とある新人の不運な夜[2]
「警邏隊だ!」
宿の入口は大抵が常時解放されている。
慌てた受付へ怒鳴りつけるように名乗り、音の出所、二階へ駆け上る。
「どうした⁉」
廊下の奥で、一番端のドアを激しく叩く男が振り返った。
「たった今、中で何か割れる音と悲鳴が……ドアが開かない!」
この宿の主人だ。
彼はドアノブをガチガチと乱暴に回し、肩をぶつけてドアを破り開けようとする。
加勢をしようとしたアンドリューの横を、寝間着姿の女が駆けて行った。
「か、鍵だよ!」
では、彼女が女将か。
「開けてもすぐに入るな、先にオレが踏み込む!」
そのアンドリューに、集まった宿泊客が詰め寄った。
「何があったんです、騎士さん⁉」
騎士じゃない、と訂正しているような暇はなかった。
騒ぎを聞きつけた宿泊客が野次馬しに集まっている。人数は多くないのが幸いか。
アンドリューは面倒な気持ちを押し隠し、努めて冷静な口調で彼らに向き直った。
「皆さん、落ち着いて。ここは自分が対処しますので、皆さんは部屋に戻って、声がかかるまで出ないように……」
背後で、青ざめた女将が囁くように叫んだ。
「開いた……!」
「下がって、静かに!」
身を翻し、ドアにぴたりと顔を寄せる。
向こうからは何の物音も聞こえてこない。
ドアノブを握り、警棒を構え――遠巻きにする野次馬の視線を背に、部屋に飛び込んだ。
思わず、悲鳴を飲む。
アンドリューは十八歳、警邏隊に名を連ねるようになってまだ一ヵ月にも満たない。
死体を見たのは初めてだった。
背後で、けたたましい悲鳴が上がる。
(しまった!)
つい動揺して出遅れた。
「死んでる!」
「殺人か⁉」
「何が起きてるんだ!」
俄かに叫びだした客達に正気を取り戻し、アンドリューは警棒を腰に戻した。
宿の主人を振り返る。
「今すぐ、警邏隊の詰所に行って人を寄越してもらってくれ。それから、宿から誰も出さないように。頼めるか」
女将には無理だろう。
巡回地区の店主達とはみんな顔見知りで、だから女将は自分が警邏隊に入りたての青二才だとずいぶん気安い態度を取ってくる。そのいつもはふてぶてしい彼女が、今は青い顔をして主人に取り縋っていた。
「分かった。使いをやろう」
主人は頷き、女将の背を支えて客へ声を掛けて行く。
彼らの様子を確認して、アンドリューは部屋のドアを閉めた。
一息つき、覚悟を決めて振り返る。
部屋の中央に、男が倒れていた。
怖々と近付き、顔を覗き込む。
「……まだ若いな」
自分より二つ三つ年上だろうか。
身なりは悪くない。それはそうだ。この宿に泊まる余裕くらいはあったのだろう。
(ということは、)
部屋を見回すが、彼の荷物は見当たらない。
「物取りか」
青年……死体の後頭部には殴打された後がある。床に飛んだ僅かな出血もそこからのようだ。
アンドリューは立ち上がり、部屋の窓へ手を伸ばした。
鍵を開け、窓を全開にして身を乗り出し、下や周囲を観察する。
成人男性程度なら難なく入れる大きさだし、宿の造りからしても頑張れば登れなくもない。
「ここから入り、物色していたところを見つかって……いや、後頭部ということは、忍び込んでから殴り、荷物を盗んで逃走した?」
そこで、アンドリューはふと吹き込む夜風に思考を止めた。
「いや、待て、窓?」
(いまオレは鍵を開けなかったか……?)
アンドリューは窓を見て、振り返り、ドアを見た。
呆然とする。
窓にもドアにも鍵が掛かっていた。にも関わらず、部屋の中央には死体。
部屋から出てきた者はいない。
「どういう……何が起きたんだ?」
殴られた衝撃に見開いたままの死体の目に、困惑するアンドリューが映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます