第120話.望む言葉
「ブリジット」
テキストを片づけていたブリジットは、その声に動きを止めた。
教室の後ろ扉を見やれば、そこに立っているのはユーリで。
教室中がざわつく。
しかしブリジットの心臓のほうが、もっと盛大に騒いでいたことだろう。
(きょ、今日も迎えに来てくださるなんて!)
今まではなんとなく……放課後は図書館や四阿で会っていた。
会う約束だって、数えるほどしかなかった。だが建国祭以降、ユーリはこうして毎日のように迎えに来るようになったのだ。
ユーリにどんな心境の変化があったのか。
考えようとすると卒倒しそうになるブリジットなので、頭を振って思考を打ち消す。
「行ってらっしゃいませ、ブリジット様」
「うおお、ブリジット嬢~……!」
「い、行ってくるわ!」
キーラとニバルに手を振り、ブリジットはぱたぱたとユーリに駆け寄る。
「四阿では冷えるでしょうか?」
「僕にはこれがあるから平気だが」
廊下を歩きながら、ユーリが器用にマフラーを巻いている。
お店に並んでいた商品や、シエンナがお手本で編んでくれたマフラーに比べると、編み目も荒い。心血を注いで作ったものの、目にするたびに気になるようになってきた。
もっとうまく編めていたら、と今さらのように悔しくなってくる。
「ユーリ様、そんな、見せつけるようにしなくても」
その思いで、ブリジットは控えめに伝えるのだが。
「見せつけているからな」
“氷の刃”と呼ばれるその人が笑みを浮かべる。
真っ赤になったブリジットが顔を背ければ、廊下をすれ違う女生徒も目撃したらしく頬を染めていた。
近頃、ユーリはこんな風に柔らかな表情を見せるようになった。
――建国祭も終わり、フィーリド王国には冬の季節が到来しつつある。
メイデル伯爵家は、その地位を失わずに済んだ。
しかし精霊魔法を不当に行使したとして、デアーグは当主の座を失うこととなった。
彼はアーシャと共に、地方の所領に追いやられる。そこで今後は慎ましい生活を送ることになる。
執事長を始めとした数人の使用人は、デアーグと共に王都を去っていった。
(またいつか……お父様とお母様と、話せる日は来るのかしら?)
まだ勇気は湧いてこない。
けれど以前と違う前向きな気持ちで、その日が来たらきっと会いに行こうと思えている。
ロゼは先週から学院にも復帰している。
彼は伯爵家の正統な後継者だ。しかし成人するまであと一年。それまで、一時的に領地は王家預かりとなる。
王都にある本邸と別邸については変わらず使用できるため、ブリジットの生活自体にはあまり変化はないのだが。
四阿に到着すると、ユーリがカーテンの一部を閉めてくれた。
完全な密室にはしない。それもブリジットを気遣ってのことだ。貴族令嬢が婚約者ではない男性と誰にも見られない場所で会うというのは体裁が悪いから。
二人は当然のように隣り合ってソファに座る。
……否、この時点でブリジットの心臓はものすごくばくばくしているのだが、ユーリが平然としているので顔に出さないよう耐えるのだった。
ぴゅうと木枯らしが吹く。
四阿の中にも赤や黄色の葉っぱが舞い込んできた。やはり屋外はかなり冷える。
「で、ではわたくしも」
いそいそとブリジットは手持ちの防寒具を取り出した。
キーラにもらった緑のスヌードをすっぽりと頭から被る。
鞄の中にはシエンナにもらった膝掛けも入っている。
膝掛けのサイズは大きい。とっくに知っているユーリは、それを自分の膝の上にも広げている。
自然と、二人の密着度はますます高まった。
わずかに触れ合う身体の左側は、発熱しているかのようだ。
「寒くないか?」
「むしろ熱――ではなく、ちょ、ちょうどいいかと」
緊張でどうにかなりそうになっていると。
『ぴー!』
元気に鳴いて、ブリジットの髪の中からぴーちゃんが飛び出してきた。
その可愛らしさに、ブリジットの頬が緩む。
というのもぴーちゃんは、頭にキーラから贈られたちっちゃな帽子を着けているのだ。
黄色と赤の二色の細い毛糸で編まれたニット帽は、着け心地も良いようで最近のぴーちゃんのお気に入りである。頭の上にぽんぽんが着いているのも堪らない。見るたび拍手を贈りたくなる。
「素敵なプレゼントがもらえたわね、ぴーちゃん」
『ぴーっ』
にこにこしながら話していたら、ユーリがぼそりと呟いた。
「僕は少し寒いな」
「えっ」
慌ててブリジットはユーリを振り返る。
心配の面持ちを向ければ――するりと伸びてきたユーリの手に、呆気なく絡め取られていた。
ぎゅうと左手を握られる。
重なる手の温度は、ブリジットが驚くほどに熱かった。
とてもではないが、寒いと明かした人の体温ではなくて。
「…………嘘つき」
上目遣いで抗議するのだが、ユーリはどこ吹く風だ。
否、その頬はほんのりと赤い。
「冬に感謝しないとな。手を握る口実が増えた」
「~~~っ!」
こんなことを言うユーリに、ブリジットだって何も言えなくなる。
(もう。もうっ!)
膝掛けの上で繋いだ手に、ぎゅ、ぎゅっ、と力を入れる。
そんな風にしていると、思い出すまでもなくあの日のことを思い起こしてしまう。
建国祭の夜。
だめだと訴えるブリジットの唇に、ユーリは触れなかった。
代わりだというように、彼の薄い唇はブリジットの頬に落とされた。
それでも震えるブリジットを、ユーリは甘やかな視線で見つめていた。
もっと触れたいと望むような。
それを許したいと思ってしまうほどの、優しい眼差しで。
(でも私――ユーリ様に好きって言われてない!)
惹かれているとか、傍に居たいとか、ユーリはとんでもない言葉をたくさん言った。
確かに、気持ちは通じ合ったように思う。ただし決定的な一言というのは、聞けていないままで……。
(わ、私から言っちゃおう、かしら?)
そわそわしているブリジットには気がつかず、ユーリが呟く。
「卒業試験」
「!」
その一言に、ブリジットは顔を上げた。
オトレイアナ魔法学院の卒業試験。
その内容は厳しいもので、毎年多くの脱落者が出ると言う。
しかし試験内容自体は明かされていない。というのも年ごとに内容が異なるからだ。
試験に合格できなかった場合は、冬期休暇明けに行われる難易度の低い再試験に合格すれば、問題なく卒業資格を得ることとなるのだが。
「当然、ですわよね」
「ああ、もちろん」
顔を見合わせ、お互いにやりと笑う。
言わずもがな、ブリジットもユーリも、大人しく再試験を受ける予定などないのだ。
ユーリが告げる。
その言葉を、ブリジットは聞いた。
「最後の勝負をしよう、ブリジット。もしも、僕が勝ったら――」
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見守っていただきありがとうございます。これにてウェブ版は完結です。
(第4部は、書籍第4巻の刊行に伴い削除させていただきました。詳細は活動報告をご覧ください)
続きの気になる方は、ぜひ書籍にて応援いただけたらありがたいです。
今後ともアクアクをよろしくお願いいたします!
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