第2話 伝説、その後

 十五年後。


 関西タイマーズの本拠地、大阪スタジアムの客席は閑散としていた。チームの状態に関係なく熱心に応援し続ける私設応援団の鳴り物が、まばらなスタンドに虚しく響いている。


 まだ今シーズンの試合を三分の一程残した八月上旬だと言うのに、まるで消化試合かのように球場全体に覇気が無い。


 電鉄会社「関西鉄道」を親会社に持つ関西タイマーズ。「電車は安全に時間を守って運行する」と言う親会社のモットーから、チームはタイマーズと名付けられた。地元ファンに愛されながら創設以来一度も親会社が変わる事無く、伝統の歴史が続いている。


 だがチームは十五年も優勝から遠ざかり、観客数も減る一方、伝統の球団とは名ばかりの現状が続いていた。


『九回裏一点差ツーアウト三塁。一打同点の場面ですが、四番藤王は追込まれました』


 試合最後の見せ場だと言うのに、ベテランアナウンサー片山の実況にも熱がこもっていない。


 打席に立つ男の名は藤王剛。十五年前の野球帽の少年は、憧れの野川を目標として努力した結果、タイマーズの四番打者になるまでに成長していた。


 体は百九十センチと大きく成長したが、幼さの残る顔と、夢を追いかける瞳は昔の面影を強く残している。


 その十五年前に伝説を作った男、野川はベンチの最前列に立ち、険しい表情で腕組みしながらグラウンドを見つめていた。


 現役を引退した野川は、現在タイマーズの監督となっている。広くなった額が年齢を感じさせるが、鋭い眼光と無精髭は現役時代と変わらない迫力があった。


 打席では、藤王が現役時代の野川と同じ一連の儀式を行い構えに入る。まるで野川の物まねをしているかのように寸分違わぬ動作。藤王が十五年前から毎日毎日真似をして、今や自分の物とした、構えに入る儀式だ。


 マウンドには東京シャインズのエース、デビットが不敵な笑みを浮かべて、藤王を見下ろしている。


 サインが決まり、デビットがダイナミックなフォームから剛速球を投げ込む。


 球界でもナンバーワンのストレートがホームベースに伸びてくる。


 その速球について行けず、藤王のバットはあっさり空を切った。


『空振りです。藤王三振でゲームセット、一対〇タイマーズ敗れました。八連敗です』


 片山の実況も、予想していたかのように淡々としていて残念さすら感じない。


 藤王は悔しい気持ちを表に現す事無く、笑顔でハイタッチするシャインズナインに背を向けて、ベンチに向かい歩き出した。


 試合が終わったと言うのに、野川は腕組みしたままグラウンドを見つめ続けている。選手達は野川の怒りが爆発しないよう、無駄口を叩かず、静かに黙々と道具を片付け、帰る準備をしていた。


「すまん……見殺しにしてしまって」


 ベンチに戻った藤王は申し訳なさそうに大きな体を縮め、負け投手となった桂木義人(かつらぎよしと)に謝った。


「いや、大丈夫ですよ。野手の皆さんに助けて貰った事もありますから」


 タイマーズの若きエースで、野球選手には見えないスマートな体とアイドル並の容姿から、女子にも人気の高い桂木は藤王の謝罪に笑顔で返した。


 とその時、ガシャンとベンチ内に大きな音が響いた。


 野川がベンチシートを蹴り上げたのだ。野川はつかつかと藤王の元に歩み寄ると胸倉をつかんだ。


「四番が謝るんじゃねえよ」

「あ、いや……」


 藤王は野川の剣幕に押され口ごもった。


「いいか、四番って言うのはよ、謝って済む打順じゃねえんだよ。言葉じゃなく結果を出すしかねえ打順なんだ」

「す、すみません……」


 野川は萎縮している藤王にイラつき、つかんでいた胸倉を乱暴に突き放すと「チッ」と舌打ちして出口に向った。


「まあ、あまり気にするな。それだけ期待されているって事だから」

「コーチ……」


 落ち込んだ様子で野川を見送る藤王の肩を、松下(まつした)ヘッドコーチが叩いた。


 松下は野川の元チームメイトで、現役時代は三番ショート。サードの野川と共に三遊間を守っていた。チームメイトと言っても、松下は野川を崇拝する後輩で、引退後もその下でヘッドコーチとなっている。


 眼鏡を掛けた松下は、背広を着ればサラリーマンと言っても通用しそうな優しい容姿をしている。性格もその見た目通り温厚で、言葉足らずで誤解され易い野川をサポートしていた。


 もう少し上手くやってくれれば良いのに、と思いながらも松下には野川の気持ちが良く分かっていた。


――野川さんは誰よりもチームを愛している。自分と言う不動の四番打者が居なくなり、チームが低迷している事に一番責任を感じているのは野川さん自身だ。


 現役時代から傍に居て、野川をサポートする事が自分の使命と感じている松下にはその事が痛い程良く分かっていた。


「ヘイ! 藤王!」


 その時、タイマーズベンチに藤王を呼ぶ大きな声が届く。


 ベンチ内に居た全ての人が声の主に視線を向ける。そこにはヒーローインタビューを終えて、そのまま報道陣を引き連れたデビットが笑みを浮かべて立っていた。

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