第118話.五度目の勝負の行方

 


 会場をこっそりと抜け出したブリジットとユーリは、いつもの四阿で夜風に当たっていた。


 夜の時間に四阿を訪れるのは初めてで、それだけでなんだか特別に思える。

 初めて訪れた頃には爽やかな緑色をしていた蔦は、茶色に染まっている。もうすぐ冬が訪れるのだとそう感じた。


 ユーリが静かな声で問うてくる。


「疲れたか?」

「少しだけ。でも……とても、楽しかったです」


 向かい合ってではなく並んで座っているから、いつになく距離は近かった。

 ブリジットの足を気遣って、ここに来るまでユーリは手を引いてくれた。重ねたままの手は、まだお互いに熱い。


「ユーリ様はダンスもお上手ですのね」

「大したことじゃない」


 澄ました顔でユーリが応じる。

 その顔を見て、ふと悪戯心が芽生えた。


 ――『ブリジット様。我が主は女性のエスコートに不慣れでして、本日は付け焼き刃での披露となりましたが如何でしょう?』


 オーレアリス家を訪ねたとき、ユーリの従者であるクリフォードが言っていた言葉を思い出したのだ。

 すすすっ、とさらに近づいて、ブリジットは内緒話をするように口の横に両手を当てて問いかけた。


「もしかして……わたくしと踊るために、練習してくださったんですの?」

「!」


 ユーリの口元が引き結ばれる。

 ぎろり、と鋭くブリジットを睨む視線。しかし迫力はない。

 その目元がほんのりと赤いのも、月明かりの下でよく見えた。


「格好つけたいんだから、いちいち訊くな」


 その返事は、答えそのものだった。


「す、……すみません」

「なぜお前が照れる」

「だ、だって!」


 ユーリの放つたった一言で、全身の温度が急上昇してしまう。

 恥ずかしくて、どうしようもなくて。ばくばくと心臓が騒いで、息が上がる。


 ――でも、今日だけは逃げないと決めたのだ。


「ユーリ様。あの、今回の勝負なのですがっ」


 意気込んで話題を替えると、ユーリも乗ってくれた。


「決着がついてないな」


 そのとおりだった。五度目の勝負は一時中断になっている。

 もともと建国祭の出し物を巡り、奇数の数の勝負を行う予定だった。

 二対二で迎えた五つ目の勝負、スタンプラリーの最中にブリジットが誘拐されたため、それも中断となってしまったのだ。


「ですので、改めて五つ目の勝負を持ちかけたいのですが」


 自信ありげにブリジットは笑ってみせた。


「わたくしがユーリ様を驚かせたら、わたくしの勝ち――というのはどうでしょう?」

「それは……判定の基準が曖昧じゃないか?」


 勝敗条件にユーリが難色を示す。

 今まで二人の勝負は、筆記試験や魔石獲りをはじめとしてはっきりと白黒つくものばかりだったのだ。


「ユーリ様は驚いたら、素直に教えてください。驚かなかった場合も、同様に」


 敢えて判定はユーリに任せる、という大胆な手に出る。

 ブリジットにとっては不利な条件だ。だが、だからこそ、ブリジットと同じくらい負けず嫌いであるユーリに、ここで逃げるという選択肢はなくなる。


 ここまで自信があると明瞭にアピールされた以上、絶対にユーリは逃げないはずだ。


「分かった」


 ブリジットは密かに拳を握る。まずこれで前提条件はクリアだ。

 しかしここからも一瞬たりとも気は抜けない。こほんと咳払いしつつ、ユーリにお願いする。


「では、いいと言うまで目をつぶっていただけますか?」


 大人しく指示に従い、腕組みをしたユーリが目を閉じる。

 くるりと後ろを向いたブリジットは、パーティーバッグの中からそれを取り出した。


 バッグの中にぴーちゃんの姿はない。キーラが一時的に預かってくれているのだ。

 会場を抜け出す前に頼んだのだが、キーラはすべてを察した様子で力強く引き受けてくれた。

 若干、そのときのぴーちゃんの表情が引きつっていたような気もするが……。


(あ、焦らない焦らない!)


 それを取りこぼしそうになりながら、ブリジットはぎゅっと掴む。

 ユーリの肩にかけて、えっちらおっちらと巻いていく。睫毛の本数さえ数えられそうな距離にドキドキしたが、今はとにかく集中しなくてはならない。

 柔らかな感触が伝わったのか、ユーリは訝しげに眉を寄せているが、それでも目は閉じたままでいてくれた。


 ほんの数十秒で、ブリジットは仕事を終えた。

 それでも最後まで見栄えはどうだろう、巻き方は苦しくないだろうかと気になりつつ、ユーリにそっと呼びかける。


「どうぞ、目を開けてください」


 長い睫毛が震え、ユーリがゆっくりと目を開いた。

 少しだけまぶしそうに、目の前のブリジットを見つめてから……彼が首元に視線を落とす。


 ――建国祭の贈り物。


 そこには、毛糸で編んだマフラーが巻かれている。

 青空の下で咲く明るく穏やかなたんぽぽ。その色合いは、ユーリの瞳を想ってブリジットが選んだ色だ。

 彼のことばかり考えて、一生懸命に思いを込めて編んだ物。


(この色を選んで良かった)


 そう心から思う。

 正装姿では不釣り合いかもしれないが……ユーリによく似合っていると思ったから。


 ユーリはしばらく黙ったままでいた。

 どこか呆然としている。何度も柔らかなマフラーに確かめるように触れては、瞬きもせず見つめている。


(き、気に入らなかったのかしら?)


 その反応に少しだけ不安になっていると。

 隠れた口元を、ユーリが動かしていた。


「ブリジットが、編んだのか?」

「ええ。お、驚きました?」

「……………………とても」


 答える声からも驚きが伝わってくる。

 上々の反応である。上機嫌になったブリジットはにこやかに笑いかけた。


「では、五度目の勝負はわたくしの勝ち――」


 ということで。

 そう続けようとしたが、最後まで言うことはできなかった。



「――――――とても、嬉しい」



 そのときにはブリジットは、ユーリの腕の中に閉じ込められていたから。



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