはこうした地道な努力があった事を巽は知っている。


 そんな野川に憧れて入団してきた選手は多いが、その中でも藤王は特別だった。野球に対する姿勢やプレイスタイル、ポジションや打席の癖の一つ一つまで完全にコピーしている。特に練習量は野川自身が「俺以上だな」と認める程抜きんでて多かった。


「すまんな……」


 巽は自分の不甲斐なさを詫びた。こんなに一生懸命な選手が居るにも関わらず、球団社長としてチーム存続の危機を防げない事が情けなかった。


「藤王が二代目ミスタータイマーズと呼ばれる日を見たかったな……」


 巽はもう球団の売却が決まった事のように呟いた。



 大阪の高級住宅地にある自宅に、車で帰宅した野川は重い気持ちのまま玄関のドアを開けた。


「ただいま……」

「あ、お父さんおかえりなさい」


 帰宅した野川を一人娘の美月(みつき)がエプロン姿で出迎える。


 だが野川はにこりともせず玄関にバッグを置くと、暗い顔で奥のリビングへと進み、服も脱がずにドスンとソファに座り込んでしまった。


「今日は残念やったね……」


 高校生の時に母親が死んでから五年間、美月は家の雑事を全てこなして父を支えてきた。チームの状況も良く分かっているから、心配しているのだ。


「でも、今年は仕方ない経験だ、来年以降は絶対強くなるってお父さん言ってたやん? 今は我慢だよ」

「来年があればな……」

「えっ? 来年があればって……」


 美月は野川の言葉の意味が良く飲み込めなかった。


 野川は美月に返事をせずに立ち上がると、トロフィーやバットが飾ってある棚の前に立った。築き上げてきた数々の功績を称えた品々。野川がタイマーズで歩んで来た栄光の証だ。


「来年があればって、どう言う事?」


 野川の深刻な様子が気になり、美月はもう一度意味を尋ねた。


「……」


 野川は美月の問い掛けに返事が出来なかった。言葉にして現実を認めるのが怖いのだ。


「お父さん……」


 美月が心配そうに野川を見る。


「今年優勝出来なかったら、タイマーズは売却されるんだ……」

「売却!」


 野川は十五年前に優勝を決めた、予告サヨナラホームランの記念ボールを手に取り見つめた。


「関西に来て三十五年。ここに有るトロフィーもバットもボールも、みんなタイマーズがあったから……」


 野川は語りかけるように呟いていたが、気持ちが昂ったのか「くそっ!」と声を上げ、ボールをソファに投げつけた。


 感情的になっていたとはいえ、野川は取り乱していた訳ではなく十分に手加減して投げつけたのだが、ボールはまるでスーパーボールのように跳ね返り部屋中を飛び回った。


「きゃっ!」


 まるで生き物のようにリビング中を飛び跳ねたボールは、美月の背中で束ねた黒髪を掠め、ガシャッと音を立て薄型テレビの画面右上にめり込んで止まった。


「大丈夫か、美月!」


 野川は、驚いてしゃがんでいる美月に声を掛ける。


「私は大丈夫やけどテレビが……」

「すまん、そんなに強く投げた訳じゃねえんだけどな」


 野川はボールがめり込んだテレビに近寄った。


 不思議な事にテレビの画面は、ボールがめり込んだ部分以外はひび一つ入っていなかった。


「お父さんこれ見て」


 美月は立ち上がりテレビの裏側を見ていた。


「テレビの厚さより、ボールがめり込んだ部分の方が厚い……」


 野川も美月に促されテレビを上から見た。


 物理的に有り得ない事だが、上から見ると確かにテレビの厚みよりボールのめり込んだ部分が厚い。


「どう言う事だ……」


 二人が狐につままれたように呆然としていると、テレビからビビッと大きな音が鳴った。


「えっ!」


 驚いた二人がテレビの画面を見ると、ボールのめり込んだ付近から小さい火花が飛んでいた。


「危ない下がれ! 爆発するかもしれんぞ」


 野川に促され、美月も慌ててテレビから離れた。


 二人が後ろに下がると火花は止み、プチンと音がして画面が点灯した。


『さあ、今日のプロ野球は関西タイマーズ連敗脱出の試合からです』


 テレビ画面にスポーツニュースが映り、スタジオで司会者がそう話していた。


「なんだこの番組は?」


 野川は次々と起こる不思議な出来事に戸惑い、混乱していた。


――「タイマーズ連敗脱出」だと? 何を言ってやがるんだ。結果報告を重視するニュース番組でこんな間違いしやがって。有り得ないだろ……。


 野川は自分の聞き違いかと思い横を見たが、美月も驚きの表情で画面を見詰めている。


『今日は野川監督の大胆な選手起用と采配が見事に決まりました!』


 マイクが担当アナウンサーに変わり、その言葉と共に場面が球場へと切り替わった。画面にスコアボードが映り、そこにはスタメンが表示されている。


「あ!」


 野川は驚きのあまり声を上げた。


「お父さんこのスタメンって……」


 美月も映し出されたスタメン表を見て驚いた。


「まさか……どうしてルーキーで試合に出た事ない、あいつの名前が……」


――有り得ない、あいつはまだデビューしていないんだ。今までこんなオーダーを組んだ事は無く、絶対にこんな放送が流れる訳がない。あるとすれば……。


 野川は信じられない現象を理解しようと、頭をフル回転させていた。


「これは未来の試合……いや間違いない、明日の試合だ……」


 野川はそう結論付けるしかなかった。対戦相手も明日からの横浜DHAで、その他のデーターから間違い無く明日の試合だったからだ。


「で、電話だ……」

「えっ? こんな時間にどこへ?」

「あいつを呼ぶんだ! 明日の試合に一軍登録しないと」


 野川は今起こっている現象を正確には理解出来ていない。だが、今テレビ画面に映し出されているチームが勝利する明日の試合を見て、今はこれに乗るしかないと考えた。上手く行けばタイマーズを救えるかも知れないからだ。


 野川は目の前に垂らされた糸にすがる思いで、この不思議な出来事を受け入れた。

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