皇帝ジェイド・ノヴィリスの事情[2]
◇ ◇ ◇
かくして公式に整えた謁見の間に入場した子供を眼下に、ジェイドは内心で途方に暮れた。
先に報告を受けてはいたが、広々とした謁見室に入って来た子供は、ノルディアの供を一人も付けていなかった。
ノルディアからの使者は、王女と共に入城だけはしたものの、謁見前に宰相と顔合わせを済ませ、必要事項の手続きを完了させた後、さっさと国元へ帰っていったらしい。
取り残された王女は、レイルに導かれて震えながらだだ広い謁見室の中央で腰を折った。
たどたどしい淑女の礼(カーテシー)。
顔色は俯いていても分かるほど青白かった。
(早く終わらせてやらねば)
そう逸る心が、つい子供の口上を遮った。
「お……お初に、お目にかかります。ユーリ・グレース・ノルディアと、も、もうします……! このたびは、帝国の太陽におあいで、できまして……」
「よい」
びくり、フリルで嵩増ししてなお薄い肩がおおげさに跳ねた。
楽にせよ、と続けるはずの舌が、怯えさせてしまった罪悪感に不覚にもまごつく。
「――もうしわけございません……」
ジェイドがかける言葉を探すよりも先に、どうにか絞りだしたようなか細い声が、広間に痛々しく響いた。
アレクセイを始めとする最側近達の何とも言い難い心情が、謁見室の取り繕った表面下で渦巻くのを感じつつ、さりとてどうする事もできずに、ジェイドはいつもの謁見時と同様に、つまり素っ気なく一つ手を振った。
「下がれ。……自分の国だと思って、心寧く過ごすがよい」
せめてもと付け足した言葉を受け取る余裕が、果たして故郷から放り出された幼子にあっただろうか。
憐れな程に委縮した末姫は、床に沈み込むようにして膝を折ったままだった。
謁見後、王女を自室へと送り届けたレイルと侍女長サンドラ・リングが心なしか項垂れるジェイドに向かい合って困ったように眉を下げた。
「まあ、やらかした感はあるが、落ち込むなよ」
励ますようにアレクセイがジェイドの肩に手を置いた。
怖がらせるつもりはなかったのだ、本当に。
「お前、威圧感あるしな」
「いえいえ、ユーリ殿下の方も、お越しになった段階でかなり萎縮なさっておいででしたし……」
「お可哀想に」
サンドラがほろりと零した。
確かに、若干七歳になったばかりの少女の身の上としては同情せざるを得ない。
「……王女の様子はどうだ?」
「ええ、うちの侍女達にもよくよくお気を付けてさしあげるようには言っておりますけどねぇ……どうにも、人に囲まれるのに慣れておいででないようでございます」
ジェイドはつい数刻前に届いた調査報告書を執務机に広げた。
「侍女長、貴女も読んだな」
「ええ」
「ユーリ・グレース・ノルディアをどう見た?」
彼女は皺の奥の理知的な瞳をゆっくりと眇めた。
「……わたくしの所見ではございますが、ユーリ殿下は大変……そうですね、七歳の御子にしては驚く程、大変に大人びた方でございましょう。ご両親どころか、国元からたった一人引き離されたにもかかわらず、泣き喚くでもなく、癇癪を起こすわけでもなく」
「ええ、確かに。謁見時の手順や説明もしっかりお聞き下さって」
レイルが同意した。
サンドラが大きく頷く。
「そうです、そうです。先程も、侍女達を紹介致しました折、ちゃんとご自分からもご挨拶して下さいましたし。我が儘を言ってわたくし共を困らせることもございませんでした」
むしろ、申し訳なさそうにお礼を言うほどで、とサンドラは溜め息を吐いた。
――ご自分のお立場を御理解されていらっしゃるのでしょう。
「ユーリ殿下は、本当に、御年七つとは思えない程、聡く、忍耐強く、心根のお優しい御子とお見受け致しました」
報告書の調査結果とは真逆だな。
「……ノルディアに派遣した調査員によると、王女はとんでもない問題児とのことだが」
「そのようですが……」
ユーリは乳児の頃は強い癇癪持ちで何度も乳母が変わっている。
一般的に子供が物心が付く歳頃になっても、まともに喋ることができなかったという。
意味不明な言動、躁鬱を繰り返し、かと思えば日常生活の介助が必要なほど無気力になる。
当然だが、公として国民の前に出たことはなく、家族仲も良くないようだ。
手紙を読む限り、異母兄とは別のようだが。
「――どちらにせよ、今、ノヴィリスに来た王女自身に対応していく必要がある」
とはいえ、七歳の女の子などジェイドの手に余った。
「侍女長、王女に関しては任せていいか」
「ええ、もちろんでございます……と言いたいところですが」
歴戦の侍女長が言い淀むとは珍しい。
「ユーリ殿下は、わたくしのような年配の女性が苦手のようでございます。というよりも、どうも女性全般に委縮される様子がお見受けされました」
「……無理もないな」
報告書に目を落とす。
彼女の生い立ちを考えれば、実母に始まり乳母、異母姉、侍女に至るまでが末姫を疎んでいただろうから。
「ですので、予定よりも侍女の人数を減らして……護衛騎士も変更した方がよろしいかと」
「ええ、アレク様、金獅子隊に子供のお相手ができそうな人材のお心当たりはございますか? こう、威圧感を極力与えないような……」
レイルの問いに、アレクセイは腕を組んだ。
「そうさな……一人、二人ほどなら。貴族のお姫様方に受けがいいのと、単純に子供に受けがいいのと。後者は入隊したばかりだから色々と教育が追いついていないが、腕はうちの隊でも一等立つ男だ。専属を少数で回すとなると、それ位は必要だろう」
ジェイドも頷いた。
何しろ大事な預かりものだ。
万が一にも何かあっては困る。
侍女長も了承した。
「ようございます。侍女の方は追々調整して参りましょう」
「では、それで」
ひとまずは、七歳の姫君が新しい環境に馴染むのを見守ろう。
消極的に彼女から距離を取る方針だとは分かっていたが、それが大人達の間で出た結論だった。
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