皇帝ジェイド・ノヴィリスの事情[4]
「それにしても、そなたが運命論者だったとは」
「出会いとはそういうものでしょう?」
全てにおいて。
(――そうだろうか?)
ジェイドには、皇帝の息子として生まれ、戦争を経て玉座に着いた今でさえ、よく分からない。
例えば、己に降りかかる過分な義務や権利を、運命だとか、使命だとかで片付けてしまってよいものか。
そんなジェイドの肩を、大きな掌が軽く叩いた。
視線を遣ると、異母兄が行儀悪くもデスクに軽く腰かけたまま、素知らぬ顔で菓子を食べている。
幼い頃からお決まりの『あまり気を揉むなよ』の合図だ。
(はい、兄上)
ジェイドは心中で微笑んだ。
懊悩を一旦振り切ろうとした矢先、
「――とはいえ、問題を先送りにするのはよくありませんな」
「グレイス?」
風向きが変わった。
相変わらず微笑を湛えたままのグレイスだが、目には些か厳しい光が宿っている。
「陛下、そろそろ城内で陛下と高貴な方々の話題が持ち上がっているようです」
自分の前でわざわざ『高貴な』と敬称をつけるのならば、
「妃達には格別の配慮をしているつもりだが」
「……とは、申されましても」
思わずジェイドの眉根が寄る。
「彼女らを疎かにしているつもりはない」
「下々には、そうは映っていないということですよ」
何故かはお分かりでしょう、という彼に、ジェイドは黙り込んだ。
脳裏を過るのは、溌剌とした豊かな黒い巻き毛の少女だ。
――そういえば彼女も、小さな王女と同じく青い瞳をしていた。
最も、彼女の方がずっと勝気な光で煌めいていたが。
(……実際はどうだったのか、俺は知らない)
エミリア・バラント。
ジェイドの一番最初の側妃だった。
順調であれば、彼女が皇后になっていただろう。
誇り高く皇后の冠を戴き、嫣然と国民に微笑むような、理想の――今となっては、苦い後悔ばかりを覚える。
表向きは病死と発表したが、実のところは自死である。
戦後直後にこれではあまりに外聞が悪いと偽ったために、彼女の実家であるバラント家に借りができた。
そのせいで、エミリアの実姉ジュリアの輿入れを拒否できなかったのも、政治的には痛手であろう。
名目は、共に親しい家族を亡くした無聊を慰めるためとしたが。
(あの姉君こそ、一体何を考えているのか……)
亡き妹を忍んで質素にと執り行った婚姻の儀で、ベールの下で静かに微笑むジュリアからは、幼い頃から顔合わせのために開催されていた茶会で会った時に向けられていた以上の親愛も、憎悪も、嫌悪すらも感じられなかった。
家の都合とはいえ、あれだけ可愛がっていた妹の夫の元に後妻として嫁ぐジュリアの心情を、ジェイドは推し量ってやることができない。
(ただ、快くはないだろう。……そのはずだ)
自分が気まずさを感じるのはお門違いだと分かってはいるものの、ジュリアの元を訪れるのがあまりに億劫で足が遠のいているのが現状だった。
また、第二側妃のエリュシナ・フリージアも皇帝としてジェイドを敬愛してはいるようだが、自分に対してどこか怯えている節がある。
真綿に包まれるかのように育てられた繊細な銀細工のような娘は、戦ばかりにかまけていた自分には少しばかり荷が重い。
ジェイドは溜め息を吐いた。
「……分かった。妃達には何か贈り物を」
「陛下、そうではなく。会いに行って下さいませ。出掛けてもよいですね。お茶をして、花を愛で、語り合い、共に過ごすのです」
「まあまあ、閣下もそれくらいで。政務が溜まっててそれどころじゃないってのも、本当の事なんだろう?」
アレクセイの取り成しに、グレイスは渋々頷いた。
「それはそうですが」
アレクセイは陽気に笑う。
「弟よ、妃は妃でも、第三側妃に会いに行くのなら、どうだ? ちょっとだけでも様子を見に行ってやればいい。今なら面白い話が聞けるぞ。というか、今日はその話をしに来たんだ」
「面白い話?」
第三、ということは嫁いできたばかりの七歳の姫のことだが。
「ユーリ殿下は近頃、城を探検して回っていらっしゃるとか」
グレイスが好々爺然とした笑みを零した。
声音には安堵が滲んでいる。
「女官達が、殿下が隠れん坊しているのを見かけては、微笑ましそうにはしゃいでおるようでしてな。なんでもお菓子を差し上げるとはにかみながら受け取って下さるお姿がたいそう可愛らしいのだとか」
「ああ、俺も報告は受けてるよ。本当は警備上あんまり良くはないんだがなぁ」
第三側妃という立場上、本来なら毒見は必須ではある。とはいえ、彼女の実態は弱小国の年端もいかない少女だ。
今のところ、女同士で皇帝の寵愛を巡るという意味合いでは、ユーリは何者の敵にもなりえない。
ようやく環境に馴染んできたところを制限して窮屈な思いをさせるのも気の毒で、多少ならば周囲に目溢ししても問題ないだろうという結論が出ていた。
「ユーリ王女に何か?」
「それが、なんと大手柄だ」
今朝のことだが、とアレクセイは朗々と語り始めた。
「……なるほど、ユーリ妃殿下のおかげで、犯人が明らかになったのですね」
顛末を聞いて、グレイスが感心したように声をあげた。
アレクセイが頷く。
「ああ。宿屋の店主夫婦を問い詰めたら、早々に白状したとのことだ。今は牢に入れてある。どうだ、興味あるだろう?」
ジェイドは素直に頷いた。
「驚いた。なぜ、姫には犯人が分かったんだ?」
「それを直接聞きに行けって言ってるんだよ」
「だが……」
また怖がられやしないだろうか。
弟の逡巡に、アレクセイは苦笑した。
「ま、十中八九、ユーリには怖がられるだろうな」
「では、やはり会うのは極力避けた方が……」
「そうは言っても、ジェイド、あの姫さんはお前の側妃だ」
いつまでも避けてはいられない。
それはジェイドにも十分わかっている。
だが、小さい子供に気絶されそうなほど怯えられるのはジェイドだって快くはないし、正直に言えば、そこそこ傷つく。
言い含めるようなアレクセイの声音は、思いのほか真剣だった。
「ジェイド、考えてもみろ。あの小さなお姫様の家族は、いま、お前だけなんだぞ」
家族。
ハッと、胸を衝かれたようだった。
ジェイドは目を瞠る。
(そうか……)
あの子供は、故郷から放り出されるように単身嫁いできたのだった。
頼れるのは、夫となった十五も歳上のジェイドのみ。
自分の言葉を受け止めた様子の弟に、アレクセイは表情を和らげた。
「急に打ち解けるのは無理にしろ、少しずつ距離を詰めることはできるだろう?」
「ああ、確かに、その通りだ」
グレイスも細い眉尻を安心したように下げた。
「直接、改めてお話しになるのが難しいようであれば、少しずつ距離を詰めていけばよいのです」
「距離を詰める」
「はい、徐々にお互いに慣れていかれてはいかがでしょう? 例えば、まずは、夜、殿下がお休みになった頃に、ひとまずお顔だけでもご覧になってみるとか」
「寝た後……それは意味があるのか?」
「ええ、もちろん」
息子の幼い時分を思い出してか、グレイスは優し気に微笑んだ。
「子供の寝顔は癒されますよ。仕事終わりの夜などは、特に」
「それは、俺も子持ちの部下達からよく聞くな」
ジェイドは眉間を押さえた。
「……あの子は、俺の子供ではないのだが」
「似たようなものだろ。まあ、歳の離れた妹だとでも思っていたらいいんじゃないか」
ジェイドは嘆息した。
それこそアレクセイはあの姫君を小さな義妹だと定めて接しているようだが。
「また兄上は適当なことばかり言って」
「そのくらい気楽でいいってことだ」
「そうですよ。直に会話するのが億劫だというのなら、少しだけ顔を出して、侍女のエレナ殿にお話を聞いてみるのもよいのでは?」
二人の笑顔と譲歩に励まされ、ジェイドはようやく唇の端に笑みを登らせた。
「では、兄上の仰せの通りに」
寝ている間なら、怖がらせずに済むだろう。
そう思っていたのだが。
ぱっちり、暗がりの中、侍女のエレナが灯した明かりに浮かび上がった少女は、眠気なぞ吹き飛んだと言わんばかりに冴え渡った青い瞳を見開いてジェイドを凝視した。
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